葬儀関連の被災支援

日常に寄り添い、取り戻していくために 
~ クラッシュジャパンさま主催 「被災者ケアカンフェレンス」

被災地で多くの方と出会う中で気づかされるのは、震災は誰にとっても、日常の生活の中に突然現れた非日常の出来事であったということです。被災者は誰もが、非日常の災害を目の当たりにし、無力の中に立ち尽くさざるを得ませんでした。支援者も同じように立ち尽くしました。

そのようにわたしたちは大きな災害の前に覆われた被災地で、共に無力を分かち合ったのでした。お互いが無力の中で、他者の無力に寄り添おうとしたのです。

今、多くの方が非日常から日常を取り戻すために努力されています。日常を取り戻すためにするべきことは、非日常の中にあっても、日常、つまりあたりまえのことを、あたりまえに少しずつ、積み重ねていくことです。

実際に立ち上がろうとすると、被害のあまりの大きさに、愕然とすることがあるかもしれません。しかし、それでも日常を取り戻すためには、これ以外の方法はありません。

今、被災地は少しずつ変わり始めています。それは多くの方が努力されて、「あたりまえ」が積み重なった結果です。

同時に、震災から1年4ヶ月という時間は残酷でもあります。変化は良いものだけではありません。孤立、経済問題、格差と分断。そういった問題を耳にすることがいよいよ多くなってきました。今、それぞれの生活を取り戻す中で、問題は深刻化し、日常の問題は個別化し、他者に寄り添うことが難しくなってきました。

変わり続ける被災地で、わたしたちは何に立ち返らなければならないのでしょうか。どのようなことを、この地でなさなければならないでしょう。

答えは難しくないように思うのです。

それは震災の始め、お互いが無力の中で他者の無力に寄り添ったように、今も苦しむ人の苦しみと無力に寄り添うことです。寄り添う中で、共にあたりまえの日常を積み重ねていくことです。

震災の初めに比べ、被災者の苦しみは見えづらくなっているかもしれません。ようやく立ち上がろうとしたとき、目の前の被害を改めて気づかされ、意気を挫かれてしまった人もいるかもしれません。苦しみや無力を明らかにすることを、恥ずかしいと感じることがあるかもしれません。

そんな人のところで静かに寄り添い、語る言葉を内に秘めつつ、待つことが出来るのか。そのことが変わっていく被災地の中で、改めて問われています。

そんな時、東北ヘルプはクラッシュジャパンさまから、一つのカンファレンス開催の協力を打診されました。

クラッシュジャパンさまは震災当初から献身的な活動を被災地でしてくださった団体です。東北ヘルプとは、その当初から大切な協力関係にあります。クラッシュジャパンさまのこれまでの尊いお働きに、心からの敬意と感謝を覚えます。

クラッシュジャパンさまの歩みは、苦しみの中にある方と寄り添い、その方の日常を大切に積み重ねるかのような歩みでした。今回のカンファレンスは、そんなクラッシュジャパンさまの歩みをそのまま表しているかのような素晴らしいものでした。

変わっていく被災地の中で分断が露わにされているのなら、わたしたちにできることは一体何でしょうか。まずそのことを考えたいと思います。

クラッシュジャパンさまをはじめとする各団体と協力して当たらなければ、とても、この震災の後の広大な痛みに対応することはできません。

わたしたちが協力して、震災に立ち向かおうとすることは、そんな問いへの一つの答えとなるでしょう。

そんなことを考えさせられた、有意義なカンファレンスのご報告を紹介いたします。

(2012年7月27日 阿部頌栄記)

クラッシュジャパン 被災者ケアカンフェレンス報告


  • 座談会の様子

  • 受講生の方々

クラッシュジャパンの被災者ケアスタッフ全員が、他の団体、教会のケアスタッフと共に仙台で6月27日から29日までの間、被災者ケアカンフェレンスのために集まりました。

作並温泉の美しい自然に囲まれて、参加者は、“困難からの修復:災害ケアスタッフがマルコ8章から学ぶこと”、“支援者のこころと傾聴”、“オペレーションセイフ:子供のためのトラウマケアのプログラム”、“支援団体とその導き方”、“心のケア:R.I.C.Eモデル”、“セルフケアの祈りと瞑想”、“クラッシュ被災者ケアトレーニング、再検討と改革”を聞くことができました。

カンフェレンスのハイライトは、木曜日の午後に行われた、聖学院大学の教授である著名な平山正実博士の自殺防止についての講演でした。


  • 講演をして下さる平山先生

  • 平山先生(中央)と共に

平山先生は、自殺志願者、その家族、またそのコミュニティーと共に働いてきたご自分の経験から深くお話をしてくださいました。積極的に聞くことの必要性、家族の支援、また長く続いている教会内での自殺への見解の難しさを、分かち合ってくださいました。信仰がどれほどの違いをもたらすか、また痛みを理解する一人の弱い人が、もう一人の痛みを持つ弱い人を支え、共に時を過ごすことが深く霊的な礼拝の行為であることを教えてくださいました。

この分野の全てを知り尽くしている巨匠とともにいるんだ、という雰囲気が部屋を満たしていました。

カウンセラーである一人の女性が、平山先生がすでに行ってくださった画期的な作業があるからこそ、自分がクリスチャンのカウンセラーとしての日本での活動が可能だと、分かち合ってくれました。

講演のあとの質疑応答では、今まさにケアスタッフが直面しているさまざまな問題からの質問がなされました。

全ての状況の中で、平山先生のお答えはすべて、平山先生がいかに謙虚でかつ偉大であるか、いかに深くまた心砕かれているかが、はっきりわかるものでした。平山先生のお話を伺うことができたのは私たちにとって大変名誉なことだったと思います。

日々の東北支援の中、この被災者ケアカンファレンスを開催出来た事で、休息の時がもて、これまでの活動を振り返る事が出来き、講演を聞く事で、新しい一歩を踏み出せるのではないかと思うことが出来ました。

平山先生が来てくださったこと、また、被災者ケアカンフェレンスのために平山先生の講演を可能にしてくれた東北HELPの援助を深く感謝します。

ありがとうございました。

ヘレン


All of the Survivor Care staff members from CRASH Japan, along with care workers from other organizations and churches, gathered in Sendai from June 27-29th for a Survivor Care Conference.

In the beautiful surroundings of Sakunami Onsen we listened to a variety of speakers who presented to us on topics like ‘Picking up the pieces: What Disaster Care workers can learn from Mark 8’,( Shiensha no kokoro to Keicho) ‘Active Listening and the Heart of the Support Worker', ‘Operations SAFE: a trauma intervention program for Children’, ‘Support Groups and how to Lead one’, 'Kokoro no Care :The R.I.C.E. Model', 'Prayer and Meditation for Self-Care' ,and 'CRASH Survivor Care Training-Review and Re-tool.

The highlight of the Convention, though, was on Thursday afternoon when noted Doctor and Professor from Seigakuin University, Hirayama Masami Sensei spoke to us about Suicide Prevention.

He drew deeply from his own experiences working with the suicidal, their families, and communities, and talked openly with us about how hard it is. He shared with us about the need for Active Listening, the challenges of supporting families, and the historical difficulties that suicide has posed for the church. He was open about how much of a difference faith makes, and spoke of the time spent together, one weak person who understands pain supporting another person who is also weak and in pain, as a deep and spiritual form of worship.

There was a sense in the room that we were in the presence of a master, someone who knew the ins and outs of his field.

One woman, a counselor, spoke of how she felt a direct lineage...that as a Christian counselor in Japan, the work she is doing is possible because of the groundbreaking work that Hirayama sensei has done already.

The question and answer session that Hirayama Sensei did for us after his lecture was a time when people asked questions that were clearly rooted in the challenges they are currently facing in their respective roles as care givers.

In every situation Hirayama Sensei responded with depth and the brokenness of a truely humble, great man.

It was a tremendous honor for us to be able to hear Hirayama Sensei speak.

For those who are involved in the work of survivor care, this conference provided a time of rest, and of relection on the work accomplished so far, and as we listened to Hirayama Sensei, we were encouraged to take the next step in our work with survivors.

We are greatful for his willingness to come to be with us, and for the support that we received from Tohoku HELP, which made his lecture possible for the Survivor Care Conference.

Thank you!

Helen

トップへ戻る

傾聴と伴走と

東北ヘルプは、震災に遭った東北地方太平洋側全域の支援センターになりたいと願っています。

これは大きな志ですが、東北ヘルプ発足当初からの願いです。その志が、「東北ヘルプ」という略称にこめられているのです。

「東北全域のセンター」になるために必要なことは何でしょうか。それは、小さくなることです。

できるだけ小さくなり、謙遜に仕える姿勢を崩さず、目立たずにすべての活動を支える役割を担わせていただく。

そのことができれば、神様はきっと私たちの志をかなえてくださると信じています。「小事に忠なる者は、大事に 忠ならん」という神様の言葉は、私たちの励ましです。

「東北ヘルプ」とは、「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」の略称です。私たちの仕事は、キリスト教を 基盤としています。そのことを、私たちは隠したことがありません。ただ、その上で、私たちはすべての人に仕える 者となりたいと願っています。

キリスト教徒のみならず、全ての人に仕えて行くことができれば、そのとき、私たち のような小さな者でも、キリストの薫りを放つ働きを担うことができるでしょう。

そうした思いを抱いて被災地に働く私たちへ、神様は、素晴らしい出会いの出来事をくださいました。ご僧侶が行う 出張傾聴活動「カフェ・デ・モンク」との出会いです。決して自らの宣伝活動ではなく、苦しむ方々に寄り添いたい という願いに駆られて、ご僧侶方が募金を集め、ケーキを用意し、被災地の深部へと出向いておられました。

私たち もそこに加えて頂きました。そして、「心の相談室」が立ち上がった際、この活動はその中核事業の一つとなったの です。

「心の相談室」は今、ラジオ番組や大学の講座を持つに至っていますが、しかし、その基本は、一人ひとりの 苦しむ方々との出会いの出来事です。そしてそれが、結局、全てなのだと思います。

今回、私たちの仲間でご僧侶でもある森田老師が、最近行われた「カフェ・デ・モンク」に参加し、報告書を書いて くださいました。

以下にご紹介をいたします。傾聴ということ、そして伴走ということが、今、被災地で深刻に求め られています。その実践の様子を御紹介できることを、何よりの喜びと思いつつ、以下に報告書を転載いたします。

(2012年7月18日 川上直哉記)

(この画像はスクロールして、全文をご覧いただくことができます。
iphoneなどをご利用で、全文をご覧いただけない方はこちらからご覧下さい。

トップへ戻る

諸宗教の支援活動の連携を目指して

東北ヘルプは、心の相談室の立ち上げに関わりました。そして今、東北ヘルプ事務局長は、心の相談室の「室長補佐」の責任を担っています。

心の相談室は、諸宗教者協働の支援活動の枠組みです。この枠組みを用いて、更なる新しい展開が、望見され始めました。

この春、心の相談室を核として、東北大学に「寄附講座 実践宗教学」が立ち上がりました。宗教者の協働を現在の社会制度の中に定着させるための枠組み作りが、その役割です。ホームページも、出来上がりましたこちらをごらんください。)

そして、森田さんとおっしゃる融通念仏宗のご僧侶が、この講座の最初の学生となってくださいました。そして、その方と共に、宗教者による支援活動を連携させる試みが始まりました。その最初の報告書が、以下の通り寄せられました。感謝して、報告いたします。

キリスト教をはじめ、多くのよき業が、被災地に展開し続けています。これが結び合い、共働すべき部分を協力し合うことができれば、私たちの社会は、ずっと住みやすくなるかもしれません。そんな幻を抱きながら、ご報告いたします次第です。

(2012年6月7日 川上直哉 記)

天理教災害救援ひのきしん隊(本部:奈良県天理市)

(東北・北海道ブロック:宮城県復興支援活動)見学報告

2012年6月5日(火)午前


ひのきしん隊の方々

この度、齊藤軍記・宮城県宗教法人連絡協議会会長(天理教多賀城分教会)のお口添えにより、天理教災害救援ひのきしん隊(以下、災救隊)の現場での活動を見学させて頂く機会が得られました。

ちなみに、ひのきしんに漢字を当てると日の寄進となるところから、一般には「日々の寄進」と解されていますが、「日を寄進する」、すなわち、一日の働きをお供えすること、という解釈もあるようです(道友社刊『ようぼくハンドブック』より)。

JR矢本駅(宮城県東松島市)付近の東松島市商工会館にて、鈴木理一・災救隊副本部長より、これまでの災救隊の活動概要や他団体との連携などについてご説明頂き、続いて松井善年・災救隊宮城隊隊長に、隊員の方々が寝泊まりされている宿営地および実際に活動をされている場所をご案内して頂きました。

この始めに訪れた商工会館には、中心となる暫定本部があり、そこの食堂では多くの隊員が食事を摂ることができるほどのスペースが確保されています。


商工会館内にある食堂

配膳車などは組み立てが可能で、奈良県の天理教本部より持ち寄ったとのことです。ちょうど数人の女性隊員が作業をされている最中でありましたが、こういった食事準備などの縁の下の力持ちが大切になるのでしょう(実際には、食事だけではなく、生活や救護などかなり詳細にそれぞれが分担されています)。

当日、配布された資料には、表紙をめくった次のページに『宣誓』と題して、以下のような言葉が挙げられていました。

我々は、天理教災害救援ひのきしん隊員であります。(隊員復唱)

一れつ兄弟の自覚に立ち、(隊員復唱)

真実をもって救援活動にあたります。(隊員復唱)

ここでの「一れつ」とは、きょうだいが困っていたら、助けられるみんなで助けようとのことであると、ある隊員の方からお聞きいたしました。

以前は、各教区それぞれ独自のスタンスをとっておられましたが、全国組織の必要性を感じ1971年に各都道府県の教区に、災救隊が発足し、その本部が奈良県天理市に置かれることとなったようです。

この度の救援活動に際しては、宮城隊は他の教区からの受け入れ態勢を整備することも重要な役割であるそうです。

この日、訪ねた際には、北海度教区隊の隊員が、ある石油製品を取り扱う企業の土地に宿営地を構え、その場所をベースとして、それぞれの担当場所での救援活動にあたっておられました。

この場所(宮城県東松島市矢本字一本杉)は、ちょうど45号線(石巻街道)と43号線に挟まれた場所です。

行政(東松島市)が仲介したおかげで、宿営地として寝泊まりする事ができるようにテントを設営したり、重機を運ぶ車を駐車できるように広大なスペースが確保されていたりしていました。砂利が敷かれた地面でありましたが、隊員たちそれぞれコンパネを活用したりパイプ椅子を使ったりと工夫しながら自分たちの寝床を築いておられました。

別の地域である気仙沼の方では、高台の公園を宿営地としてお借りし、給水車で水を運び、自分たちの飲料水や仮設浴場で使用する水を確保しながらの寝泊まり生活を送るそうです。

宿営地の一角には、資材テントと並び、礼拝やミーティングを行う事ができる集会テントも設営されていました。


集会テント

このテントには、天理教の教旗が祭られ(ここでは、室内である為、テントの支柱に固定されていましたが、屋外の場合は、他の旗を掲揚するのと同様に掲揚するそうです)、そこで、朝夕の礼拝が実施されたり、隊員同士の意見交換が行われたりします。朝夕の礼拝時間は15分ほどで、特に夕方は、重機などを使用しているので、無事に仕事を終える事ができた事に感謝しながら礼拝をしますとのことでした。進行を担当するのは、大体、本部長であり、不在の場合はそれに準ずる役職の方だそうです。

具体的には、昨年の4ヶ月ほどは、一般ボランティアに交じって、そのボランティアの活動範囲内で関わりを始められましたが、現在では、行政とのすり合わせをしながら独自で動くというスタイルに変化し、災救隊の活動をご存じの方が直接ご連絡をしてくださることもあるそうです。現地に入って、地域の特性からか曹洞宗の方々と一緒に活動することもあるそうで、それ以外の他の団体でも同様に連携をとって活動を行います。

諸々の団体との連携に加えて、行政との関係を築いておられるのも大きなアドバンテージかもしれません。それほどまでの信頼関係ができたのは、実は平成15年(2003年)5月に発生した宮城県沖を震源とする地震以来、救援活動を継続して行っているからではないでしょうかとお話しくださいました。

ただ、担当者が年度末で替わると、そういった連携が鈍くなることもあり、もどかしさを経験することもあるそうです。重機やチェーンソーなどを使用することにより、他のボランティアさんには真似できないような大きな仕事ができることも感謝される所以ではないでしょうか。

現時点での具体的な救援内容は、活動地域の実情として、泥出しの作業は一段落し、塩害で枯れた木々の伐採および植樹、草刈りに移行しています。配布された資料に記載された活動場所の情報より枯木本数の大小はあるものの、およそ20カ所の公園が対象となっています(ちなみに、その資料に示される救援活動期間は10日間で二分隊が活動される)。

現場を見せて頂いた、矢本第二中学校の近くに位置する南新町公園には、伐採された、まさに切り株が、それまで大いに茂っていた大木があった箇所に点在していました。ちょうど北海道教区の隊員が活動されており、その隊員たちの配慮で、切り株の角が丸められ、誰でもそこで一休みできるようになっていました。大体、一カ所の公園であれば、一日半ぐらいで作業は完了し、その現場を後にするそうです。


  • 斉藤軍記先生(右から2番目)と共に

  • 活動をされるひのきしん隊の皆さま

聞けば、近くに流れている河川が決壊したのではなく、違う場所で決壊した水が押し寄せてきて、その矢本第二中学校の体育館の観覧席まで水が達したとのことです。そこで助かった方々は、体育館のカーテンで自分たちの身体を覆い、寒さを凌ぎ、救助をお待ちになっておられたようです。

この周辺に製紙工場があるため、そこに保存されていた丸太が次々と窓ガラスを突き破って民家に突っ込んでいたり、その中学校も例外ではなく流れてきたりしたため、これまでの泥出しの作業は本当に大変だったようです。ある隊員からの話で、最後まで見つからなかった一人の女児が、その作業中に、隊員たちによって見つけられ、後ほど家族の方から感謝されるという、隊員たちにとっても忘れ得ぬ出来事があったようです。

それぞれの作業現場でのご縁からか、個人的にお手伝いをしている隊員もいらっしゃるようですが、組織としては原則、そこまでの余裕がないようで、恐らくは隊員の中で歯がゆい思いをされている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

さらに、日本では、宗教団体の介入の難しさを痛感しているという声も伺いました。どうしても布教されるのではないか、あるいは支援を受けたばかりに何かを要求されるのではないかという疑念がその背景には見え隠れするようです。

総じて、強調され印象に残っていますのは、宮城県に限らず、全国どこの教区でも言えることでありますが、これまでの日々の訓練があったおかげで、今回の震災後に動くことができましたという頼もしい言葉でありました。日々の訓練がなければ、恐らくどのように救援活動をして良いかが分からなかったのではないかと思うとのことでした。今回の震災支援について、その訓練のおかげだと実感されておられましたが、最近では今年初頭の豪雪の際にも、災救隊は新潟県での除雪作業で活躍されておられました。

災救隊の方々には、お時間を頂戴いたしまして、誠にありがとうございました。

以上

(文責:森田敬史)

トップへ戻る

諸宗教者と共に

東北ヘルプは、2011年4月、仙台仏教会様と宮城県宗教法人連絡協議会様との協力を頂き、「心の相談室」を立ち上げました。この団体は、同年5月、宗教者の「心のケア」を行う組織として体制を整え、電話相談・出張傾聴喫茶・ラジオ放送などを通じて、現在に至っています。


心の相談室チラシ

「心の相談室」を、後援団体として、宮城県宗教法人連絡協議会様と世界宗教者平和会議日本委員会様が、支えてくださっています。このつながりが、一つの実を結びました。

世界宗教者平和会議日本委員会様は、5月22・23日の二日間、仙台に来てくださって、宗教者にできる支援とはなんであるか、現地の宗教者に学ぼうという企画を立ててくださいました。そして、「心の相談室」で活動する多くの宗教者がそこに集い、いくつもの発言をしました。


2012年5月23日河北新報

自戒を込めて申し上げます。現場から離れると、いつも、どんな支援も、逸脱します。しかし、そのことは、現場から離れると、常にわからなくなります。だから、「事件は会議室で起こっているのではない!」といくら叫んでも、会議室はいつも、しらけてしまう。そういうことが起こります。

それならば、会議を現場で行えばいい。
―― それは、一つの夢です。多くの方々がそう考え、構想しますが、なかなか、そうなりません。

しかし今回、世界宗教者平和会議日本委員会のみなさまは、この夢を実現しようと考えてくださいました。そのことは、 私たちにとっては、本当に大きな励ましとなりました。そして、仙台で行われた会議には、日本全国から約25人の宗教者が集い、被災地域から約25人の宗教者が集いました。開会と閉会においては、宮城県宗教法人連絡協議会の責任者が挨拶を行いました。現場で、会議が行われる、という一つの試みが、確かに、ここ仙台で行われたのです。

そうした会議について、以下のような行き届いたまとめを頂きました。

「週刊RNS 第20号(通巻43号) 2012.05.24」より、抜粋して転載させていただきます。

(2012年6月3日 川上直哉 記)

1.復興に向け仙台で円卓会議 WCRP

世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(http://saas01.netcommons.net/wcrp/htdocs/ 杉谷義純理事長)は、5月22、23日の2日間にわたり、仙台市青葉区の国際センターで、「復興に向けた宗教者円卓会議」を開催した。

この会議は、「今後のWCRPによる取り組みの在り方合を考える」ため、震災タスクフォースが企画したもので、これまで震災救援にかかわってきたWCRP関係者のほか、宮城県宗教法人連絡協議会をはじめ、被災地の民間団体関係者ら60人が参加した。

22日は、「震災と精神的ケア」(発題者=岡部健医療社団法人爽秋会理事長・「心の相談室」室長)、「地域コミュニティの再構築」(発題者=鈴木岩弓東北大学文学部教授・「心の相談室」事務局長)、23日には、「社会的弱者と呼ばれる方々への支援」(発題者=江川和弥福島連携復興センター理事、多田一彦遠野まごころネット代表)の3つのセッションで討議が行われ、被災から1年余りの実体験に基づく発言が相次ぎ、緊迫した討議が繰り広げられた。

討論の中で「医師でも療法士でも対応できない被災者の心を受け止めることができるのは宗教者ではないか」との体験から、「臨床宗教士」(仮称)などの提案があり、WCRPの活動にとどまらず、宗教界一般の課題ともなる数々の提言があった。

トップへ戻る

心理学とオカルトと

震災以来、たくさんの取材を受けるようになりました。

記者のみなさまは、本当に熱心で、いつも良い記事を書いてくださいます。ただ、取材を多く受けるにつれ、わかったことがあります。それは、「記事は、記者の作品である」ということです。

記事の取材対象である私や支援活動は、記事に載った表現と、精確に同じではない。そうしたことはありえない。それは、考えてみれば当然ですが、しかし、その当事者になってみますと、その事柄の重さを思い知らされます。

しかし、記事と実際との間の「ズレ」は、私たちの現実の活動を、創造的に展開してくれる機会ともなります。むしろそこにこそ、報道が持つ大きな価値があるのかもしれません。

ロンドンのTimesという新聞があります。この新聞の記者の方が、私たちの「心の相談室」の働きを記事にしてくださいました。私も取材されましたが、中心として取り上げられたのは、築館という場所にある通大寺ご住職・金田老師でした。金田師は、この記事を読んで、「実にロンドンらしい」と、笑っておられました。

確かに、「ロンドンらしい」記事でした。私も、取材を受けたのですが、私が言わないだろうことが、私の言葉として、書かれています。その記事を以下にご紹介します。

この記事は、私たちに、一つの創造的展開をもたらすきっかけとなりました。それは、「心理学」と「オカルト」という二つの極端についての考察です。

キリスト教も、仏教も、宗教というものは一概に、それが健全である限り、「目に見える事柄」と「目に見えない事柄」の両方を包括して存在しています。その片方に偏れば、それはたとえば「トラウマ」等の心理学の領域となり、また片方に偏れば、「幽霊」等のオカルトの領域になります。心理学もオカルトも、それはそれで意義深いものです。しかし、それは宗教とは違う。――そうしたことを、先日、ある牧師と議論し、深く学んだのでした。

私は牧師・神学者です。「トラウマ」について語る資格を持っていません。それでも、それを語ったことになっている、そんな記事を以下にご案内します。この記事と現実の間にあるズレは、しかし、先日学ばせて頂いた事柄を深く思い出させてくれるものでした。そのことに感謝を込めて、以下に、Timesの記事をお送りします。

英文の記事がこちらから読めます。

悲しみの声が津波から1年の沈黙をやぶる

被災者の暗闇の中で津波の霊が立ち戻る

(翻訳=遠藤・川上)

日本での被災から1年、-科学的に説明できないことなのか、それとも心理的なものなのか- 悲しみに残された人々にとってつきまとう厄介なものについて、Richard Lloyd Parryがレポートします。

*****************************

それが出没し始めたのは津波がやってきた2週間後のある春の夜のことだ。

小野武(仮名)さんは津波被災地の廃墟となった町や瓦礫の山を見に行った。「私は帰宅後、私は家族と一緒に食事をしました」と彼は回想する。 「私はビール缶を何本か開けて、酔いつぶれてしまいました。その後、私は何も覚えていません。」

その次に、何が起こったのか。それを伝えたのは、恐れおののいている彼の妻であった。妻によると、彼は動物のように毛布をなめ、「誰もが死ななければならない!すべてが滅びなければならない! 」と叫び始めたのだという。

小野さんは、通常は明るく冷静な男性である。36歳で、建築業を営んでいる。この小野さんが、外に走って行き、地面に寝転がったというのだ。更に次の朝、小野さんは誰にも見えない人々を見始めるようになる。彼が見たのは、お年寄りの男女で、泥だらけになった小さな子供と手をつないで歩く姿だった。――津波で亡くなった人の幽霊だ。

このことがあってから2日の後、絶望的になった彼の家族は、地元の僧侶・金田諦応住職のもとに彼を連れて行った。「彼の目は死んでいて、生気のない顔をしていました。」と、金田住職は述べる。 「彼を見たとき、すぐに彼の表情から彼がとりつかれていることがわかりました。だから私は、悪魔祓いを行ったのです。」

彼は暴れる小野さんの襟元を掴み、彼の寺まで連れて行った。「なんだか、とても抵抗したいという衝動がありました――私は住職に対する敵意を抱いていました。」と、小野さんは述べる。 「しかし、住職がお経を読み始めると、私は安堵を感じました。私の目からは涙が、鼻からは鼻水が出てきました。」

金田住職はお経を唱え、聖水を小野さんにふりかけた。そして、最後には明らかに憑き物が落ち、小野さんは穏やかな気持になった。

以上の報告は、1970年代のホラー映画か何かのように聞こえるかもしれない。しかし、似たようなことが、様々な形で、震災以来、東北地方で起こっている。1年前に襲った地震と津波によって生き残った方々は、被災地での荒廃に悩まされているのである。

被災者のみならず、単に被害を目撃しただけの人々からも、幽霊や精霊の存在が報告されている。そしていくつかのケースで、そうしたものを追い払うために金田住職のような司祭が呼び出されている。

たとえば、死んだ同僚の机の周りに不自然な寒気を感じると報告する事務員がいる。助けることが出来なかった友人や愛する人々の悪夢に悩まされる人たちがいる。そして、小野さんのように、霊にとりつかれたように見える人たちがいる。被災地には、様々な形での苦しみがみられる。

問題に直面した宗教指導者たちはこういった幽霊が共通のところから生み出されていることを認めている。それは、19,000人の死者を出し、未だに3200人も発見されていないという災害の心理的な恐怖である。

「ある人々は夜中に暗闇の中で目玉を見つけています」と、 金田住職と共に被災地支援活動に携わるキリスト教の川上直哉牧師は言う。 「何かが柱のそばに立っていると感じたり、目に見えない何かが外で待っていると感じたり、何かわからないものの声を聞たりします。多くの人々が最近幽霊を見ています。その原因は被災のトラウマです。人々が海辺で幽霊を見た話をしますが、彼らが話しているのは家に戻るのが困難だ、ということなのです。」

地震は2時46分に起こり、約40分後に津波がやって来た。いくつかの場所では38メートルもの高さに達する。少なくとも13万件の住宅や建物が破壊され、92万件が何らかの被害を受けた。344,000人の人が家を失い、学校、体育館、寺院の床で寝泊まりをした。

1年間で自分の家を再建した被災者はほとんどいない。そのかわり、人々は全国に分散し、賃貸住宅、「仮設住宅」として知られている金属でできた箱型施設、または親戚の家等に住んでいる。現在、食糧、避難所、医療サービスを避難者に提供するという当面の問題は解決した。これからは、うつ病、慢性的な不安や自殺といったあまり眼に見えないけれども壊滅的な二次災害を防止することに力を注いで行く必要がある。

政府の調査では先週、津波被害を受けた宮城県と岩手県で、10人に4人の被災者が不眠に苦しみ、22%の人々がうつ症状を抱えていることが明らかになった。「津波によって引き起こされる心理的な問題は本当に深刻です」と、仙台市内の日本赤十字秋田大学で臨床心理学を教える斉藤和季教授は述べる。

「精神的な問題だけでなく、高血圧などの身体的な問題に苦しんでいる人たちもいます。一部の人は朝からお酒を飲み始めています。これではアルコール依存症につながってしまいます。」以前はこういった情報収集はソーシャルワーカーによって行われてきた。しかし大多数が津波で亡くなってしまった陸前高田町のような被災地では、こういった情報についての正確な統計を出すことも難しくなっている。

災害時に見られる二つの日本的側面が、被災者の心理的苦痛を追加した。そのうちの一つは、被災直後には日本の長所のように見えたものだ。それは、生存者の困難な状況に対処できるという性質と不平禁欲主義である。

予想に反して、窮屈で不快な避難所で強制的に生活させられていた時、目に見える絶望や悲しみといったものは、ほとんどなかった。「彼らは泣かなかったのです。彼らはすべてを失ったのでしょうが、彼らはまったく感情を出しませんでした」と被災者のために200回もの葬式を行った金田住職は述べる。「彼らの悲しみはとても深く、あまりに突然に起こった出来事なので、何が起こったのかを理解すること自体が困難だったのでしょう。」

しかし、巨大な金属容器のような仮設住宅へ被災者が移動したとき、変化が起こった。窮屈だけれども和気あいあいと共同で生活していた避難所から、相対的にはプライバシーが守られる仮設住宅に移動した時、悲しみと損失は、まるで津波の第二波のように押し寄せてきたのである。

「ある人達はあまりにも感情を表に出さないために、泣く機会を失ってしまいました」と、仏教僧侶の谷山洋三氏は言う。「彼らは悲しみが積もり積もって怒りや絶望に変わることに気づいていないのです。」

津波は、生命や家屋を破壊しただけではない。津波はまた、日本の家族の精神的基盤をも破壊してしまった。このことが、津波被害の特徴であったという。家が残っている場合でも、家族が逃げきる事ができた場合でも、津波が精神的な信仰の中心である3つのものを押し流してしまったのだ。それは、墓地、寺院、そして家族の祖先の名前が書かれている位牌である。

多くの人が突然亡くなった。それで、多くの家族が、伝統的な仏教儀式なしに自分の愛する人を埋葬しなければならなくなった。――それでも遺体が発見されている場合であり、それは幸運なケースと言えるかもしれない。「日本の宗教的信念は、祖先崇拝に基づいていました。その崇拝のシンボルが、失われてしまいました」と、東北大学宗教学部の鈴木岩弓教授は言う。日本の家族は、毎年8月に集まり、墓地で祈りを捧げる。その家族の墓地は、津波によって、洗い上げたように無くなった。その結果、多くの家族は、彼らが生きていた親と子供だけでなく、祖先までも失ったという感覚が残った。

「生きたかったのに、たくさんの人達は死ななければならなかったのです。」と小野氏は述べる。「死んでしまった人たちと生き残った人たちは、お互いに強い愛着を持っていたのです。だから、後悔の念からくる負担が強すぎるのです。それで、私は幽霊のようなものの存在を目にするか、または感じることは非常に自然なことだと思います。これは私自身の経験から言うことです。」

(引用:Times様 http://www.langaa-rpcig.net/+Ghosts-of-the-tsunami-return-in+.html

トップへ戻る

レベッカ・ソルニットさん来訪

今年の3月11日を目指して、本当にたくさんの行事が行われました。

数千の花火を打ち上げる催事、宮城県内ほぼすべての宗教団体共同での合同慰霊祭、その他、私たちの身の回りでも、 たくさんの行事が行われました。

私たちが他の宗教者・医者・学者と共に作り上げ続けてきた「心の相談室」もまた、一周年ということで、何かしようか と、話し合いました。その話し合いの中で、一人のジャーナリストが米国から来仙するという情報が入りました。

「心の相談室」で接遇を、という依頼を頂いたのです。

その方は、レベッカ・ソルニットさんという方でした。日本でも、『災害ユートピア』という書物で知られた方です。

私たちは、この方を中心にイベントをしようかと話し合いました。しかし、イベントはしないことにしました。むしろ、この方をお招きし、私たちについて取材をして頂いて、自分たちの一年間を振り返る時を持とうと思ったのでした。

その報告書を頂きましたので、以下にご案内します。

この報告書は、西本願寺ボランティアセンターの金澤豊先生がお書きくださったものです。

被災地における宗教者の協働の証として、ご報告いたします次第です。

報告書

日付:2012年3月10日(土)

報告者:金沢豊(浄土真宗本願寺派)

参加者:西本願寺ボランティアセンター、金剛寶山 輪王寺、松緑神道大和山青年部理事長、東北ヘルプ

15:00-16:30

■曹洞宗 金剛寶山 輪王寺(仙台市青葉区)にて、日置道隆老師より「いのちを守る森の防潮堤」の説明を頂く。(その詳細は、こちらをごらんください)

■日置老師より、環境保全林作りの説明を受ける。特に震災後に宮脇昭氏と日置氏が提唱している植樹活動の概要と震災瓦礫の活用方法のレクチャーを受けた。

津波被害を被った現地の調査や啓発活動の写真を拝見し「楽しんで取り組むエコ活動」について意見を交換した。レベッカ氏は英語圏の話題の中心は原発であり、「災害後の悲嘆にどのように対応しているのか」「寺院がどのような役割を果たしてきたのか」に興味があるとのこと。

16:30-17:00

自動車にて移動。

17:00-20:00

■東北ヘルプ事務局にて情報交換会。

■タイムライン

・川上氏による東北ヘルプの活動紹介と心の相談室の設立経緯説明

・殿平氏、金沢による本願寺の活動紹介

・菅井氏による名取市の状況、被災状況の説明

・レベッカ氏によるコメント

・質問とフリートーク

■議論の所感

・東北ヘルプ事務局をお借りし、円卓形式で情報交換会を行った。全体的にレベッカ氏に説明する形式をとったが、各団体の1年間の活動を互いに確認する機会となった。

・各自15分程度で説明。レベッカ氏のコメントと質疑応答も交えた。

・東北ヘルプより、食品の放射能チェックや外国人被災者の支援など具体的な活動内容を紹介し、支援者の支援が継続してなされていると報告。

・医療者が室長になり超宗教の宗教者の取り組みである「心の相談室」について紹介する。日本の宗教界が抱える政教分離の原則の問題を解説。

電話相談やラジオ番組の設立、サロン活動によって災害後の悲嘆に向き合ってきた一年間の実績を紹介。

・名取で被災された松緑神道大和山青年部理事長より、一年間の報告。自宅が半壊した様子を鮮明に語られ、最近は「再建に向け」という報道に違和感を覚えるとのこと。情報が遮断されている状態の方が精神的に安定していたといい、身勝手な報道が乱立する現状が指摘される。

・西本願寺ボランティアセンターより、平時の日本の寺院の役割について紹介。金沢は自然災害を目の当たりにして僧侶として出来ることの一つに悲しみの側に徹底的に寄り添うことを提案。

■レベッカ氏コメント(抜粋)

・災害は突然起こり、人びとは居場所を失う。

→被災地の宗教者は、物理的にも精神的にも、人びとに居場所を提供していると理解している。

・災害は民衆ではなくエリートがパニックを起こす。今回も例外ではなかった。

・もとの秩序に戻るのではなく、新しい秩序を生み出さないと行けない。

・政治ではなく自治が重要になる。

・自著については、『災害ユートピア』という邦題がついていたが、原題は”A Paraise Bult In Hell” である。特にパラダイスとはHell(地獄?)の中に意味を見いだし、つながりを生み出すことだという補足説明があった。

・大災害というものは、人間の本質を深く考える機会になる。

※レベッカ氏はハードスケジュールのうえ一度に多くの情報を提供したため消化不良気味だった。情報を咀嚼していただき改めて意見を請う必要があると思う。

20時に閉会した。

以上

トップへ戻る

これ以前の記事は、こちらのページで補完してあります。ぜひご覧下さい。