福島への支援/福島での支援
ニュースレター2016年冬号の公開






福島への支援/福島での支援

東北ヘルプ事務局長 川上直哉


 原子力災害の支援、とりわけ福島県の支援は、何を大切にし、何を目指して、行なわれるのでしょうか。
 県外支援者として、福島県に通い、主に強制避難区域内からの被災者を支援し続けている働きがあります。「福島聞法のつどい」と、そして「カフェドフクシマ」の働きです(昨年のニュースレター第10号に、その報告をいただいておりました)。
 県内の当事者としての支援活動として、福島市内で行われている働きがあります。「キッズケアパークふくしま」の働きです(最新の報告書を、A3三つ折りの別刷りで同封いたしましたので、是非、ご高覧ください)。
 2016年10月の第三週の後半(19~22日)、この二つの働きのご様子を拝見する旅に出ました。以下、その報告をいたします。


福島への支援:「福島聞法の集い」と「カフェドフクシマ」
 10月19日(水)、私は南相馬市の浄土真宗本願寺派 勝縁寺で、プレゼンテーションをしていました。広島や長崎などの西日本、そして遠く南米から、福島の人々とつながろうと、本願寺派の御僧侶が大勢集まり、「福島聞法のつどい」を開催してくださっていたのです。今年は第三回目、来年も必ず行うとのこと。私は、第二回からこの催事に加えていただき、現状報告をするお役をいただいておりました。

 南相馬市へは、仙台から自動車で一時間半の距離です。南相馬市の南部に、日本基督教団小高伝道所があります。小高伝道所は、現在「休止中」です。この7月まで、南相馬市小高区は、「強制避難区域」とされていたからです。

 しかし、今回私が訪れた時、南相馬市小高区は、「強制避難区域」ではなくなっていました。昨夏7月以来、「避難指示解除」を受け、「復旧」したということになっていたのです。
 徐々に、被災地ではなくなって行く、ということ。その複雑な思いは、津波被災地で、私たちがずっと味わってきたものでした。そして今、それは原子力災害の被災地において、また違った味わいをもって体感されるものとなっています。そこに住む方々は、どんな思いをしているか。それは、訪れてみますと、はっきり感じられてきます。言葉にはうまくできません。でも、ゆっくりと振り回されてゆくような、静かに取り残されてゆくような、そして、なにか大きく間違っているような、そんな感じが身に沁みます。

 翌10月20日(木)、私はまた、南相馬市におりました。市内の「高見町仮設住宅」で行われる「カフェドフクシマ」(http://311fukushima.org/)に参加するためでした。集まってくださったのは、南相馬市小高区の「強制避難区域」であった場所にお住いの方々でした。「避難指示解除」となっても、薬局すら再開していない中では、まだ帰れない。「このまま仮設に住み続けたい」「いや、そんなことはできない」といった声が、飛び交っていました。

 会は、昼食会を中心に和やかに進行しました。遠く首都圏から、石川和宏さんが、大和カルバリーチャペルの方々と共に、この催事を主催するべく、お越しになっていました。石川さんは、福島県内のすべての原発被災者の仮設住宅を回っておられるとのこと。最近の特徴は、仮設に住まう方の人数が減り、参加者が少なくなりがちだということでした。ある仮設住宅では、4人しか参加者がいなかった。その仮設住宅へ、石川さんは、おひとりで片道4時間かけて、お越しになったそうです。「でも、その4人に出会えたことが、とても大切なことでした」と、石川さんは語ります。
 石川さんは、私に何か講話をするようにと言って、私を皆さんに紹介してくださいました。私は、前日の勝縁寺での催事について、お話ししました。

私たちは、仏教者であったり、キリスト者であったり、それぞれ違う。本来は、お寺と教会で、競争する関係なのかもしれません。でも、皆さんが元気で明るく幸せに毎日を過ごしてくださっていなかったら、皆さんをお寺なり教会に勧誘することも、できません。だから、私たちは力を合わせて、何とか皆さんとつながりたい。できることがあれば、それを探したい。そう思って、私たちは力を合わせ、ネットワークを結び、こうしてお訪ねしているのです・・・

そんな話を、私はしました。
 キリスト教の牧師である私を仲間に引き入れてくださる浄土真宗の皆さんのお心に、そして、石川さんの働きに、福島県外から訪問して支援をする心構えと可能性を教えていただいた思いがしました。


福島での支援
 同じ週の土曜日、私は福島市を訪れていました。「キッズケアパークふくしま」が主催する「こどもあそびば」に参加するためでした。

 福島県内の市町村は、それぞれの特徴に従って、原子力災害へのそれぞれの対応をしてきました。そこには様々な濃淡が生まれました。例えば、郡山市では巨大な「室内遊び場」を官民が協力して設立・運営し、子どもたちの健康を守ろうと努力しながら、現在に至っています。福島市の人々は、郡山市に設営され運営を続けている巨大「室内遊び場」を、何とか福島市にも設置できないかと、真剣に考えてきました。
 そうした中で、福島市内の教会が力を合わせ始めました。「キッズケアパークふくしま」という運動が、発足したのです。途中、市内の牧師が相次いで急逝したり体調を崩したりといったことが続きました。それでも、日本ルーテル教団福島いずみルーテル教会や保守バプテスト同盟北信カルバリ―教会や日本基督教団保原教会が中心となり、「こどもあそびば」がスタートしました。最初は、教会を会場として「室内遊び場」を開設しました。市内の高校生のボランティアが集まってきました。福島大学の人間発達文化学類の先生が、子どもの発育にとっての「あそび」の重要性とその支援について、ボランティア一人一人に教えてくださいました。すぐに「こどもあそびば」は評判を呼びます。子ども 連れの親御さんたちがたくさん集まるようになり、教会堂では広さが足りなくなってしまいます。ドイツのEMSや日本ルーテル教団などの資金援助もあり、毎月一度、およそ100名の参加者を得て、「こどもあそびば」は展開して行きました。そうした中で、10月22日(土)に、第25回目の「こどもあそびば」が行われたという次第です。

 ご様子をうかがって、学んだことがあります。「福島での支援」で大切なことは、福島市内に生活する目線を失わないことと、そして、その上で「諦めない」ということにある、ということです。避難できる人は、もう、避難しました。避難できない、あるいは避難しないと決めた人が、今、福島市内にいます。除染は熱心に行われます。でも、どうしても、ホットスポットが残る。だから、子どもたちを守るために励ましあい、被ばくを少しでも減らす努力を続ける。そのための大切な拠点として、「キッズケアパークふくしま」の「こどもあそびば」は、確かに機能していました。

 しかし今、「キッズケアパークふくしま」は、課題に直面しています。毎月一度、100名ほどが参加する「こどもあそびば」を展開するために、毎年300万円が必要だ、ということです。世界各国からの支援は、もう細くなってしまいました。でも、あと数十年程度、ホットスポットの放射能は消えない。その気の長くなるような期間、なんとか、「福島での支援」を続けなければならない。福島に住む立場から、「キッズケアパークふくしま」のお一人お一人は、切実に、事態を見つめています。(東北ヘルプの振込用紙に、「キッズケアパークふくしま」の欄を設けました。チェックをつけてくださいましたら、全額必ずお届けいたします。ご協力をお願いいたします。)


まとめ
以上の旅を経て、学んだことをまとめてみます。

  l 一人一人との出会いを尊いものとして大切にする。
  l そのために、広くネットワークを広げ、できることを探して被災者の孤立を防ぐことを目指す。
  l 被災地に住む人の視線を大切にする。
  l そのうえで、圧倒的な現実を前にしてもなお、絶望に抗して共に立つことを目指す。

以上こが、福島への支援/福島での支援のカギになる。そう学んだ旅となりました。

(2016年10月26日 記)

(ニュースレターの別の記事はこちら)

まとめ:東北ヘルプニュースレター 2016年冬号の公開



<記事1> 東北ヘルプの新しいスタート




<記事3> 台風10号被災地でのキリスト教ボランティアについて




<記事4> 東北ヘルプ「短期保養支援」の面談結果について




<記事5> 風化に抗って:「東北キリシタン」と「キリストさん」に出会う旅






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