生活支援・自立支援

「見えない被災者」の支援

震災以来、東北ヘルプは、他の団体と共に、被災者の支援に勤しんできました。
東北ヘルプは小さな支援団体ですが、150余の団体と共に支援に当たることで、広範な働きに参画しつつ、今日に至っています。

2011年の秋ころから、ずっと問題になってきたことがあります。
それは、「借り上げ仮設」住民」のケアでした。

避難所が解散した後、仮設住宅に入られた方に対して、全国から多くの支援が送られました。しかし、実際のところ、避難所にいた方の2割しか、仮設住宅にはお住まいになりませんでした。8割の方は、アパート等、所謂「借り上げ仮設」(「民賃」とも呼ばれます)に入られました。

この8割の方に、多くの支援団体が支援をしたいと思いました。しかし、ほとんどの場合、それはかないませんでした。「個人情報保護」の壁が立ちふさがり、アクセスすることがで困難となったからです。

キリスト教系団体でも、カリタス・ジャパンのみなさまは、見事なお働きにより、この8割の方の一部にアクセスすることができました。しかしそれは、ごく稀なケースとなりました。

避難所におられた8割の方は、「見えない被災者」となってしまっていたのです。

私たちはしかし、昨年秋から、仙台市内の「仮設住宅以外に住む被災者」の方に、アクセスすることができるようになりました。
ルーテル同朋教団仙台教会の鈴木さんが、偶然、避難所時代の支援を通して友人となった被災者の方に再開し、その方が「借り上げ仮設」の互助組織を作って活動していることを知らされたからです。鈴木さんは、丁寧な、そして心のこもった支援を始めておられました。そして、私たちに声をかけてくださり、東北ヘルプも、その支援の輪に入れて頂くことができたのでした。

その支援の最初のレポートを、東北ヘルプの戸枝正輝職員が著してくれました。以下にご紹介いたします。
私たちは、行政や世間の目からこぼれている方々が孤立しないよう、心を尽くして励みたいと思います。
どうぞ、皆様もお覚え下さればと願い、ご高覧を賜ればと存じます。

(2012年3月8日 川上直哉 記)

トップへ戻る

2012年秋季 自立支援報告 その2

第二回 石巻支援

東北ヘルプには、いくつかの特徴があります。

第一に、「東北」全域を視野に入れて活動しているということです。 東北全域は、私たちにとって、少々過大な活動領域と思います。 ただ、私たちはキリスト教を背景にしていますから、 「しなければならないこと」は「できること」だろうと、 そう信じて、ここまで来ました。

第二に、「キリスト教が掲げるべき福音」を理念として活動しているということです。 福音とは、失われ、打ち捨てられたいのちに、復活の希望として届けられるものです。 それは、数や量を問いません。 それは、一人のひと・小さな群れ・一つの命を見つめます。

そうした私たちの特徴をよく表す支援として、石巻「出前寺子屋」の事業があります。 これは、民間のボランティアグループと共働して行っているものです。 支援事業は、石巻開成仮設住宅団地で行われています。 担当者は、谷村さんとおっしゃいます。塾講師をしておられる方です。

仙台に本拠地を置く東北ヘルプですが、 石巻の支援ができることは、共働してくださる方のおかげです。 感謝に堪えません。

そして、担当の谷村さんは、この事業の特徴をこう語ってくださいます。

「この支援は、学習支援です。ただし、これは児童限定の学習支援ではありません。この支援は、学校の勉強の補助ではないのです。ですから、大人も子供も参加できます。この支援は漢字検定・英語検定を目指して学習をするものです。ただし、それが就職に役立つから行うのではありません。そうではないのです。学習とは、学校の為でもなく、就職のためのものでもありません。学習とは、生きる喜びを思い出すためにあるのです。  私たちは、学習を通して、被災者に生きる喜びを確保していただきたいと願っています。そして、その学習会が、新しいコミュニティーを生み出していくことが、その目的となっています。ですから、大人数を扱いません。一人一人に寄り添って、一人一人を大切にして、事業を進めてきたいと思います。」

この谷村さんのお考えは、その活動報告に明らかです。以下に、それを紹介します。

この谷村さんのお考えは、まさに、東北ヘルプに「ぴったり」だと、私たちは考えました。それで、私たちは、どうにかして活動が継続するよう、支援させて頂きたいと願いました。米国のCGMBというキリスト教団体が、私たちの思いに応えてくださいました。

下記に、この秋の石巻支援活動の報告書をご提示します。その中には、寄り添うことによって見えてくる被災地の現状が整理されて記されています。東北の現実の一端をお知らせできればと願う次第です。

(2012年12月21日 川上直哉 記)

トップへ戻る

2012年秋季 自立支援報告

前書き:

2012年も間もなく終わろうとしています。
この年、東北ヘルプは大きな波の中にありました。

夏、東北ヘルプは、その存廃を決する時を過ごしました。
その結論は、11月の全体会を以て一つの結論を得ました。
既に「事務局報告」でご案内した通り、 東北ヘルプは「連帯」を希求するために、 細々とでも継続する手立てを探ることとなりました。
ただ今、その具体的な手続きをさらに進めているところです。

秋、東北ヘルプは、放射能の問題に取り組みました。
その結論は、12月4日から一週間行われた国際会議で、 一つの大きな到達点を見ました。
それは9月17日の「聖会」から始まるものでした。
10月の「福島の震災を語る会」を経て、
11月23日の日本基督教団「教区のつどい」、
そして12月の国際会議へと、一つの流れを辿るようにして、 東北ヘルプは、放射能の問題に取り組んできたのでした。
本ホームページでは、 10月の報告までが「放射能関連」のページにアップされました。 間もなく11月23日の報告をお示し、そして国際会議の報告をいたします。

そしてこの夏から秋にかけて、 東北ヘルプはいくつもの「自立支援」を行いました。
今、その成果を一つの資料にまとめつつあります。 以下、その報告を、ご案内することといたします。

第一回目は、仙台新港の漁民の皆様への支援です。

_______________________

第一回:仙台新港支援

 東北ヘルプは、被災地の支援者の連帯を生み出すことを目指して活動を続けています。一つ一つの団体は、どんなに大きな力を持っていても、単独では限界を帯びます。東北ヘルプは小さな団体ですが、大きな力を持った諸団体を連結させて頂く働きに携わり、その結果限界が乗り越えられて行く不思議を、何度も拝見してまいりました。私たちはそれを、「神様の業」と思い、感謝して働きに勤しんでいます。

 今秋、私たちはまたそうした働きに携わることができました。

 仙台新港という漁港があります。その港は、港湾整備の過程で複雑に地権が入り組んでしまい、震災後の地盤沈下に対応する嵩上げ工事等、漁港の復旧がとても困難な漁港となりました。仙台市内にある漁港ですから、陸上(漁民の皆様は、「おか」と呼びます)には、復興事業に伴う土木作業等、仕事はあるのです。しかし、漁業を行うことができない。そのことは、漁民の皆様の苦しみです。

 それでも、全国・全世界から寄せられる善意の支援を受け、漁船を共有するなどして、少しずつ漁業を始めていたのが、2012年の夏でした。

 そんな現状を知ってほしいと、漁民の皆様はお考えになりました。東北ヘルプに繋がる若林ヘルプが、その声をキャッチし、東北ヘルプ事務局に繋ぎました。

 私たちは仙台新港で出会い、被災当時の生々しいお話を伺い、今の心配をお訊ねしました。夏の盛りの暑い日でした。漁民の皆様は、「冬が怖い」とおっしゃいます。多くの支援に支えられ、今は赤貝を中心に漁を行うことができている。感謝に堪えない。しかし今、その漁のための待機所がないのが悩みである。港はすべて波にさらわれ、漁具を措く場所すらないのが現状である。夏の間は、屋外に待機して漁に出ればよいから、問題がない。しかし冬になったらどうか。漁に出るまでの待機所が無ければ、寒さに凍えて漁ができなくなる。そのことを心配している――とのことでした。

 東北ヘルプは、この問題に取り組むべく、三つの連絡を繋げました。

 一つ目は、亘理聖書キリスト教会の熊田宏之牧師との連絡です。私たちは漁業について、何も知りません。「冬の間の待機所」として、何が必要なのか。私達にはわからないことだらけです。そこで、亘理聖書キリスト教会の熊田宏之牧師に応援をお願いしました。熊田牧師は、亘理町の漁師の皆様と震災直後から深い親交を重ねられ、漁民の皆様の心情までよく知っておられる方です。熊田牧師は、二つ返事で協力を約束してくださり、すぐに仙台新港の皆様に会いに行ってくださいました。

 二つ目は、米国の宣教団体CGMBとの連絡です。CGMBは、日本基督教団等とつながりの太い団体です。今年春、東北ヘルプはこの団体と協力関係を結び、支援金をお預かりしてご一緒に被災者への救援活動に勤しむこととなりました。この団体からの支援金が、熊田牧師の知見と結び合い、支援は具体化し始めたのです。

 三つ目は、日本国際飢餓対策機構との連絡です。日本国際飢餓対策機構の皆様は、今もなお、震災のための働きを続けてくださっています。そして今回も、細やかな不足に迅速に対応してくださいました。

以上三つの連絡の成果は、3カ月の時間を経て、一つの支援に結実しました。その報告書を、皆様のご支援に対する感謝を添えて、下にご案内します。ご高覧を賜り、私たちの小さな業を引き続き覚えて頂ければ幸いです。

(2012年12月20日 川上直哉 記)

トップへ戻る

「響き合いプロジェクト」と共に

東北ヘルプは、様々な団体・組織と共に被災者の「自立」を支援したいと願っています。

たとえば、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオのような、多くのスタッフやボランティアが現場に出て働く団体・組織もあります。他方で、多くの人に支えられながら、一人の専従者が東奔西走している組織もあります。

多くのスタッフが現場に出ている団体・組織にも、一人の専従者が飛び回っている団体・組織にも、それぞれ得意分野があり、また、助けを必要とする場面があります。

東北ヘルプは、できるだけ多様な団体・組織と連携を取り、その必要に応え、ご一緒に働きたいと願っています。

「ライフワークサポポート・響」という団体があります。この団体は、仙台の弁護士をはじめとする多くの方が関わり支えている団体です。この団体の現場には、いつも「阿部さん」がいます。この団体は、阿部さんという「一人の専従者」が東奔西走する形で、被災直後から今に至るまで働き続けているのです。

東北ヘルプは、他の方々と共に、阿部さんの働きを支援してきました。そしてこの9月末に、「響」の活動を支援するチャリティーコンサートに参加しました。このコンサートは「響き合いプロジェクト発足記念」と題して、シンガーソングライターの木村真紀さんが日本基督教団横浜菊名教会の皆様などとの連携の中で開催してくださったものです。
(木村さんによる報告などは、こちらをご覧ください。)

東北ヘルプからは、事務局長として川上が参加し、阿部さんとご一緒に壇上で被災地の報告をさせて頂きました。木村さんの呼びかけに応え、会場が満席になる程、東京近辺の皆様が参加してくださいました。こうして、一人の尊い働き人の業が、次々と広がっていきます。それは、被災地という悲しみを始点として展開する、大きな喜びの出来事だと思います。

このチャリティーコンサートの報告を阿部さんがまとめてくださいましたから、以下にご紹介いたします。コンサートでは募金が行われ、「ライフワークサポート・響」の活動のために大きな力をいただくことができました。そのために私たちが少しでもお役にたてたことを思いますと、東北ヘルプをお支え頂いている皆様への感謝の思いを新たにさせられます。その感謝の思いを込めて、以下に報告を掲載いたします。

(2012年10月17日 川上直哉 記)

「木村真紀 ”響き合いプロジェクト”発足記念コンサート」ご報告


まだ暑さの残る東京目黒で被災地と被災地を離れたところで暮らす方々との支援の絆が結ばれました。

昨年発災から2か月ほど経過した頃、私の呼びかけで子供たちへ学校で使うリコーダーや鍵盤ハーモニカの支援を下さったミュージシャンの下成佐登子さんの繋がりで今年6月に多賀城で開かれたイベントで木村真紀さんに出会いました。

イベントで歌われた真紀さんの透き通った歌声、彼女の思いがストレートに表現された歌、何かが起こる!何かを起こせると直感しました。

イベント終了後、佐登子さんと真紀さんとじっくりとお話しする時間を頂け私が支援で回り対応した事例や被災地の現状をお話ししたところ真剣に聞き入れて下さいました。

彼女らの耳に届いていない被災地の現状、彼女らにはショックと衝撃を与えてしまいました。

しかしこの現実と伝えていかなければこの災害を風化させてしまう。

災害の風化はこれから起こりうる各地での災害に大きな影響を及ぼす。

そう考える私は彼女らに必死にこの地の現状を伝えさせていただきました。

その結果、8月に響が多賀城市と気仙沼(津谷)で開催した夏祭りに協力いただく事が出来、被災者さんと直接接していただく事が出来ました。

真紀さんが被災者さんから頂いた言葉や思いを地元に持ち帰り、それを伝えてくれた。

地元での反響から被災地を離れた人たちの中でも何らかの支援をしたいが何をしていいのか分からない等の話もあり「響き合いプロジェクト」を立ち上げました。

「響き合いプロジェクト」これは、賛同者からの寄付を活動資金として、現地の支援団体と連携、東北の方々の心のサポートに繋がるコンサートやワークショップを現地で行うというもの。

この「響き合いプロジェクト」の発足を記念して9月22日(土)東京都目黒にある「めぐろパーシモンホール」にて「“木村真紀”響き合いプロジェクト発足記念コンサート」が開かれました。


コンサートチラシ

当日は会場となるコンサートホールは満員の状態。

こんなにも沢山の人達が被災地に関心を持ってくれていると嬉しくワクワクしたのが今でも思い出されます。

記念コンサートは2部構成で1部では被災地の現状報告、2部では3名のミュージシャンと急きょ結成された市民コーラス隊の響き合いコンサートが行われました。

ここでチョット主催者の木村真紀さんのfacebookをお借りしてご紹介いたします。

「1部では 直前に大きな出会いがあり、東北ヘルプ(キリスト教系支援団体)の事務局長の川上先生がトークに加わってくださいました。阿部さんとも仲良しでともにがんばっていらっしゃるおふたりを囲んで、司会の黒田育美さんのリードで とてもわかりやすく 他ではなかなか聴くことのできないお話しをうかがうことができました。

もっともっと聴きたかったとのお声もいただきました。時間が足りなくて ごめんなさい。」

真紀さんのご紹介の通り川上先生に駆けつけて頂け、内容の濃いトークショーを行う事が出来ました。

川上先生に感謝申し上げます。

トークショーの中では、私が日々対応する事例を一つでも多くご紹介したい処ですが限られた時間、どうしても被災地を離れた地の方に伝えたい事がありました。

私は今目の前で起きている事に対応していく事は大事なことと考えておりますが、それよりももっと大事なことは、同じことを繰り返さない事。

近く首都圏でも直下型地震が起きるともいわれ、関西方面では南海トラフが動き出すともいわれています。

いつどこで起きるかわからない大規模災害に今回の東日本大震災で起きているさまざまな出来事を教訓に個人単位でも考えてほしい。

いざとなれば自分の身は自分で守るしかない、それを伝えたかったのです。

司会の黒田さんから今私たちは何をすべきかの問いに、川上先生からも今被災地で起きている事を知ることが大事、そして自分たちで考える事!!こんなお話も頂きすごく共感いたしました。

そして私のほうからも、この場で聞いた事をひとりでも多くの方へ伝えて頂きみんなで考えて不幸にも災害が起きてしまった場合思い出してほしい!いつまでもこの震災で起きている2次的被害を忘れないでいて欲しい!この震災を風化させないというのは被災時の様子を思い返す事ではない。

あの時何が起こったか?どんな行動がとられたか?それがどんな結果を生んだか?そして自分たちの身の回りで起きた時にどうしなければならないか?常に思い返せるように頭の片隅に置いておく事で風化は免れる。こんなお話をさせていただきました。

2部では、木村真紀さん、下成佐登子さん、盲目のギタリスト増田太郎さん、市民コーラス隊「パップス」の皆さんのコンサート。

真紀さんが発災後に作った歌「祈り」や沢山の曲、佐登子さんの懐かしい歌、太郎さんの優しいバイオリンの音色や楽しい唄。

そして沢山の市民の方が集まり結成された「パップス」のコーラスも短期の練習とは思えないほどの綺麗な歌声でした。

皆さんのこのプロジェクトを成功させたい、被災地に届けたいという思いを頂けました。

次はぜひこの被災地へお招きして歌って頂きたいですね!!

また今回の記念コンサート終了後、参加頂いた方、ご来場いただいた方がそれぞれご感想を寄せて頂く事が出来ました。

その一部をご紹介させていただきます。

「響きあいプロジェクト、参加させていただきましてありがとうございます。阿部さんにお会いできて本当に良かったです。本当はもっと阿部さんのお話をお聞きしたかったというのが、感想です。でも仲間がたくさんいると、私たちも心強く思うことができた時間でした。これを縁に、これからも響きあっていきましょう!!」
(コーラス参加の方)

「阿部さん本当にお疲れ様でした。また、有り難うこざいました。阿部さんの話、本当の現状の被災地の状況が手に取る様にわかりました。
こういう生の声必要じゃないかとおもうんですよね。世の中、パソコンや携帯のiモードなどが使えない人はテレビとか新聞、雑誌から情報しか入手出来ない人て結構、多いですよね。
それと僕が本当に心配しているのは、販売スタッフとして会社で仕事をしている時、関東の方ではもう、お客様から被災地の話の話題が全く出ないです。そうそれだけ、感心が薄れてきているんです。
僕に出来ることは自分の仕事でお客様と接客する機会があった時に本当の被災地の現状お伝えするのが義務かなあと思ってます。
今回、集まって頂いた方が1人でも多く、行かなかった方へ伝えるということが必要だと思ってます。頑張りましょう。阿部さんきっと報われる時がきますよ。」
(会場へ来て頂いた方)

もっともっと沢山の感想を頂いております。

頂いたご感想の中でもっと話が聞きたかった、また話を聞かせて欲しい、というお言葉を沢山いただいています。

響き合いプロジェクト事務局の方からも、次回のお話を頂いておりますので一日でも早く皆さんの処へお伺いしたいと思います。

私たち「ライフワークサポート響」は被災地での支援は勿論の事、被災地外で支援を考えている方々のお手伝いもさせていただいています。

私たちの出来ない支援を皆さんお持ちになっている。

この現実は直接被災された方々へも有益になります。

一日でも早く被災地の人たちの自立につながる支援!!

みんなで助け助けられ自助努力を促す支援が緊急に必要です。

「響き合いプロジェクト」では、趣旨にご賛同頂ける皆様にご寄付をお願いし真紀さんが被災地で繰り広げる歌による心の支援とライフワークサポート響の活動への支援を目指しています。

今回の記念コンサートにおきまして、沢山の方のご支援を頂きまた多大なご浄財もお預かりいたしました。

皆様の被災地を思う心を胸に今後も被災地の困ったと言うさまざまな問題に取り組み支援を続けていきたいと思います。

また今回のコンサートへご足労いただきました川上先生には、私どものため遠路足をお運びいただき公演開始直前までご指導頂いたり、ご来場いただいた皆様へありがたいお言葉を添えて私をご紹介いただきまして大変感謝いたしております。

今後とも太い絆を持ち響き合える関係でお付き合い頂きます様お願いいたします。

ライフワークサポート響の支援は生きる事へ直結する事が多く、また多方面の方々との響き合いが重要になっております。

沢山の皆さんと連携し被災地の人たちの支援、また今後起こりうる各地での災害に対する啓もう活動にご賛同頂ける皆さんと活動を共にしていきたいと思います。

沢山の方との響き合いに感謝!!

ライフワークサポート響 代表 阿部 泰幸 拝

トップへ戻る

「スローワーク」と共に

東北ヘルプは、「自立支援」を目標として、被災地の支援事業を展開しています。

「自立」とは、難しい目標です。油断すればとても「傲慢」な言葉にもなります。しかしこれを見失うと、「スポイル」という落とし穴に落ちてしまうこともあります。

私たちは、できるだけ多くの支援者とつながり、できるだけ多様な働きを共にさせて頂くことで、この困難な目標に向けて前進しようと思っています。

東北ヘルプにとって「ごく近しい団体」に「日本基督教団東北教区被災者支援センター」があります。この支援団体は、「スローワーク」という標語を掲げています。(詳しくは、こちらをご覧ください。)

「スローワーク」。それはとてもユニークな、そしてとても大切な視点を掲げる言葉です。

この夏、この言葉を掲げる働きに、東北ヘルプも協力させて頂くことができました。事務主任の長嶋さんを派遣させて頂くことができたのです。その報告書が出来上がりましたので、以下にご報告させていただきます。

こうした一つ一つの働きが実り、「自立支援」という大きな目標に到達できることを夢見ながら、感謝して皆様に報告書をご紹介いたします。

(2012年10月16日 川上直哉 記)

教団東北教区被災者支援センター・エマオ石巻に専従者補佐として参加して

東北ヘルプ事務主任:長嶋清

私は、東北ヘルプから派遣され、日本基督教団東北教区被災支援センター・エマオ石巻での活動に、7月初めより3ヶ月、週三日ではありましたが専従者補佐として参加させて頂きました。私自身、被災地石巻の築山・エマオ石巻センターに滞在しながら、石巻の被災者達と直接関って仕事をする機会が与えられ感謝いたしております。無事、この働きが終了しましたので、エマオ石巻で見聞きし体験しことを、以下に報告させていただきます。


  • エマオ石巻センター前

  • 台湾からのボランティアと

私は、日本基督教団(西那須野教会)の信徒ですが、昨年の10月よりキリスト教のエキュメニカルな活動としての仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)で事務主任として仕事をさせて頂いておりました。主な業務は、被災者への人道支援(仮設住宅の方達、外国人被災者達、放射能におびえる方達へのケア)、教会ネットワーク構築に関しての仕事などでした。以前、西那須野にあるアジア学院で、多くのボランティアの方々とご一緒の仕事を長くしてきました。この夏、エマオ石巻では、被災者支援活動に何らかの方法で関わろうとするボランティアの方々が多く集われました。その集まった人数に対して、スタッフの側の人手が足りないということで、アジア学院での経験を活かしてほしいとお声掛けを頂き、この度、三か月間の新しい業務についた次第です。

エマオ石巻での活動は、昨年以来、スタッフおよびボランティアの献身的な働きが進められていました。この春にはすでに被災者との関係づくりが出来ていたこともあり、特に今夏は、漁業者の多い「祝田」「荻の浜」、加工業者・勤め人の多い「渡波(わたのは)」といった地域で、多くのお手伝いをさせて頂くことができました。


  • 荻の浜 その1

  • 荻の浜 その2

被災した漁師さんたちとは、時期的に大切で人手が不足し困っていたカキ養殖の手伝いに参加させて頂きました。時には仕事の合間に津波で被災したときの様子、現在の置かれた状況についてお話が聴ける大切なときとなりました。

また、被災者のお宅・庭などの草取り、畑の草刈なども、ボランティアの方々と共にお手伝いをさせて頂きました。特に、避難地域から被災者が集まってくる唯一の神社の夏祭りにむけて、参道の草取り・清掃をさせて頂いたことは印象に残っています。また、時にはまだ土の中に残っていた瓦礫の除去などの仕事もさせて頂きました。こうした合間に、被災者皆様から色々の話をお伺いすることが出来たことはうれしい思い出となりました。

その他に、仮説商店街での日よけ作りとその設置作業、子ども達への教育支援プログラム、仮設住宅でのバーベキューの手伝い作業等々の仕事がありました。


  • 教育支援プログラム その1

  • 教育支援プログラム その2

8月の後半には、エマオ主催での夕涼み会(夏祭り)が石巻栄光教会幼稚園で行われ、近隣の被災者も多く集まり盛況に行うことが出来ました。このプログラムの為に、100名近いボランティアさんが石巻近辺、エマオ仙台、神戸の長田支援センター、明治学院東村山校から来て協力して下さりました。子供から大人までの参加者に喜んでいただける、素晴らしいイベントでした。エマオ石巻の若いスタッフ達は、その中で準備、後かたづけと献身的に仕事をしておりました。私自身、彼らから本当に勇気づけられました。

7月から9月にかけては日本各地からの青年達、年配の方達の他に、アメリカ・台湾の教会の方達がグループでボランティアとして参加して下さりました。エマオ石巻は被災地・築山の中にセンターとしての宿泊場所を持っています。ここに集う日本人青年参加者の大多数はノンクリスチャンでした。この人々にとって、石巻エマオは、被災地の人々と寄り添う働きとして活動しているキリスト者の働きに出会う(キリストの宣証)大切な場となったように思います。

実に、石巻センターという場所は、昨年の東日本大震災での被災状況を今でも知ることが出来る場所、ボランティアに参加することの意味を考えることができる場所となっています。この場所は大切な役割を担っており、石巻エマオの働きは重要なものだと思います。今後とも近隣の方達、被災地域の方々との協力、石巻の教会の方達との協力の中で活動を続けて行くことが大切であるように思います。

私は、長年研修農場の中で、そして、ここ数年は有機農業者として自立して仕事をしてきた者です。その私にとって、当初、エマオでの仕事の仕方に「まどろっこしさ」を感じていたことは事実です。しかし、被災者と寄り添って歩む為の仕事として、急ぐことなく、ゆっくりと時間をかけながら仕事をする「スローワーク」の大切さをも知ることが出来ました(ただし、道具・農具・作業機等の使い方に関しては、用途に合わせたそれぞれの用い方を今後もっと学ぶ必要があるかと思いました)。

私は以前の職場で研修の為に大型免許を持ちマイクロバスの運転もしていた経験がありました。この経験を活かし、先述した「夕涼み会」では、幼稚園のバスを運転してお手伝いをすることができたことは感謝なことでした。具体的には、駅に到着したボランティアさんの送迎、宿泊所と銭湯の送迎、被災地フィールドワーク(視察)での運転のお手伝いをさせて頂きました。

また、この三か月の期間の中で、海外からのボランティアさん達の為には、日常の通訳の奉仕、被災者との交流の奉仕をさせて頂きました。素晴らしい漁師さんとの出会い、いろいろと仕事の事でアドバイスをして下さった年配の被災者の方達、ボランティアのリピーターとして自費で何度も参加し被災者との共感を持って活動して下さった方達との出会い――これらは私にとって、とても素晴らしい時でした。この時を与えて下さったことを感謝して、報告を終わります。

トップへ戻る

「豊かさ」を求めて

東北ヘルプは、「支援者を支援する」ことを目指しています。 この目標を考えるとき、一つの疑問がわいてきます。

「支援される人」とは、誰でしょうか? 「支援する人」とは、誰でしょうか?

私たちは助け・助けられながら、日常を送っています。 今、被災地には「被災後の日常」が展開しています。 その被災地において、「支援者を支援する」とは、どんな意味を持つのでしょうか。

一つの答えは、仮設住宅自治会の方々を支援する、ということにありそうです。 自治会の方々は、「支援者」であり、かつ、「支援される人」でもあります。 そうした自治会の方々の「こんなことができれば」というお声に耳を傾け、 その願いに向けて共に励むことができれば、 「支援者を支援する」働きは健全な展開を示すのではないかと、 私たちはそう考えています。

「支援者/支援される人」が一つになって共に生きるとき、 そこに「豊かさ」が生まれるのではないかと、そう思うのです。

今回、仙台市内の仮設住宅において、そうした試みの一つが行われました。 担当した職員は、本当にうれしそうに報告をしてくださいましたから、 その喜びをそのまま、報告書にしてもらいました。 以下にご紹介いたします。 皆様のご支援が、一つの喜びを生み出しましたことを、心から感謝して。

(2012年10月15日 川上直哉 記)

集会所いっぱいに広がるコーヒーの香りで、一時の優雅な気分

10月に入り、秋の虫の声響き渡る秋がやって参りました。何かと忙しく、そして体にも負担が多かった夏を乗り越えて、これからの季節は室内で、ほっとする時間を持ちたいものですね。

東北ヘルプでは、職員有志でそんな「ほっとする」ひと時を仮設住宅にお届けしようと「出張コーヒー焙煎&カフェ」を始めました。

2012年10月3日 卸町仮設公園住宅にお邪魔して第一回目は行われました。 コーヒーの焙煎は仮設の皆さんと一緒に行いました。準備の段階から積極的に参加してくださり、焙煎機のハンドルを回す度に聞こえてくる豆を煎る音と香りが心と会話を弾ませてくれました。そして、煎りたてのコーヒー豆で10時のお茶の時間を皆でいただきました。


  • 豆を煎る様子

  • 煎りたての珈琲豆

「うわぁ、コーヒーのいい香り!まるで集会所がカフェになったみたいだね!」「このままいい香りが1週間ぐらい残るといいね。」「こんな美味しいコーヒーが飲めるなんて、今日はいい日だなぁ。」と大変喜んでいただくことができました。


  • 幸せな薫りが集会所に広がりました

  • みんなでお茶タイム
特に嬉しかった言葉は、帰り際に、「また、やりますよね?ひと月に一回はやってくれますか?」とい言葉でした。もう次のこの時間を楽しみにしてくれている方がいる。

皆さんと直接お会いして、豆を煎りながらたわいもない会話をし、出来た豆でコーヒーを一緒に飲む。 時間というものは見えないけれど、シンプルで何でもないようなその流れの中で、結ばれて繋がっていく「良いもの」が確かに見えた気がしました。

私達東北ヘルプスタッフにとっても、至福のひとときとなりました。 これからも仮設住宅やイベント、集会等でコーヒーを通して沢山の方とお会い出来ればと願っております。

(2012年10月4日 遠藤・沼里 記)

トップへ戻る

連帯の輪を広げて

東北ヘルプは、「支援者を支援する」という理念の下、1年半の月日を過ごしました。今被災地は「被災後の日常」を生きています。「日常」は人それぞれに異なり、油断をすると私たちはバラバラになってしまいそうです。今は、「連帯」こそ、大切な言葉だと思います。そのために「支援者を支援する」私たちにできることがあるのではないかと考えています。

私たちにできることは限られていますが、他の団体と協力することで、できることは無限に広がります。それは、私たちを支援してくださり繋がってくださる皆様の力が、無限に広がることだと思います。

そうした思いを込めて、若林区内で行われた連帯を求める会議に、東北ヘルプ職員の戸枝さんを派遣しました。その良い報告書が届けられましたから、ここにご紹介したいと思います。

日本基督教団被災者支援センターをはじめとするキリスト教諸団体のみならず、一般の多くの団体と連帯する。そうした私たちの働きを憶えて、どうぞ、お祈りくださいますよう、お願いいたします。

(2012年10月4日 川上直哉 記)

復興の輪ミーティングに参加して

9月25日(火)若林区社会福祉協議会が主催している「第9回 若林区 復興の輪ミーティング」に参加しました。この会は月1度行われ「1.お互いに知り合い、情報交換をするための場づくり。2.必要なところに必要な支援をするための情報共有の場作り。3.被災された皆さんと共に集まることで、皆さんが一日でも早く平穏な日々に戻れるような支援について考える場作り。4.月1回程度のミーティングの開催、5.メーリングリストによる情報共有を行います」と言う趣旨で、被災された皆さんの周りにゆるやかな 輪 を作り、それぞれの知恵や経験を出し合い、課題を共有することで一日も早く、あの懐かしい若林区の平和な日々が取り戻せるようにしたいとの思いで始まりました。参加対象を仮設住宅自治会・町内会、被災者自助グループ、ボランティア・市民活動団体、NPO、地区社会福祉協議会、地区民生委員児童委員協議会、企業、農業協同組合、大学、中間支援組織、地域包括支援センター、行政など団体を対象としています。


  • 5月に行われた全体会の様子
  •  ミーティングの形式は二部構成になっており第一部は全体会、第二部で分科会になっており、毎回それぞれにテーマが設定されています。 第一部での話題提供は「仮設住宅個別訪問から見える今後の課題」と題し若林区保健センターの方が、仮設住宅の住人の健康面のお話をして下さいました。課題として生活環境の変化により活動量が低下し、体重増や体力の低下などの様子が見られる。そのため集会所での健康相談や体の不自由なかたの個別訪問をしていることなどを詳しく述べられました。


    • 分科会の様子

    • 分科会で話し合ったことのメモをとる
    第二部では分科会が行われ、それぞれ希望するテーマに参加し一時間半ほど話し合いをしました。今回のテーマは「(1)サロン運営上の悩み」「(2)支援する側・される側の想いの”ずれ”」「(3)ボランティア情報のデータベース化」「(4)仮設住宅自治会運営上の悩み」でした。情報を共有するためテーマごとに後で発表をします。それを下記にまとめ記しました。

    「(1)サロン運営上の悩み」では参加者の固定化、イベントありきではないか、運営費などの問題点などがあげられました。企業の参加者からは企業同士の連携の悩み。どこの会社がどういうものをして、何をしたいのかが分からなく、もっと連携していければいいという希望がありました。もう一つは、「いつまで続けていけばいいのだろう」という疑問です。神戸から来られた先輩ボランティアの方からは、これからは多様な支援が必要になり、今後復興住宅に移ってからも新しいコミュティ作りのためにサロン運営が継続されるのではないかという話が持たれていました。

    「(2)支援する側・される側の想いの”ずれ”」では東北教区被災支援センターの佐藤真史師が発表者になり「支援する側・される側の想いの”ずれ”」をテーマに8人で話し合われました。される側の想いは、支援する側の人に声をかければ何でもやってくれるとまだ思っている人がいる。その一方で声をかけられるのが迷惑と感じている人もいる。その中でJR南小泉アパートみなし仮設住宅の経験では、する側の提案をただ受けるだけではなく、される側も芋煮会などのイベントを企画し「自分たちも積極的に参加した」ことが”ずれ”を減らしていくのではないかとのことでした。する側からするとニーズの変化を受信できないことや、イベントやサロンのマンネリ化が”ずれ”を生じてさせているのではないか。また、ボランティアの内容によっては筋違いのものもあると感じたり、必要性に疑問を持つこともある。その他にもそれぞれの場所で感じている”ずれ”を話し合うことで問題点を共有できました。

    「(3)ボランティア情報のデータベース化」では課題をはっきりさせどう解決されれば理想的状況になるのかが話し合われました。課題ではそもそもなぜデータベース化が必要なのかが話し合われました。支援団体間でボランティアや物資の調整がうまく出来ていないことや、他の団体がどんな活動をしているのかお互い分からない、被災地や支援活動の現状がよく知られていないなどのことから、支援団体のデータベース化の必要性が出てきました。これを解決するためには情報を共有し、支援活動の効率化が図れればいいという話がされ、現状で出来るところから初めるために若林区社協のHPで、それぞれの団体の概要や支援活動の情報をまとめ掲載していき、ブログで現在の活動状況、被災地の状況を発信していくと言う話し合いがされました。


    • メモをまとめ発表に

    • 発表者が前に立ち説明をする
    「(4)仮設住宅自治会運営上の悩み」は、3つの問題点が話し合われました。一つ目は健康面の取り組みです。朝のテレビ体操、健康器具の使用、野菜作りなどに取り組んでいますが、健康器具の使用に関して取り合いになる状況があったり、野菜作りでは畑が遠方で車が必要な場合もあり悩んでいる。二つめは集会所の利用方法、今までイベント情報など中に掲載していましたが、外にも貼り出すようになり好評である。回覧板の活用と若い人からの声がけでイベントに来てもらうことをしている。三つめに情報交流、他の自治会ではどういう運営をしてどんな悩みがあるのか、月に一度程度自治会長同士で飲み会などを開き話し合いの場が出来ればいいなどのことが話し合われていました。

     この復興の輪ミーティングに参加して緩やかながら確実に輪が広がっていると感じています。月に一回で参加する人もそのたびに違ったりしていますが、支援活動ならではの人物もそろい有益な情報を得ることが出来ます。わずかな時間でも個人的に情報交換が出来たり、親しくなり他の場所でも連絡を取り合ったりすることもあります。東北ヘルプの記念写真プロジェクトもこれがきっかけで実現しました。今後の支援活動を考える上でも非常に重要な位置を示してるのではないかと思います。

    (2012年9月30日 戸枝正輝 記)

    トップへ戻る

    心を繋いで

    震災は、多くのものを奪いました。そして、多くの支援が届きました。私たちは世界中の善意を目撃し体感したのでした。

    震災から一年半が経とうとしています。今必要なものは何でしょうか。場所によっては、今でも物資を必要としています。しかし場所によっては、物資は「もう十分」となっています。

    しかし被災地のすべての場所で、必要としていることがあります。それは、「心」です。温かい言葉、温かいまなざし、そして温かい思いは、今、いよいよ必要とされています。

    今回、心を繋ぐ支援を展開しているプロジェクトを御紹介します。岩手県沿岸部の仮設住宅を広く支援している、「ハートニット・プロジェクト」です。その働きは、松ノ木さんという一人の方の情熱と愛に感動した私たち東北ヘルプは、皆様のご支援を活用し、ハートニット・プロジェクトの広報や事務作業等を、お手伝いさせて頂いて参りました。

    今回、朝日新聞様がこのプロジェクトを記事にしてくださいました。広報を担当しているものとして、とてもありがたく感謝しています。以下に、そのご報告を、担当の沼里から申し上げます。皆様の思いが、繋がっていくことを祈念しつつ。

    (2012年9月5日 川上直哉記)

    東北ヘルプがお手伝いをさせて頂いている仮設住宅支援のひとつに「ハート・ニットプロジェクト」 (http://sportsdesk-skiclub.dreamlog.jp/)があります。

    これは岩手県沿岸部の仮設住宅に住む「アミマー」さん(ニットを編む女性たち)にニットを編む技術を伝え、その製品を販売し、収益を全て製作者であるアミマーさんに還元するものです。

    東京都中央区にある銀座教会・福音会センターで、8月12日から9月2日まで、アミマーさんたちの作品の展示・販売会「ニットでハートをつなごう展」が行われ、朝日新聞の記事でご紹介頂きました。


    「ハート・ニットプロジェクト」から生まれた毛糸の作品には、不思議な力があります。それはまず、仮設住宅在住の「作品を編む人(アミマーさん)」の心を温めます。そして、「アミマーさん」をサポートをする人々の心を温めます。サポートする人々は広がり、展示会や販売会などが全国で開催されるようになりました。毛糸の作品は、その先々で、そこへ訪れた人々の心を温めています。そして、毛糸の作品は、購入された人々の「笑顔」を伴って、「アミマーさん」のもとへ「支援」として帰っていきます。

    この不思議な力の源は何でしょうか。それはきっと、このプロジェクトの中心となって動いてくれている松ノ木さんの「ハート」なのだと、私は思います。一つの「ハート」が、プロジェトの中心となって元気に活動している。そのハートが、今、全国の皆様の「ハート」に繋がっているのだと思うのです。

    (2012年9月4日 沼里 記)

    トップへ戻る

    これ以前の記事は、こちらのページで補完してあります。ぜひご覧下さい。