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シリーズ 福島は今
第二回 相馬・南相馬支援報告書
東北ヘルプは、事務局を仙台に置いています。 原子力電所爆発事故は、福島県の沿岸部で起こりました。 以来、福島県沿岸部と仙台とは、特別な関係に関係になりました。 爆発事故以前、福島県太平洋沿岸部は、福島市から「近い」地域と思われていました。 しかし、爆発が起こってから、事態は一変します。 福島市と太平洋沿岸部の間、南北に横たわる大きな山々が、 きわめて危険な放射性物質汚染地域となってしまったのです。 結果、福島市から太平洋沿岸地域は、「遠い」地域となってしまいました。 福島県キリスト教連絡会(FCC)の皆様は、このことを深刻に受け止めました。 福島が一つとなって震災に対応しようと議論してきたのに、 高濃度放射能汚染地域がそれを阻んでいる。 一番ケアが必要な地域に、手が届かない。 FCCの皆様は祈りました。 そして、この状況が、東北ヘルプに伝えられました。 今、原発事故が起こった場所にアクセスするためには、 南のいわき市から北上するか、 あるいは、北の宮城県から南下する他ない。 爆発現場の北側に位置する相馬・南相馬にケアを届けるためには、 仙台からの助力が意味を持つだろう。 私たちは助力の要請を受けて、そのように結論付けました。 それで今春、私たちは、皆様からお預かりしている資金を用いて、 相馬・南相馬へのケアの可能性を探ることにしたのです。 すると、日本同盟基督教団の後藤一子牧師が、教会の主任牧師を隠退して、 相馬・南相馬の被災者支援に専心しておられることが、 私たちに情報として知らされました。 後藤先生は、2011年6月、東北ヘルプが最初に福島へ入ったその時、 私たちに福島の現実を丁寧に実感を込めて教えてくださった先生でした。 すぐに東北ヘルプはFCCと相談し、後藤先生を相馬の担当者として迎え、 そのお働きを共にお支えすることとしました。 その後、後藤先生は定期的に報告をくださり、 その報告は、相馬・南相馬地域の「定点観測」として、貴重なものとなっています。 相馬・南相馬地域には、津波被害で家を失った人々と、 原発爆発事故で故郷を離れざるを得なくなった人とが、 同じ仮設住宅に住まわれています。 当初、その間には、深い溝があったのですが、 しかし、その溝は次第に埋まりつつあるそうです。 互いに互いの痛みを想像し合い、同情を寄せあう、 そうした出来事が、仮設で起こりつつあるとのことです。 そうした出来事の触媒として、後藤先生のお働きがあること、 その働きに参画させていただいていることを感謝して、 9月にいただいた相馬・南相馬地域支援の報告書を、 少しだけレイアウトを変えて、下記にご紹介いたします。 「福島は今」どうなっているかを知っていただく一助となり、 みなさまの祈りが集まるきっかけになればと願います。 (2012年10月12日 川上直哉 記)福島HOPEプロジェクト・青森保養報告
東北ヘルプは、「3・11青森教会ネットワーク」の皆様と共に、昨年から、「親子短期保養プロジェクト」を展開してきました。
このプロジェクトは、東北ヘルプで担当者を雇用し、青森クリスチャンセンター(ACC)を主な会場として、放射能に不安を覚える方々の短期保養を進めようとするプロジェクトです。利用者については、福島県に在住の方を中心としながらも、宮城県南部や岩手県のホットスポット付近にお住まいの方も受け入れることとしました。
このプロジェクトの特徴は、「何も特別なことをしない」というものです。放射能被害におびえている方々は、「日常」を必要としています。子どもに、普通に土を触らせてあげたい。野外を走り回らせたい。毎日のお買い物を安心してしてみたい――そうした思いに応えることを考えると、青森の地は最適な場所となります。私たちは特別なプログラムを用意せずに、「普通の日常」を、青森で、一時でも、取り戻して頂こうと願って、プロジェクトを推進しています。
担当者は、中島恭子牧師(青森ふるさと教会)に担っていただきました。4月から試行期間を取り、ゴールデンウィークに最初の受け入れを行いました。そして、この夏、ついに本格的な受け入れを行いました。その過程で、このプロジェクトは「福島HOPE」という枠組みの一部に組み入れて頂くことができました。
この夏の活動を終えた中島恭子牧師より、報告書が届けられました。感謝して、以下に掲載いたします。
皆様の祈りに支えられ、ささやかながらも働きが推進しております。感謝を以て、ここに報告させていただきます。
(2012年9月23日 川上直哉 記)
≪2012年 第1回夏の保養プログラム in青森 報告書≫
~福島県キリスト教連絡会、東北ヘルプ、3.11あおもり教会ネットワーク~
今年2月から、原発事故の影響が懸念される福島県とその周辺の各地で開催された相談会に来られた方々を中心に、夏の保養申し込みを頂き、青森で第1回目の夏の保養プログラムが、8月4日から9月2日まで、約一か月間行われました。
皆様のお祈りと温かい御支援により、けがや事故、トラブル等も一切なく、無事に終えることができました。心より感謝しつつ、以下の通り、報告致します。
<保養ご家族>
夏の保養参加 9家族 33名
*子供17名(乳幼児4、小学生10、中高生3)大人16名(父7、母9)
*福島市1、郡山市5、いわき市1、仙台市2
*春の保養 4家族 14名(夏の保養にリピーター2家族参加)
★春夏の保養 合計 13家族 47名(子供25名、大人22名)
<保養場所>
青森クリスチャンセンター(ACC/青森市雲谷)8家族29名
にじのこども園(ふるさと教会/青森市浪岡)1家族4名
<保養期間> 2泊3日~2週間 (8月4日~9月2日)
<保養内容>
雲谷ヒルズ(バーベキューパーティ、散策、虫取り、花火、おもちゃ作り)
青森わくわくランド(アスレチック子供広場)
浅虫水族館(イルカショーなど)・ほたて広場・浅虫海釣り
山内丸山遺跡(遺跡散策、工作)
青森県立美術館
合浦公園・海水浴場
弘前弥生いこいの広場、動物公園、アスレチック広場(川遊び)
弘前ねぷた祭りと青森ねぶた祭り(アスパム、ワラッセねぶた)
盛美園(ジブリアニメのモデル)
子育て支援センター(母子が自由に過ごせる青森市の保育施設)
アップルヒル(浪岡道の駅、アスレチック広場、リンゴ園)
<保養参加者へ経済的支援>
宿泊費全額支援(3.11あおもり教会ネットワークより)
交通費全額支援(福島キリスト教連絡会より)*皆様より尊い献金を心から感謝致します!
<保養期間の生活支援>
・常住の管理人がいない為、募集し、三上兄(八戸福音キリスト教会)が、保養期間中、ACCの管理をして下さり、 本当に助かりました。
・ACCの利用についての全般的なことは、菅野先生が御奉仕下さり、受け入れ家族の保養については、私(中島)が担当させて頂きました。保養ご家族の受け入れ送迎は、菅野先生と私が致しました。
・その他の保養活動については、礼拝のある日曜日以外は、毎日ACCを往復し、保養ご家族とまめに連絡を取り合いながら、慣れない土地で、事故やトラブルなど無いよう、見守らせて頂きました。
・観光や保養活動の送迎の車中で、お母さん方から自然に、不安や悩みなどを伺うことができたことも感謝でした。お母さん方も、自然に誰かに話すことで、気持ちが、かなり楽になったと言われていました。
・保養活動の中で、海釣りは菅野先生御家族、ブルーベリー収穫体験は織田先生御家族、バーベキューパーティは、管理人の三上兄、菅野先生御家族、私と主人(中島)が、奉仕しました。特に、バーベキューは、少々緊張していたお父さん方の気持ちがほぐれ、とてもリラックスして、お互いに交流できる良い機会になったようです。
・長く宿泊される母子については、市の子育て支援センターに連絡して、気軽に集える場所を紹介し、安心して過ごして頂きました。
・ACCで夏の行事や集会が行われる期間は、キッチンワーカーの方々に、給食の提供に御協力頂き、本当に感謝でした。
その他は、自炊でしたが、諸教会の皆様から、野菜や果物など、たくさんの差し入れを頂きました。保養された皆さん、新鮮でとてもおいしかったと大変喜ばれました。
★心のこもったたくさんの御協力を本当にありがとうございました!!
<保養アンケートより>
☆感想
・到着後すぐ、敷地内で思いっきり外遊びができました。とても、嬉しく楽しそうで、親としても、子供の笑顔が嬉しかったです。何も気にすることなく、良い空気の中で、たくさん観光もできました。皆さんとの出会いに感謝します。
・小さい子供が楽しめる場所がたくさんあって良かったです。
・子供のために来た保養なので、思いっきり遊ばせることができて、大変満足しています。
・センターの周りで、虫取りなどして、とても楽しかったようです。
・とにかく、いっぱい体を動かして、目いっぱい遊ぶことができました。
・管理人の三上さんや協力して下さった教会の皆さんに大変良くして頂き、楽しく過ごすことができました。海釣りを案内してくれた菅野先生ご家族、ブルーベリー収穫体験に連れて行ってくれた織田先生ご家族、海水浴やいろいろな遊び場や観光案内をしてくれた中島先生ご家族、本当にありがとうございました。細やかな気配りがとても嬉しく、温かな優しさに感謝しています。
・にじのこども園は、買い物がとても便利な所でした。
・とにかく、青森クリスチャンセンターの環境が良く、リフレッシュできました。
・子供には、安全な自然にふれてもらいたいと思っているので、最高の場所でした。
・バーベキューは、美味しくて食べすぎました。他の宿泊している方々との交流も、
楽しく、大満足でした。
・空気がおいしかった!雨が降っても風が吹いても、全然心配なく、センターと戸外を
自由に出入りして遊べたので、子供が生き生きして活動していました。
・海で泳いで、ねぶたも見て、とにかく本当に楽しめました!
・夏休み、青森に宿泊できて、子供たちの良い思い出になりました。
・福島では体験できない、釣りや海での水遊びができ、本当によかったです。
・買い物も、産地を気にせず、食材を買うことができて良かったです。
・マスク生活から解放されて、海で時間を忘れて、思う存分泳ぐことができ、嬉しかった!
・野菜や果物、いかやほたてなど魚介類など、食べ物が本当においしかったです!
・思いっきり外で遊んで、夜は、ぐっすり眠りました。
・保養してみて、福島と青森が、とても近く感じられました。また、来ます!
☆要望
・先の見えない福島の子供たちのために、長く継続してほしいです。
・交通費の支援も、とても有難かったです。
・もっとたくさんの人に来てほしいです。
・これだけの大きな施設なので、管理が大変かなと思いました。「入居の心得」などがあるといいかなと思います。例えば、退出の際は、自分で掃除する等。
・自炊なので、キッチンの調味料等、施設にある物のリストがあれば助かります。
・これ以上希望することはないです。こんなに良くして頂いて申し訳ないくらいです。本当にありがとうございました。
・母子保養の受け入れが少ないので、助かりました。受け入れてくれる所が増えてほしい。
・受け入れてもらえる所があるだけで、希望がもてた。気持ちが、前向きになれました。 これからも、ぜひ、続けてほしい。
<これからの保養について>
・青森クリスチャンセンターに、常時いて下さる管理人が、やはり必要かと思います。今回の保養期間、三上さんが管理して下さり、とても助かりました。
・青森クリスチャンセンター専従のキッチンスタッフなどのワーカーがいてくれれば理想的ですが、継続的な支援を考えると、できる範囲でのスタッフは必要かと考えます。
・今回、釣りや収穫体験に、先生方が協力して下さり、本当に助かりました。
より良い保養支援の為に、協力スタッフが与えられますように・・・。
・今回の交通費と宿泊費の支援は、保養される方々の負担が軽減され、大変喜ばれました。
・保養支援の継続には、経済的必要と人的必要が何としてでも欠かせないと考えられます。必要が満たされますように、御加祷下さい。
・リピーター御家族のお母様から、面談の希望を頂き、保養後お会いし、様々な思いを伺うことができました。保養を重ねる中で、心も打ち解け、保養期間や保養後の交流の中で、安心していろいろなことを話してくれるようになりました。被災された方々に寄り添いながら、良い繋がりを大切にして行きたいと願っています。
*失われた日常の中で、不安な気持ちを抱え、不自由な生活をしている子供たちのストレスが、問題になっています。最近、福島大学の調査も公表されましたが、奇声を発したり、ちょっとしたことで強い恐怖感を抱いたり、運動機能の低下など深刻な子供たちの様子が報告されています。実際、不安やストレスから爪かみや円形脱毛症が見られたり、活発な活動を好む男の子達が、ストレスをため込んで家庭内での様々な問題が生じている等々、悩みの相談も伺っています。
今回、保養された御家族から、通園している幼稚園で、一日15分しか外遊びができないことや福島県外に出る際、洗車して靴を履きかえて来たことなど、胸が痛むことも多く伺いました。 *今回の夏の保養に、母子のみを福島県外へ避難させ、仕事のために残って頑張っているお父さんも一緒に、青森で保養できた御家族もいらして、本当に嬉しそうでした。
お父さん同士の繋がりもできて、良かったです。(離散されている家族が一緒に保養)
*様々な事情の中で、福島に残った方々と県外に出た方々同士の気遣いや複雑な人間関係の悩みもありますので、このような機会は、お互いに心が和むようです。
*8月前半に保養された御家族から良い評判を聞いたと、途中、申し込み問合わせもあり、満室の為、他の保養受け入れ場所を紹介させて頂きました。
★このような現状の中で、今回、青森で保養された方々との出会いに心から感謝致します。
そして、諸教会の先生方はじめ皆様のお祈りと温かい御支援に心より感謝致します。
本当に、ありがとうございました!
☆秋の保養プログラムの準備も始まります。子供たちは、りんごの収穫体験を楽しみにしています。これからも、どうぞ、よろしくお願い致します。
『喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。』
(ローマ人への手紙12:15)
子供達の健やかな日々を心より祈りつつ・・・。
感謝在主。
2012年9月恵日 保養担当 中島 恭子
福島と「伴走」するために
この度、東北ヘルプは、「福島HOPE」というプロジェクトの一翼を担わせていただくことになりました。「福島HOPE」は、今はプロジェクト名ですが、しかし、今後団体名となればいいなと期待している名前です。先日、この「福島HOPE」の立ち上げが叶いました。本日はその報告を、川上がいたします。
http://www.fukushimahopeproject.com/
「東北ヘルプ」という名前は、「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」の略称です。この略称を決める際、私たちは真剣に議論しました。「仙台ヘルプ」や「みやぎヘルプ」といった名称も、候補に挙がりました。しかし、私たちは「東北ヘルプ」を選択しました。「東北」全体を考えたい、考えなければならない、という志が、そこに込められたのでした。
その時、一番念頭にあったのは、おそらく、「福島」という課題だったと思います。放射能被害への対応に、これから膨大な時間がかかってくる。そのことを、私たちはどうしても意識せざるを得なかったのだと思うのです。
この問題意識は、私たちだけのものではありませんでした。多くの団体が、国内・世界各地から、福島に集まりつつあります。そして、キリスト教系の団体に、一つの連帯が生まれつつあります。その連帯は、「福島HOPE」という名前を与えられました。
この名前にも、深い意味があります。
東北ヘルプは、「3・11青森教会ネットワーク」様と共に、「短期保養プロジェクト」を展開しています。このプロジェクトは、最初「短期疎開」とつけていました。しかし、それは福島に住む人々の心に痛みを与える名前だと、知らされました。「疎開」という言葉は、「逃げなければならない」ということを前提にしています。そしてその前提が広く共有できないところに、福島の痛みがあるのです。ですから私たちは、「疎開」という言葉をやめて「保養」としました。
そして、今回、「福島HOPE」が、私たちの「短期保養プロジェクト」を包含するものとして立ち上がってくださいました。その名前には、深い願いが込められています。私たちの活動が、福島の希望になればという願いです。
「福島HOPE」立ち上げの最初の会合は、6月21日でした。東北ヘルプの会議室が、その会合の場所となりました。その推進役をかって出てくださったのは、日本同盟基督教団の朝岡勝先生でした。先生は今、「福島HOPE」の事務局長の大任を負ってくださっています。
そこで大切なこととして確認されたのは、福島県キリスト教連絡会の代表者である木田恵嗣先生を、「福島HOPE」の代表者となっていただくということでした。
私たちは、福島に「伴走」したいと願います。その苦しみと悩みを可能な限り分け合うよう努め、願わくば、その先に見えるはずの希望も、ご一緒に見つめたいと願っています。ですから、まず私たちは、福島で労する先生に聞くべきだと思います。そして、今週火曜日、9月4日、郡山キリスト福音教会を会場に、設立総会と設立式が行われました。
福島県キリスト教連絡会、CRASHジャパン、3.11あおもり教会ネットワーク、日本国際飢餓対策機構、日本同盟基督教団震災復興支援本部、東北ヘルプの皆様が、この働きを担うことを志し、礼拝を以てその志への祝福を祈ったのでした。
この会議で重要なことが決められました。それは、「福島HOPE」を5年続ける、という目標でした。これから5年続けるということは、震災後6年目まで、この働きが続くということです。
今、多くの団体が、撤退の準備を進めています。それは無理のないことです。私の知る限り、震災後5年(つまりあと4年)くらいまでにそのミッションを終えることが、ほとんどの支援団体の目標とされています。その後は、地元の私たちが、自分で課題を担わなければならないのです。
ですから、「あと5年」と目標を定めた点には、「福島HOPE」の大きな志が表れています。「福島と伴走する」という大きな課題から見れば、この志でも、「ささやか」なものに過ぎません。しかし、私たちは大きな決断をして、この志を建てました。神様がこの志を祝福してくださいますよう、どうぞ、皆様のお祈りを寄せて頂ければ幸いに存じます。
(2012年9月7日 川上直哉 記)
東北ヘルプと放射能問題
東北ヘルプは、2011年6月から、放射能問題との取り組みを始めました。
そもそも放射能の問題は、とても繊細ものでした。しかし、原子力発電所が爆発事故を起こして以来、その問題は避けて通れないものとなってしまいました。この問題によって、人々はいよいよ引き裂かれ、悩みと苦しみが積み上がる日々を送っています。
私たちはどのようにこの問題と向き合えばいいのか。そのことを考えて一年が反が過ぎました。そして今夏、東北ヘルプ代表の吉田隆牧師が、一文を認め公表しました。それは、「宗教者九条の和」のニュースレターに寄せた文章でした。
東北ヘルプの上部団体である「仙台キリスト教連合」は、この「宗教者九条の和」が主催する催事「第8回シンポジウムと平和巡礼 in 仙台」に協力することになり、そのご縁で文章を寄せたのでした。その催事については、こちらをご覧ください。
(この画像はスクロールして、全文をご覧いただくことができます。
iphoneなどをご利用で、全文をご覧いただけない方はこちらからご覧下さい。
吉田代表が著した文章には、放射能の問題に対する東北ヘルプの基本的な姿勢が良く表されています。
以下に、その全文をご紹介いたします。私たちの姿勢を知っていただく一助として、ご高覧を賜れば幸いです。
(2012年9月4日 川上直哉 記)
シリーズ「福島は今」
第一回 小高地区を訪ねて
東北ヘルプは、仙台圏の教会が設立した支援団体です。その特徴はいろいろありますが、中でもこれから大切になるのは、「被災地に居る」という特徴です。東北の教会は、被災地に留まり続けます。その教会が建てた団体は、やはり、現地に留まり続けるのです。そのことの結果見えなくなることもあるでしょう。しかし、現地にとどまり続けるという特徴故にこそ、見えてくるものもあると思います。
特に、私たちは福島の被災状況に心を寄せたいと思います。福島の放射能による被災は、どこまでもどこまでも「息の長い」取組を必要としていると思うからです。
私たちは、ホームページ上に、福島の現状をお知らせする企画を立ち上げました。地元にいるからこそ見える事柄を、人々の息遣いを、そしてそこに働かれているはずの神様の足跡を、皆様とご一緒に見つめてみたいと思うのです。
初回となります今回は、東北ヘルプの職員・遠藤さんに寄稿をお願いしました。遠藤さんは、福島JANICと共働し、福島県内各地の情報を集めてくださっています。以下、その報告をご紹介いたします。
(2012年9月2日 川上直哉 記)
「南相馬小高地区訪問」
震災から1年半以上経過しました。今、福島県内の「警戒区域」指定は、徐々に解除されつつあります。放射能の被害のために避難された方々が、少しずつ、故郷に戻りつつあるのです。
原子力発電所の爆発事故の結果、周囲の広範な地域が「警戒区域」と指定されました。人々は避難を余儀なくされたのです。津波の直接の被害を受けた地域の人々も、その破壊の跡をそのままに、長期間避難しなければならなくなる。すぐに帰れると思い、大切に育てていた家畜や田畑をそのままに残して避難し、そして、いつまでも帰還することができない日々を送る。その苦しさ。それが、福島県の沿岸地域(地元の方は「浜通り」と呼びます)の悲しい現実です。
今年春、「警戒区域」指定を受けていたいくつかの場所が「避難指示解除準備区域」指定に変更されました。その結果、人々はその地区内に自由に入ることができるようになりました。こうして、「浜通り」の人々は、徐々に、大切な故郷・大切に守ってきた家畜や田畑のある場所へ、待望の帰還を果たしつつあります。
しかし、この帰還は限定されたものとなっています。すべての人は、夜になると「避難指示解除準備区域」から退去しなくてはならないと定められているからです。「主に電気・ガス・上下水道といったインフラが整備されていない」という理由から、行政によってそう定められたとのことです(夜になると、パトカーが巡回し、退去するように促されるのです)。
朝、待望の自宅帰還を果たしても、夕方には、今の仮住まいの避難場所へ戻らなければならない。その結果、掃除や田畑の整備等生活の復旧作業は遅々として進まない。それが、福島県浜通りの現状なのです。
福島県太平洋沿岸部(「浜通り」)で、福島第一原子力発電所の北部に広がる地域に、南相馬市小高地区があります。ここもまた、発電所の爆発のみならず、津波の大きな被害を蒙った地域でもあります。他の「浜通り」同様、この地区もまた、事故直後「警戒区域」に指定され、津波の被害の片づけを行う間もなく、人々は遠くへと非難しなければならなくなりました。しかし、この地区は「避難指示解除準備区域」指定に変更されました。2012年4月16日のことです。
他の地区同様、昼間に限定された帰還許可という厳しい状況。しかしそれでも「もう一度小高地区で農業をやりたい!」と奮闘を始めた方がいらっしゃいます。福島県有機農業ネットワーク・元代表の根元洸一さんです。今回はこの根元さんを支援する活動を立ち上げようとなさっている同団体の長谷川さんにご案内いただいて、南相馬市小高地区を訪問させていただいたのでした。
小高地区に入って最初に眼に入るのは、一面に広がるセイタカアワダチソウの群生地でした。そこは2年前まで美しい田畑だった場所です。原発事故以来この地で農業を営むことが制限されたのだ、と実感させられる光景。以前はそこが農地だったとは想像もできない程に荒れ果てた土地が続きました。
その荒れた農地の間に、根元さんが地元の生産組合の方と始めた試験水田が点在しています。水耕田を始めることに対して、当初、行政側からは、強い反対があったということです。反対の理由は、賠償問題と関係する複雑なものであったようです。しかしその反対を説得し、今は何とか試験栽培が許されました。現在、根本さんは4枚の田んぼを地元の農家の方々と管理なさっていらっしゃいます。
数々の困難な状況の中、農業を続ける決意をなさった根元さんはこうおっしゃいます。
「草を刈るだけでも、周りの目を気にする人がいるんだよ。下手に農地に手をつけると賠償金がおりないんじゃないかって。でもねー、農家はやっぱり耕さないとだめなんだよね。2年も農業しないと、体がなまっちゃってだめだ。今は線量が高いかもしれない。でも、20年、30年後に線量が半減すれば、若い人達も戻ってこれるかもしれない。その時のために、今自分が頑張らなくては、このままどんどんと農地が荒れていく。それを見ていられないんだ。」
夜間宿泊されることが許されない小高地区での農作物生産です。避難先の自宅と小高地区の自宅を往復するガソリン代が、かさみます。それを米や野菜に上乗せしたら、とても売れるような農産物の値段にはならない。そう根本さんはおっしゃいます。また、行政的な制限も大きな壁となり、自由に農作物を生産販売することが難しい状況だとのことです。それでも、この小高地区で農業を営むにはどうしたらいいのか?根元さんは日々試行錯誤を続けていらっしゃいます。農業再開と生活再建のために、私達も微力ながらご支援させていただきたい、そう思いながら美しい里山の風景が広がる小高地区を後にしたのでした。
(報告者:東北ヘルプ 遠藤)
不安に寄り添うために
東北ヘルプ事務局は、7月から9月まで、「モラトリアム(猶予期間)」の時を過ごしています。
そもそも、東北ヘルプ事務局は、2011年3月18日から「一か月」の約束で始まりました。日本基督教団の川上直哉と、そして日本ナザレン教団の阿部頌栄牧師が事務局を請け負ったのでした。
その後、すぐ、この事務局の業務は「1か月」では終わらないことが判明します。その活動は、結局、2012年6月まで、伸びたのでした。
そして、約束通り2011年6月を終え、資金も概ね使い切りましたところで、私たちの活動の展望をどう持てばよいのか、これから終結の作業に入るのか、あるいは更に延長をするのか、9月まで議論を開始したのでした。
この「モラトリアム」の時でも、支援は続きます。特に、夏に向けて用意されてきたプロジェクトは、今が「本番」です。その代表は、「短期保養プロジェクト」でした。それは、「3・11青森教会ネットワーク」の皆様と共に準備してきたものでした。
先日、「短期保養プロジェクト」の速報が届きました。以下、そのご報告をいたします。
「短期保養プロジェクト」は、放射能被爆の不安を覚えていらっしゃる親子を、青森へお招きしようというものです。その特徴は、「普通の生活」をして頂く、ということにあります。
この土の放射能値はどれくらいだろう・・・
この食品は安全なのか・・・
「風評被害」とも言われているし・・・
それでも、子どもの未来はどうなるのだろう・・・
こうした錯綜する思いの中で、多くの方々が生きています。
私たちは、ただの支援団体に過ぎませんから、「何が安全であるか」を議論する能力を持ちません。
ただ、不安に寄り添うことは、できるかもしない。
そう思って、「短期保養プロジェクト」は始まりました。
「保養」とは、「不安」から逃れることを意味しています。
「放射能の被害」があるのかどうか、私たちにはわかりません。
しかし、その「不安」の中にある生活から「短期」の間逃れて「保養」することができれば、どうだろう。その時、「普通の(原発の爆発以前の)生活」を一時的に取り戻していただくことができるかもしれない。
それは、私たちにできる支援だと思っています。将来の展望が見えない私たちも、今、不安の中にあります。その私は、福島の皆様の不安を、いくばくかでも、想像することができるのではないか。そのように考え、この支援を準備してきました。
準備の過程で、この支援に、大きな助力を頂くことができました。福島県キリスト教連絡会震災復興対策会議・同盟基督教団・CRASHジャパン・日本国際飢餓対策機構の皆様が
「福島ホープ」というプロジェクトを立ち上げ、東北ヘルプにも参加を呼び掛けてくださり、私たちのこの支援も、その一環に組み込んでくださったのです。「福島ホープ」プロジェクトからは、早速、保養に参加する皆様の福島への交通費補助を頂きましたことを、感謝して報告いたします。
上記のような「短期保養」最初の報告を、当日の写真と共に、(プライバシー保護の為、個人が特定できないよう工夫しています)以下、ご紹介いたします。
お書きくださいましたのは、青森ふるさと教会の中島恭子牧師です。
「不安」に対応する最大の力は、祈りです。
皆様の祈りを集めるためにも、ご高覧を賜れば幸いです。
(2012年8月31日 川上直哉記)
青森短期保養プロジェクト報告(担当者のメールより抜粋)
頌主。
お祈りを感謝致します。
夏の保養ご家族の交通費の御支援、確かに、受領致しました。
到着された順に、支援の説明をしてお渡ししています。
福島の皆さん、受け入れてもらえるだけでも、ありがたいのに・・・と、心から感謝しておられます。
青森での夏の保養プログラム、予定通り、次々保養御家族の受け入れスタート致しました。
お天気も上々。熱いオリンピック同様、青森も暑い夏を迎え、昨日は、青森クリスチャンセンター(ACC)に近い合浦海水浴場で、子供達思いっきり、海を楽しみました。
帰りは、地域で一番人気の「かっぱの湯」で、かわいいかっぱになって、大はしゃぎでした。
お母さんが涙を浮かべて、海でこんなに遊べるなんて・・・」と感謝していました。
夜は、やっぱり花火です!
青森の蚊に、献血?!しながらの、本当に楽しい夕涼みでした!(^^)!
9月3日までの長丁場ですが、皆様の御祈りと温かいご支援に支えられて、「3.11青森ネット」全員協力で、主にお仕えさせて頂いています。
遊びや観光案内、地元の野菜や果物の差し入れ等々、とても、助かっています!
チーム中島(主人と3人の子供達も全面的に協力してくれて、ファミリーよりもチームのような感じです!(^^)!) も、好調です。
夏のすべての予定が守られ祝されますよう、津軽の地からお祈りしています。
しばらく、現場ですので、メールもままなりません。ご了承下さい。
在主
中島恭子
食品放射能計測のインターネット予約受付を開始しました。
放射能計測のインターネット予約受付を開始しました。
どなたでも無料です。どうぞご利用ください。
ご利用には会員登録が必要です。
これは特定の個人や団体の方だけが重複して利用するのではなく、できる限り多くの方に計測所をご利用いただきたいと考えているからです。ご理解いただき、ご協力をいただけますますよう、よろしくお願いいたします。
食品放射能計測所「いのり」 http://www.foodbq.com/
(2012年3月25日 阿部記)
食品と放射能
「仙台食品放射能計測所」は、2月いっぱいをかけて、試験開業を続けてきました。
私たちの計測所は、被災者の不安に寄り添おうと思うものです。不安に寄り添うためには、準備が必要です。機械を置いて、人を配置しただけでは足りません。機械の使い方を理解し、受付のシステムを整備するだけでも足りません。不安に寄り添うためには、計測所のスタッフが不安になってはいけない。不安を払拭できるだけの正確さを測定に求め、受付から始まる全行程でケアがなされる手立てを確保し、スタッフへのケアの態勢も整えなければなりません。
2月を終わった段階で、私たちはある程度の達成を見ることができました。まず、セシウムと他の放射性物質をより分けることが可能になりました。また、熟練のケアスタッフをスーパーパイザーとしてお迎えすることができるようになりました。そして、教会と医療機関との連携も、構築することができました。それらは、試験開業の中で得られた成果です。
そうした作業の中で、来週には、一般受付を始めます。
それに先立って、既にスタッフが始めた特色ある成果をご紹介します。それは、食品と放射能に関わるものです。題して、「栄養ニュース」です。以下に、その内容をご報告します。
(2012年3月12日 川上直哉 記)
追記:「栄養ニュース」は保存や印刷をすることができます。
Internet Explorer9の場合、マウスの「右クリック」⇒「名前を付けて画像を保存」、「画像を印刷する」を選択してください。
(追記 阿部)
「栄養ニュース」
仙台食品放射能測定所 木村・笠松
一昨年前の福島第一原発の爆発・ベント・メルトダウンによって空気中に流れ出た放射性物質の汚染により、多くの方々が不安を抱えての生活が続いていることと思います。
私たちは、放射能に対する正しいし知識・智恵を持ちつつ、この緊急な時を共に健康で乗り切ってまいりたいと思い、”いのり”(仙台食品放射能計測所の“別称候補”です)より、実践していけそうな栄養ニュースレターを発信していきたいと考えました。
私たちも勉強を重ねて皆さんと共に歩み、必要とされる計測所となるよう願い、祈っております。私たちの学びの成果を、文章にまとめました。以下にPDFファイルでご紹介しますので、ダウンロードくだされば幸いです。
初めに、放射性セシウム対策についてのお便りとレシピを載せます。
お酢は、体内に入った放射性物質を体外に排泄させる働きを助けてくれる食品です。サラダ以外にも炒め物、煮物、ドレッシング等でご活用ください。
二つ目は放射性ストロンチウム対策についてのお便りとレシピを載せます。
一日の栄養バランス・量にも配慮し、十分な睡眠、適度の運動も取り入れましょう。ストレスを抱えていると体を酸化させ疲れやすい、抵抗力・代謝が落ちる、老化につながる原因になると言われています。栄養・休養を摂って代謝を上げ、放射性物質を排泄出来る体を目指しましょう。
次は、生命に欠かせないお水についてのお便りです。
不安を覚える方は一時的に国内の汚染さていないであろう土地からのお取り寄せ、または輸入食品・飲料水も一つの選択肢です。
四つ目は、私たちの救世主ともいえるトマトのお便りです。食卓にご活用ください。時間がたってしまうと汚染食品を口にしなければならないときが来ますが、その時期を遅らせることが大切です。特に半減期が数日の放射性物質から身を守るために大切です。
五つ目は、ベラルーシの研究者による文献で注目されているペクチンについてのお便りです。
参考として食材を挙げましたが、いずれも産地・放射性セシウム量をご確認のうえ、ご活用ください。ペクチンは食物繊維ですので、過剰症があります。摂取量にご注意ください。
以上です。神様の平安が溢れますように祈りつつ、ご報告しました。
「仙台食品放射能計測所」開所礼拝
2011年12月26日、日本基督教団東北教区センター・エマオにて、「仙台食品放射能計測所」開所礼拝が行われました。
説教を保科隆・仙台食品放射能計測所長が担当し、奏楽を松本芳哉・エマオ館長代行が担当し、参列者に、「いわきCEARSネット」「心の相談室」「日本基督教団東北教区センター・エマオ」「若林ヘルプ」の皆様を迎え、司式を私(川上)が致しました。
会場は、まず、エマオ三階のホールで行われました。前奏の後、讃美歌298「やすかれ わがこころよ」を歌い、旧約聖書「イザヤ書」42章が朗読され、説教者が語り始めました。
説教者は、「朝日歌壇」に掲載されたというこの歌を二度詠み、会衆と共に福島に心を寄せました。そして、聖書の背景に目を転じます。
イザヤ書、所謂「第二イザヤ書」の背景には、ペルシャ帝国の統治がありました。広大な帝国を治めるために、公的な告知は、大声で叫び、巷に呼び声を響き渡らせて行われていました。
それを見ていたのでしょう。聖書の示す「神の僕」は、次のように描かれるのです。
この御言に耳を傾けた後、説教者が祈りました。そして皆で賛美を捧げた後、沈黙のうちに三階ホールを出て、一階の計測所へと移動しました。
計測所で、再び「イザヤ書」42章が朗読されました。この時、旧約聖書教師の内海馨先生のご協力を頂き、一節ずつ、ヘブライ語でも、朗誦していただきました。
日本語とヘブライ語で、御言が、測定所に響き渡りました。そして、保科牧師が祝祷し、後奏を以て礼拝は終わりました。
その後、計測所ですでに行われている試験計測の様子を皆で確認しました。
計測は、今、試験段階にあります。放射能の値というは、きわめて微妙なものです。丁寧に解析しなければ、容易く誤った情報を出してしまう。私たちは「平安」をお届けするために計測室を開所したのです。いい加減なことはできません。3名の所員は、今、年末年始を押して試験検査を続けています。
1月中に、本格運用にたどり着くべく準備を進めています。まずは、参列してくださった皆様に一年の感謝をこめて、お昼をご一緒に、賑やかに致しました。その後、「いわきCEARSネット」の皆様と計測所の共同運営委員会を開催し、この日は終わったのでした。
東北ヘルプ事務局は、12月27日から1月4日まで、受付業務を休止しています。その間にも、理事・職員はそれぞれの被災支援活動にあたっています。
どうぞ、この正月の時、皆様のお祈りに覚えて頂ければ幸いです。
(2012年1月3日 川上直哉 記)
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