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食品放射能計測所機械納入
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最新の記事はこちらから福島第一原子力発電所の事故から、放射能の問題は福島のみならず、東北、関東、日本の問題としてわたしたちに現れました。
多くの方が、家族や大切な方、子どもたちのために事故直後から放射能に対する取り組みの必要性を訴え活動されています。
東北ヘルプでも事故直後から放射能災害に対する活動の必要性が何度となく議論され、超教派のキリスト教団体として、この問題にどのように取り組むことができるのか。可能性を模索してきました。
その結果、だれでも利用できる食品放射能検査所が必要であるとの結論を得、6月から少しずつではありますが、設置の準備を進めてきました。
そしてこの12月16日に食品放射能測定器が無事納品され、測定所開設に向けて確かな一歩を踏み出すことができましたので、以下にご報告いたします。
今しばらく試験稼動を重ね、その後、本格稼動の予定となっております。一日も早く、皆様のための食品放射能検査所として機能できますよう、努力して参ります。
今後とも、ご支援と祈りによる支えを、どうぞよろしくお願いいたします。
(2011年12月22日 阿部 記 )
● 食品放射能計測所機械納入 ●
原発事故被災以来、福島県をはじめとする東日本の人々は体の外からも内からも放射能を帯びた物質による被曝を余儀なくされています。
いのちを紡ぐために口にするものがそのいのちを削るという暴力を、彼らは日々押しつけられています。
「流通している食品は安全」という人がいますが、それは前提として「信頼」が無ければ心に響かない言葉です。
自らを騙して箸を口に運ぶ毎日です。特に高線量地帯に住む、幼い子どもを持つ方、妊娠中の方の心中は察するに余りあります。
ヒロシマのデータから胎内被曝や乳幼児期の被曝により知能低下をはじめとする影響が出る確率が上がることが分っています。
だから少しでもリスクを減らしたいとの思いを多くの人々が持っていますが、その手段を持つ人は多くはありません。
このような暗い時代に、ひとつの小さな灯が点ろうとしています。仙台キリスト教連合といわきCERSネットが共同で運営する食品放射能計測所のことです。
NCC様を通して海外の教会から支援をいただき、開所に向けて準備をしております。
教会のわざとして始められるこの計測所は、すべての人に対して開かれた計測所となろうとしています。
生産者や風評被害の広がりを恐れる方も利用できるように計測データは依頼者とスポンサー以外にはお知らせしません。
電力関係者も利用できるように反原発・脱原発運動に直接繋がるような「市民運動」については自制します。
そして、所内にスピリチュアルケア担当者を置き、身近なものから放射性物質が検出された時に受ける魂の衝撃を、共に分かち合う準備をいたします。
また、同様に栄養士による相談の場を提供いたします。
去る12月19日(金)、ベルトールド・ジャパン社様によりNaIシンチレーション式ガンマ線スペクトロメータLB2045を3台、納入していただきました。
これは食品や尿の中に含まれる放射性物質の種類ごとに、その量を計測できる機械です。
ソフトウェアは最新版でCs134とCs137の分解表示が可能となっています。
このデータをPCで解析して、K40などのコンプトンを排除してより正確なデータを提示できるようにと、現在職員の研修中です。
(文責:三枝)
写真は、LB2045納入時の研修を受ける職員
最前列で熱心に説明を受けているのは、仙台食品放射能計測所所長の保科隆牧師(日本基督教団仙台東一番丁教会)
食品放射能計測所 協働運営員会 始まる
10月27日(木)に、「食品放射能計測所 共同運営員会」が、初会合を持ちました。場所は、郡山のコスモス通り教会(日本バプテスト連盟)。開始は午後1時半でした。
共同運営委員会は、いわき市内の教会で構成される超教派の組織「いわきCERSネット」と、私たち「東北ヘルプ」との協働事業として企画立案され、NCC-JEDRO様に資金申請書を提出し、活動を始めた団体です。
(詳細については、http://touhokuhelp.com/nuclearsupport/index.htmlを参照ください。)
既に、他にも、多くの「放射能計測所」が設立されています。その中で、私たちもこの事業を行おうとする。その意味は一体何だろうか。そうしたことを考えつつ、開始に先立ち、讃美歌を歌い、御言葉を読み、考え、祈りました。
讃美歌は、『讃美歌21』の62番です(歌詞と曲は、http://www.senzoku.org/21-062.htm等で読み・聴くことができます)。この歌は、「主の祈り」を歌詞としています。私たちのエキュメニカルな会議の冒頭にふさわしいものとして、この歌は選ばれました。そして、この歌は、「主の祈り」の各節に、「私たちの主よ」という呼びかけがついている、そういう構成になっています。
私たちは、「主」に呼びかけ、「主」の呼びかけに応えつつ、未曾有の事態に勇気をふるって一歩を踏み出します。そこに、私たちの特色がある。では、「主」とはいったい、誰であるか。
会議に先立って読まれた聖書は、出エジプト記5章以下でした。それは以下の通りです。
その後、モーセとアロンは行ってパロに言った、「イスラエルの神、主はこう言われる、『わたしの民を去らせ、荒野で、わたしのために祭をさせなさい』と」。
パロは言った、「主とはいったい何者か。わたしがその声に聞き従ってイスラエルを去らせなければならないのか。わたしは主を知らない。またイスラエルを去らせはしない」。
彼らは言った、「ヘブルびとの神がわたしたちに現れました。どうか、わたしたちを三日の道のりほど荒野に行かせ、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。そうしなければ主は疫病か、つるぎをもって、わたしたちを悩まされるからです」。
エジプトの王は彼らに言った、「モーセとアロンよ、あなたがたは、なぜ民に働きをやめさせようとするのか。自分の労役につくがよい」。パロはまた言った、「見よ、今や土民の数は多い。しかも、あなたがたは彼らに労役を休ませようとするのか」。
その日、パロは民を追い使う者と、民のかしらたちに命じて言った、「あなたがたは、れんがを作るためのわらを、もはや、今までのように、この民に与えてはならない。彼らに自分で行って、わらを集めさせなさい。また前に作っていた、れんがの数どおりに彼らに作らせ、それを減らしてはならない。彼らはなまけ者だ。それだから、彼らは叫んで、『行ってわたしたちの神に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。この人々の労役を重くして、働かせ、偽りの言葉に心を寄せさせぬようにしなさい」。
そこで民を追い使う者たちと、民のかしらたちは出て行って、民に言った、「パロはこう仰せられる、『あなたがたに、わらは与えない。自分で行って、見つかる所から、わらを取って来るがよい。しかし働きは少しも減らしてはならない』と」。
そこで民はエジプトの全地に散って、わらのかわりに、刈り株を集めた。追い使う者たちは、彼らをせき立てて言った、「わらがあった時と同じように、あなたがたの働きの、日ごとの分を仕上げなければならない」。パロの追い使う者たちがイスラエルの人々の上に立てたかしらたちは、打たれて、「なぜ、あなたがたは、れんが作りの仕事を、きょうも、前のように仕上げないのか」と言われた。
そこで、イスラエルの人々のかしらたちはパロのところに行き、叫んで言った、「あなたはなぜ、しもべどもにこんなことをなさるのですか。しもべどもは、わらを与えられず、しかも彼らはわたしたちに、『れんがは作れ』と言うのです。その上、しもべどもは打たれています。罪はあなたの民にあるのです」。
パロは言った、「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。それだから、『行って、主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定めた数のれんがを納めなければならない」。
イスラエルの人々のかしらたちは、「れんがの日ごとの分を減らしてはならない」と言われたので、悪い事態になったことを知った。
彼らがパロを離れて出てきた時、彼らに会おうとして立っていたモーセとアロンに会ったので、彼らに言った、「主があなたがたをごらんになって、さばかれますように。あなたがたは、わたしたちをパロとその家来たちにきらわせ、つるぎを彼らの手に渡して、殺させようとしておられるのです」。
モーセは主のもとに帰って言った、「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。なんのためにわたしをつかわされたのですか。わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」。
主はモーセに言われた、「今、あなたは、わたしがパロに何をしようとしているかを見るであろう。すなわちパロは強い手にしいられて、彼らを去らせるであろう。否、彼は強い手にしいられて、彼らを国から追い出すであろう」。神はモーセに言われた、「わたしは主である。わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。
(口語訳)
この個所で、モーセは、「主」の名によって奴隷を解放するようにファラオに迫ります。しかし、ファラオは「"主"などという神は、知らない」と、にべもない。すると、モーセも動揺し、「ヘブライ人の先祖の神が・・・」と、言い変えてしまいます。そして、事態はいよいよ悪化する。奴隷たちは、解放されるどころか、更に苦しみを加えられ、分断されてしまう。もはやどうしようもない、となったその時、「今こそ」と、神は語ります。「今こそ、私は自分の名を明かそう。私は主だ。この名は、アブラハムにも、知らせなかった」と。
「信仰の父」アブラハムは、全能の神を知っていました。しかし、そのアブラハムすら知らない神の名があった。それが、「主」です。それは、奴隷が苦しみの声を挙げ、その為に何とかしようとする人がいる、その現場に初めて顕現される神です。
私たちは、「主の祈り」の最後に、全能の神を確認します。「国も力も栄も限りなく汝のものなればなり」と、祈ります。この言葉はイエス様のものではなく、後代の教会による付加だとする学説が、強い説得力を持っているようです。しかし、そうだとしても、この最後の言葉を私たちは祈る。それは、放射能の問題のような巨大で途方もない事態に対応するために、必要な祈りだと思います。
そして、更に、私たちは「私たちの主よ」と声を合わせて祈る。それは、くず折れてしまった人、寄る辺のない人、不安と恐怖の中に日々を過ごす人々の声を聞く方が、「全能の神」であることを、私たちに思い起こさせる祈りです。そして、そうした人々の為に微力を尽くそうとする健気な思いに、この神様は、必ず伴ってくださるということ。そのことを、私たちは思い出して勇気を得る、その為の祈りです。
私たちは、「私たちの主よ」という思いを抱きつつ「全能の神」を称える「主の祈り」の最後を唱える。そうすることで、再び私たちは、「天にましますわれらの父よ」と呼びかけ始めるよう、やわらかな促しを受ける。こうして、「主の祈り」は連祷となって私たちを無限に励まし続ける祈りとなる。
私たちは、「主」としてご自身をお示しになる「全能の神」に勇気を与えられ、放射能の問題に取り組もうと思います。
以上のようなことを聖書から確認した後、会議が開かれました。会議では、①NCC-JEDRO様との協力関係で資金調達を試みること、②会計その他の事務の実務は「東北ヘルプ事務局」が行うこと、が決まりました。その後、具体的な状況についての活発な議論が為され、豊かな交わりの時となりました。
会場をお貸しくださったコスモス通り教会様に深く感謝しつつ、始まりましたささやかな歩みに、皆さまのご支援を賜りますよう、お願いをいたします。
(2011年10月31日 川上直哉 記)
「食品放射能測定所」設置のプロジェクト、はじまります
今回の震災で、いよいよ深刻さを増し加えている事柄の一つは、原発の問題です。
地震と津波による被害は、私たちに欠乏をもたらしました。しかし、原発事故の問題は、不安を私たちにもたらしました。
欠乏は、埋めることができます。少しずつ埋めて行くことで、希望への足がかりが見てきます。欠乏は苦しいことですが、ある意味、与しやすい課題であるのかもしれません。
他方で、不安には、独特の難しさがあります。不安は、無限に広がって見えます。終わりが見えず、時間が経つほどに募ってしまう、という厄介さがあります。
更に、原発事故は、原発そのものの問題を浮き彫りにしました。それは、人々の分断と対立という問題です。
逃げるべきだという人がいます。踏みとどまるべきだという人がいます。
もっと警戒を、という人がいます。不安をあおるな、という人がいます。
原発反対、という人がいます。原発で働く人もいます。
地震と津波で、大きな欠乏を覚えさせられ、更に事故が不安を募らせています。そこに、分断と敵意が忍び込んでくる。そのことが、本当に深刻に思われます。
私たちは、原発被災で苦しむ人々に、寄り添いたいと思います。それが、被災地にいる私たちの責務でもあり、権利でもあると思うからです。
そのためのプロジェクトを、いくつか企画中です。その中の最初の大きな一つが、「食品放射能測定所」設置のプロジェクトです。それは、いわき市内にある教会のネットワーク「いわきネット」と、私たち「東北ヘルプ」が、共同して立ち上げたプロジェクトです。
放射線被害が深刻なのは、中通り、とりわけ、福島市・郡山市です。この地域は、「空間放射線量率」というものが高すぎて、食品の放射能を正確に測定しにくい、とのことです。それで、近接する仙台といわきで、測定所を設置しようとする構想となりました。
私たちは、全て不安に纏いつかれている人々に寄り添いたいと思います。私たちは、被災地にいる宗教者です。ですから、私たちは「反原発」の政治運動に加担することはできないと思っています。ただ、不安に立ち向かう、その御供ができればと願っています。
ですから、このプロジェクトで得られた情報は、関係者以外には絶対に秘密にしようと思います。マスコミにも、行政にも、市民団体にも、政治団体にも、営利団体にも、第三者には流さないことを方針とします。
このプロジェクトは、既に資金申請書が出来上がり、その申請書は、日本キリスト教協議会エキュメニカル震災対策室(NCC-JEDRO)に提出されました。このJEDROを窓口に、支援者を世界に募る予定でいます。また、来週木曜日(27日)には、郡山市で第一回目の運営会議を開催します。
以下に、資金申請書を公開します。皆さまのお支えによって、こうした申請ができましたことを、心から感謝しつつ、ご連絡をいたました次第です。
福島原発問題への取り組みを始めました
東北ヘルプ事務局は、福島原発問題への取り組みを、始めました。
今頃、遅い、と、お叱りを頂くかもしれません。
それでも、ようやくその体制が整いつつありますので、遅くなっても、始めようと思います。
当面、週に一日を「福島原発の日」と定め、時間を切り割り、調査を進めようと思います。そして、具体的な全体像が見えてきましたら、プロジェクトを立て、担当者を決めて進めたいと思います。
まず、最初の一歩として、6月21日 川上事務局長と三枝牧師が新知町地域支援センター(日本YWCAの方が駐在)と相馬キリスト教会(日本同盟基督教団)を訪問し、インタビューをして、今私たちに何ができるのか、何が必要なのかを考えました。
そこで学んだこと・考えたことを纏めてご報告し、祈りの支援を要請したく存じます。
原発の被災者の気持ちはとても複雑で難しいということです。原発(福島)から離れたい気持ちと、離れたくない気持ちが、一つのグループの中、一つの過程の中、一人の人格の中、それぞれに、同時に存在しています。正反対の気持ちが、複雑に交錯しているのです。その中でも、家族の中でも子どもたちと共に過ごすおかあさんは、子どものことが心配で福島(原発)を離れたいという気持ちを強くお持ちですが、必ずしも家族で同じ思いを共有できません。
問題は、数値ではなく、不安感です。「値が少ない」と聞いても、パニックに陥る程、不安感が募っています。しかし一方、福島の人たちは土や海と共に生きています。コミュニティの結束が強い。土地を離れれば仕事はなくなる、ということだけではなく、生活のイメージそのものが、破壊されてしまうのです。結局、集団でも仲間内で両者のグループに分裂してしまうことが起き、混乱や苛立ちとなっています。
教会はできる事をしていました。しかし、疲れてしまっています。牧師は悩みつつ、不安に陥っている人の話を一緒に聞き、寄り添っています。しかし、寄り添うほどに課題は重くなり、牧師には、疲弊が色濃く見られました。現場のつながりの中で、牧師の心のケアをすることが、今、求められています。
地域の中に入らなければ、見えないことが多くあることを、今さらながらに、強く実感しました。しかし、地域の中に閉じこもっていては、見えなくなるものもあります。私たち被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)は、ネットワークの力を活用するために存在します。地域に根差して悩むお一人お一人に寄り添い伴走しながら、遠くの方と繋ぎつつ、絶望に抗して未来を展望すること。それが、私たちの役割だと思います。来週は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の方とお会いします。東北ヘルプの福島プロジェクトは、ぼちぼちと始まりました。皆様のお祈りのご支援を賜りますよう、よろしくお願いいたします。
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