2012年秋季 自立支援報告

前書き:
2012年も間もなく終わろうとしています。
この年、東北ヘルプは大きな波の中にありました。
夏、東北ヘルプは、その存廃を決する時を過ごしました。
その結論は、11月の全体会を以て一つの結論を得ました。
既に「事務局報告」でご案内した通り、 東北ヘルプは「連帯」を希求するために、 細々とでも継続する手立てを探ることとなりました。
ただ今、その具体的な手続きをさらに進めているところです。
秋、東北ヘルプは、放射能の問題に取り組みました。
その結論は、12月4日から一週間行われた国際会議で、 一つの大きな到達点を見ました。
それは9月17日の「聖会」から始まるものでした。
10月の「福島の震災を語る会」を経て、
11月23日の日本基督教団「教区のつどい」、
そして12月の国際会議へと、一つの流れを辿るようにして、 東北ヘルプは、放射能の問題に取り組んできたのでした。
本ホームページでは、 10月の報告までが「放射能関連」のページにアップされました。 間もなく11月23日の報告をお示し、そして国際会議の報告をいたします。
そしてこの夏から秋にかけて、 東北ヘルプはいくつもの「自立支援」を行いました。
今、その成果を一つの資料にまとめつつあります。 以下、その報告を、ご案内することといたします。

第一回目は、仙台新港の漁民の皆様への支援です。

第一回:仙台新港支援
 東北ヘルプは、被災地の支援者の連帯を生み出すことを目指して活動を続けています。一つ一つの団体は、どんなに大きな力を持っていても、単独では限界を帯びます。東北ヘルプは小さな団体ですが、大きな力を持った諸団体を連結させて頂く働きに携わり、その結果限界が乗り越えられて行く不思議を、何度も拝見してまいりました。私たちはそれを、「神様の業」と思い、感謝して働きに勤しんでいます。
 今秋、私たちはまたそうした働きに携わることができました。
 仙台新港という漁港があります。その港は、港湾整備の過程で複雑に地権が入り組んでしまい、震災後の地盤沈下に対応する嵩上げ工事等、漁港の復旧がとても困難な漁港となりました。仙台市内にある漁港ですから、陸上(漁民の皆様は、「おか」と呼びます)には、復興事業に伴う土木作業等、仕事はあるのです。しかし、漁業を行うことができない。そのことは、漁民の皆様の苦しみです。
 それでも、全国・全世界から寄せられる善意の支援を受け、漁船を共有するなどして、少しずつ漁業を始めていたのが、2012年の夏でした。
 そんな現状を知ってほしいと、漁民の皆様はお考えになりました。東北ヘルプに繋がる若林ヘルプが、その声をキャッチし、東北ヘルプ事務局に繋ぎました。
 私たちは仙台新港で出会い、被災当時の生々しいお話を伺い、今の心配をお訊ねしました。夏の盛りの暑い日でした。漁民の皆様は、「冬が怖い」とおっしゃいます。多くの支援に支えられ、今は赤貝を中心に漁を行うことができている。感謝に堪えない。しかし今、その漁のための待機所がないのが悩みである。港はすべて波にさらわれ、漁具を措く場所すらないのが現状である。夏の間は、屋外に待機して漁に出ればよいから、問題がない。しかし冬になったらどうか。漁に出るまでの待機所が無ければ、寒さに凍えて漁ができなくなる。そのことを心配している――とのことでした。
 東北ヘルプは、この問題に取り組むべく、三つの連絡を繋げました。
 一つ目は、亘理聖書キリスト教会の熊田宏之牧師との連絡です。私たちは漁業について、何も知りません。「冬の間の待機所」として、何が必要なのか。私達にはわからないことだらけです。そこで、亘理聖書キリスト教会の熊田宏之牧師に応援をお願いしました。熊田牧師は、亘理町の漁師の皆様と震災直後から深い親交を重ねられ、漁民の皆様の心情までよく知っておられる方です。熊田牧師は、二つ返事で協力を約束してくださり、すぐに仙台新港の皆様に会いに行ってくださいました。
 二つ目は、米国の宣教団体CGMBとの連絡です。CGMBは、日本基督教団等とつながりの太い団体です。今年春、東北ヘルプはこの団体と協力関係を結び、支援金をお預かりしてご一緒に被災者への救援活動に勤しむこととなりました。この団体からの支援金が、熊田牧師の知見と結び合い、支援は具体化し始めたのです。
 三つ目は、日本国際飢餓対策機構との連絡です。日本国際飢餓対策機構の皆様は、今もなお、震災のための働きを続けてくださっています。そして今回も、細やかな不足に迅速に対応してくださいました。

以上三つの連絡の成果は、3カ月の時間を経て、一つの支援に結実しました。その報告書を、皆様のご支援に対する感謝を添えて、下にご案内します。ご高覧を賜り、私たちの小さな業を引き続き覚えて頂ければ幸いです。

(2012年12月20日 川上直哉 記)

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