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自立と連帯
東北ヘルプは、「被災者を支援する教会を支援する団体」として設立されました。そして、東北ヘルプも、ささやかではありますが、被災者の皆様への支援を実践させていただいています。 私たちの支援は、全て、祈りのこもった献金をお預かりして行われています。お預かりした献金を用いるに当たっては、その支出すべてについて、神様の前に説明ができなければならないと考えています。そのためには、全ての支出が、原理原則に基づくものでなければなりません。 私たちの支援は、どのような原則に基づくでしょうか。私たちは当初から、「自立」ということを原則としてきました。では、「自立」とは、何であるか。いつも私たちは考えています。 聖書に、「人が一人でいるのはよくない」と書いてあることを思い出します。「自立」ということは、「孤立」とは違うのだと思います。矛盾しているようですが、「自立」するためには、「連帯」しなければならないのです。 そのことを改めて思い起こさせていただける報告書を頂きました。支援者・支援団体と、教会と、そして東北ヘルプのようなネットワークとが、結びつく。そこに生まれた連帯が、今度は、苦しんでおられる方々との連帯を生み出し、その連帯が、きっと、苦しむ方々の「自立」へとつながる。 そうした支援を展開しなければならないのだと励まされ教えられる報告書を、「やまちゃんサービス」様から頂きました。神様のご配剤と皆様のご支援に心から感謝しつつ、以下にご案内いたします。 (2012年8月28日 川上直哉 記)連帯の広がり
東北ヘルプは、その正式名称を「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」と言います。東北ヘルプとは、「ネットワーク」なのです。
ネットワークを用いて、東北で支援活動をする皆様をサポートすること。それが、東北ヘルプの本質です。
支援は、本当に様々です。傾聴する人、物を運ぶ人、力作業を行う人、ボランティアを手配する人、ボランティアの受け入れをする人、献金する人、そして、被災地を覚えて祈る人。このすべては、等価で尊いものです。一つも欠けてはならないもの、全てが必要なものです。
しかし、それらは本当に異なる業です。ですから、なかなか、繋がりあうことができません。
東北ヘルプは、このさまざまに広がっている支援の働きを繋ぎ合わせることを、その本務としています。それは、「仙台キリスト教連合」という教会の一致の働きに、その基盤を持っています。
無数に広がる教会が、40年に亘り、一致を模索し実現してきました。そのノウハウや経験を、支援活動に活かす。それが、東北ヘルプの特徴です。
仙台に隣接する名取市で、素晴らしい働きが展開しています。それは、「やまちゃんサービス」という働きです。
「やまちゃんサービス」のブログはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/diakonia25
東北ヘルプは、名取市へのサポートセンターの役割を果たすこの働きに協力させていただいていました。
この働きは、日本基督教団大河原教会の牧師先生から御紹介と支援の依頼を頂いたものでした。そしてよい連携を頂き、今日に至っています。
ここに、その7月の活動報告の報告をいたします。「やまちゃんサービス」様の企画「わらべのつどい」の報告書をご案内します。
次回の報告で、この働きは、更に繋がりを広げ、連帯の輪が広がって行くことをご報告できるかと思います。そのことを先取りして喜びながら、まずは、7月の報告をご高覧頂ければ幸いです。
(2012年8月16日 川上直哉 記)
『わらべのつどい』のこと
『お米プロジェクト』を展開している八巻正治(尚絅学院大学 教授)です。
先月下旬に、名取市内の計8ヵ所の仮設住宅の住民さんたちを対象として、第3回目のお米の配布活動を行いました。
今回、提供させていただいたお米は、東北ヘルプからの支援金によって確保することができました。
さて、私は所属学科である、子ども学科の学生たちと、毎月、仮設住宅で『わらべのつどい』と称した活動を行っています。その際には、お米も配ることができました。
『わらべのつどい』に参加する学生たちは、皆、私が担当している社会福祉論や社会福祉援助技術の授業を受講している者たちです。この授業では福祉支援実践論の基礎的事項や、グリーフケア(悲嘆からの回復)、さらには支援スキルの修得を展開しています。
さて私は、『わらべのつどい』に参加する学生たちに、次のような対応姿勢をお願いしています。
この活動は住民さんたちとの相互交流です。しかし今回の大災害で、ご自宅が流されてしまい、大変困難な状況下で生活をしてこられた人たちばかりです。中には、ご自身が津波で流されたり、お身内を亡くされたりした人たちも多くおられます。
そのため、配慮に欠ける無遠慮な質問は避け、節度ある態度で礼儀正しく接するようにお願いします。そして常に穏やかな笑顔を絶やさず、住民さんが語る言葉を決して否定せずに、共感的理解に基づく受容と傾聴のまなざしで丁寧に聴くように心がけていただくようにします。安易なアドヴァスや励ましは厳禁です。
私は、将来、保育職や教職に就く学生たちの特徴を活かしたプログラムを提供しようと考え、『わらべのつどい』では、お手玉、あやとり、折り紙、おはじき等の伝承遊びを準備しました。しかも住民さんたちから、そうした伝承遊びを学生たちに伝えてもらおうと考えました。そのことによって、被災者として支援を受ける側といった意識ではなく、能動的な意識が住民さんたちに生まれるのではないかと考えたのです。
そうして実際に『わらべのつどい』を開催してみると、住民の皆さんが熱心に学生たちに折り紙や、あやとりを伝えてくださり、けん玉やメンコ遊びに熱中してくださいました。お手玉は住民さんの手作りによるものでした。
精神保健福祉支援論の中に「リカバリー」といった概念があります。リカバリー自体は回復という意味ですが、この場合のリカバリーとは、弱さを抱えた状態であっても、その人らしく歩むことを意味する概念です。
私たちは、お米の提供や『わらべのつどい』等の活動を通して、癒えることなき深い傷と、悲しみを背負った住民さんたちのリカバリーのための、良き寄り添い人(びと)となることを願っているのです。
自立に向けて、連帯すること
皆様に、急ぎの告知をいたします。 明後日、8月18日、東京は銀座で、チャリティーコンサートが行われます。 まだ席に余裕があるとの報告を、昨日、いただきました。 是非、おいでください。このコンサートは、「ハートニット」というプロジェクト (http://sportsdesk-skiclub.dreamlog.jp/) を支援するものです。これは、岩手県沿岸部の仮設住宅の皆様を支援するプロジェクトです。ニット編みの技術を移植し、その製品を販売し、その収益を全て製作者に還元する。そういうプロジェクトです。私たち東北ヘルプは、岩手県沿岸部のサポートセンターの役割を期待して、このプロジェクトの担当者と共に、この支援活動を支援しています。
手仕事の創出によって、仮設住宅を支援する。 これは、岩手県沿岸部の「ハートニット」に限ったことではありません。 宮城県東松島市小野仮設の「おのくん」も、よく似た活動です。 それは、靴下などを用いて人形を作るという手作業です。 制作される品物の売り上げは、「ハートニット」と同様、製作者に還元されます。
「ハートニット」の試みは、は、9・11同時多発テロの被災者へのケアとして始まったものを踏襲したものだそうです。
そして、「おのくん」の試みは、イギリスの炭鉱労働者の手仕事として始まったものであるとのことです。
ここには、時間と空間を超えた連帯の形があるように思います。
私たちは、「自立支援」を理念としています。自立、つまり、自ら立つために必要なこととは、なんでしょうか。それは、矛盾するようですが、「連帯」です。他者とつながり、絆を保持して初めて、人は「自立」できるということです。
昔の炭鉱労働者や、10年前のテロの犠牲者の痛みに連帯すること。沖縄戦で鉄の雨が降った悲しみの記憶に繋がること。被爆という遥かな悩みを担い続ける広島・長崎の皆様と心を結び合わせること。それがきっと、東日本大震災の被災地における「自立」への一歩になるのだと、そのように考えます。
そうした思いを込めて、ハートニット・プロジェクトのチャリティーコンサートのお知らせをいたしました。
(2012年8月16日川上直哉 記)
「自立支援」とは何か
東北ヘルプは、「支援」の目的を「自立」に置いています。
この言葉を使う時には注意が必要だと、ある方に釘を刺されたことがあります。
「人はそもそも「自立」して存在しているはずだ。
それを高みから見下ろすようにして「自立させる」という態度をとる時、
どんな支援も、決定的に的を外すことになる。」
私たちは、この警告を真摯に受け取りたいと願っています。
「自立」という支援の理念・目標は、よいものだと思います。
しかし、それは、支援する側の目線ではなく、支援を受けてくださる方々の目線で、語られるべきものだと思います。
だから私たちは、いつも「よく聴く存在」でありたいと思います。
被災された方々の声を聴き、そこから支援を考える。
被災された方々の「自立」への思いを聴き取り、その思いに沿う形に限定して、できる限りの支援をさせていただく。
そうした努力の一つとして、「記念写真撮影会」という支援が生まれました。
その報告を、担当した戸枝さんより、皆様にお分ち致します。
ご高覧を賜れば幸いです。
(2012年8月8日 川上直哉 記)
思い出作り「記念撮影プロジェクト」
7月22日日曜日、あいにくの曇り空と20°Cを下回る肌寒さの中、仙台市東部にある卸町周辺3か所の 仮設住宅合同の夏祭りが行われ、そこで「記念撮影」プロジェクトを実施しました。
この「記念撮影プロジェクト」は4月に開かれた仙台市社会福祉協議会主催の「復興の輪ミーティング」の席上、卸町5丁目公園仮設住宅の松木自治会長と話す機会があり、その際「思い出の写真を失くした人がたくさんいる。スナップ写真ではなくちゃんとした家族や自分の肖像写真のようなものが撮れないだろうか...」という提案がきっかけでした。
卸町5丁目公園・卸町東2丁目・六丁の目の3仮設住宅合わせて約200世帯、仮設住宅の中でも中規模で仙台市内では最後に出来た住宅群なので入居されている人達もいろいろな地域から集まり、ご近所の交流も少なく独居で孤立しがちな住人もいると伺いました。それではことさら本格的な撮影会を...と企画しました。背景布や椅子、盛花などの小道具をセッティングしライト4台を持ち込み、プロカメラマンのキャリアを活かし、さらにヘアメイクスタイリストも配しての撮影でした。
当日は集会所の一角をお借りして本格的なセットを設営。その本格さに驚く人、恥ずかしがったりテレたりといろいろでしたが「記念になる」という声を多く聞きました。何十年振りかでのご夫婦での撮影や仮設に入居されてからのご近所さん仲間総勢8名での撮影。震災直後に生まれた赤ちゃんと一緒のおかあさんは「この子は写メでしか撮ったことないから、よかった...」とポツリと話してくれました。合計33組総勢9 8名、約7時間かけた撮影会でした。
写真データは少し編集作業をし1枚1枚を台紙に張ってみなさんにプレゼント。
写真を受け取ったときは「あらー綺麗、お嫁さんみだいだっちゃぁ」と喜ぶおばあちゃん。
「コレ誰、いやだぁーコレ 私、いやー、もっといい服着てくればいがったっちゃ」とか「死んだときに使えるネ」などと冗談を言いあうお母さんたち。「本当に いい記念になります」と言ってもらいました。
全てを津波で流され、日々喪失感の中にある人達にとって、今思い出に残る大切なものをお届けできたと思っています。
(戸枝 記)
継続的支援を目指して
東北ヘルプは、被災地にある被災地域全域のセンターとしての役割を果たしたいと願っています。
被災地は、広大です。その支援の働きには、力を合わせることが必須です。
私たちは、他の団体と共に、被災地の活動を支援しています。支援を得るためには、時間が必要です。その時間を「稼ぐ」ための資金が必要です。そのために、私たちは皆様からお預かりした募金を活用させていただいております。
これまで支援をさせて頂いてきた石巻の「漢字検定」を目指した学習支援は、この度、無事、NCC-JEDROの支援を得ることができました。私たちは、それでも足りない少しの分だけを、支援し続けることといたしました。こうして、それぞれの活動がそのミッションを終えるまで自立して活動を続けられるよう、支援を続けていきたいと思います。
そうした進展の一つの報告として、引き続き、石巻のレポートをご紹介いたします。
(2012年7月27日 川上直哉 記)
(この画像はスクロールして、全文をご覧いただくことができます。
iphoneなどをご利用で、全文をご覧いただけない方はこちらからご覧下さい。
「自立支援」ということ
東北ヘルプが生み出したNGOに、「若林ヘルプ」があります。 それは、「食品放射能計測所」「外国人被災者支援センター」と並んで、東北ヘルプの基幹事業となっています。 この若林ヘルプのホームページが完成しました。こちらから、ご覧いただけます。
7月20日夕刻、私たち東北ヘルプ事務局の川上・阿部両名は、 昨年来お付き合いを頂いてきた東通仮設住宅町内会の皆様とお会いして、 これまでのことを振り返り、今後のことを展望しました。
東北ヘルプは、2011年3月18日に誕生しました。
そして、被災者の自立と共同体創成を目的として、被災地全域を視野に入れた「グランドハウス・プロジェクトが、2011年7月1日に始まりました。今、その第二年目に入ったところです。
「グランドハウス・プロジェクト」は、事務本部センター(東北ヘルプ事務局)を設置し、また、各被災地現場に現地事務所を置くことを目指しました。
計画は順調に進み、国内外からの資金をお預かりして、2011年9月に「財団法人東北ディアコニア」を登記して事務局とし、同年10月1日に「若林ヘルプ」を設立して仙台市内「東通仮設住宅」内に支援事務所を立ち上げることができました。現場から上がる直接の声を聴きつつ、被災地全域を視野に入れ、世界と現場を繋ぎたいという志が、具体的な形を持ち始めたのです。
そして、2012年となりました。「グランドハウス・プロジェクト」は、既にご案内の通りの大きな成果を挙げることができました。これはすべて、神様の恵みと皆様の祈りの成果です。6月となり、「グランドハウス・プロジェクト」は一年を終えようとしました。その時まず、事務局に転機が訪れました。予想していた通りには資金が付きませんでしたが、多くの祈りが私たちを支えました。そして事務局の職員は皆、新しい思いで最初の志を改めて握りしめたのでした。
ちょうどそのころ、若林ヘルプにも転機が訪れました。根拠地としていた仙台市東通仮設住宅を離れ、同市内にある「南小泉JR仮設」へと、根拠地を変える決断をしたのです。
同じ仙台市内でも、仮設住宅の状況は様々です。多くの支援が集中する大型仮設(東通仮設住宅はその典型です)もあれば、小規模で支援が行き届かない仮設住宅もあります。また、仮設住宅ではなく民間の賃貸住宅に公費補助を得て仮住まいをされている方々のことを忘れることもできません(その方々は、所謂「仮設住宅」に住む方の4倍以上、おられるのです)。
中規模の仮設住宅である「南小泉JR仮設」は、元国鉄の社宅であった建物を再利用している施設です。従いまして、施設は老朽化しておりました。また、社宅跡地ですから、賃貸住宅と同様の問題も、そこにありました。つまり、共同体が形成しにくい、という問題です。若林ヘルプは、「南小泉JR仮設」に本拠を移すことによって、これまで取り組むことができなかった課題に挑戦したいとの志を立てたのでした。
この志を受けて、東北ヘルプ事務局は、東通仮設住宅の町内会、そして行政の責任者と共に話し合いました。そして私たちは一つの結論に達しました。7月から、東通仮設住宅への支援事業は次の段階へと移行しよう、という結論です。
新しい段階とは、なんでしょうか。それは、町内会の自治機能を高め、その機能によって被災者自身が自らを支えて行くという段階です。
仮設住宅への入居当初、仮設居住者となった人々は、新しい環境に慣れることに追われてしまいます。そのとき、東北ヘルプは若林ヘルプを設立して仮設住宅内に本拠を持ち、直接様々な提案をしながら仮設の人々の生活の立ち上がりを支える、という役割を与えられました。そして一年が経ち、混乱の中から新しい秩序が芽生え育ち始めた。そこで、これからは、仮設住宅町内会の方々が直接東北ヘルプ事務局と相談し、自らが自らを支える体制へと移行する。むしろ現段階でのように移行しなければ、結局、どんな支援も隔靴掻痒の感を強めて行くのではないか――そうしたことを、18日の夕刻、私たちは話し合ったのでした。
私たち東北ヘルプは、三つの原則を以て支援を展開しています。それは以下の通りです。
準備して、待つこと モノであれサービスであれ情報であれ、決して、押し付けてはならないこと。 支援要請が来た時、機敏に対応できるよう、準備を怠らずに待つこと。
常に新しく、創ること これまでの成功事例を決して機械的に当てはめないこと。 支援の要請者に応じた創意工夫を凝らして支援すること。
隠れた所におられる方に、祈ること 出会った方々一人一人を覚えて、祈りに励むこと。 但し、決して「見せびらかす」ような祈りをしないこと。 (マタイ福音書6章を参照しつつ。)
この三原則は、現場の知見から得られたものです。 いよいよ、私たちはこの原則を具体的に展開する時を得たのだと思います。 それがきっと、「自立支援」ということなのだと、 私たちは被災された皆様から学びつつ、新しい一年を始めています。
以上、ご紹介とご報告を申し上げつつ、自立について考えてみました。
(2012年7月20日 川上直哉 記)
石巻「出前寺子屋」レポート
東北ヘルプは、100を超える団体と連携し、被災地の支援センターとしての役割を担いたいと願って、 活動を継続しています。 被災地の状況は刻々と変わります。 その変化に最も敏感なのは、おそらく、直接支援をしている方々だと思います。そうした方々を支援しつつ、そうした方々に学びつつ、私たちは新しい歩みを進めたいと思います。
以下、先月末に届けられた報告書をお送りいたします。
石巻の様子を知らせる資料となります。
この報告書に記されている支援は、「生きる喜びを取り戻すこと」の支援です。 皆様と一緒に、支援者の働きを覚えたいと思います。
(2012年7月17日 川上直哉 記)
(この画像はスクロールして、全文をご覧いただくことができます。
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世界をあたたかく明るくするために
東北ヘルプは、キリスト教と祈りを基盤にして、支援活動を行っています。キリスト教には、「一匹の羊」のたとえ話があります。それは、神様について語るたとえ話です。そのたとえ話によると、神様は羊飼いのようなもの、だそうです。ただ、その羊飼いは変わっていて、100匹の羊を持っているとして、そのうちの1匹が迷い出てしまうと、99匹を措いてでも、1匹を探しに行ってくる、そういう羊飼いが、神様だというのです。
この羊飼いの行為は、愚かなものです。しかし、この「愚か」な行為は、どれほど、私たちの世界をあたたかく明るくすることでしょう。キリスト教は、そうした役割を担って、2000年の歴史を刻んできたのでした。
被災地には、今、上記のような「世界をあたたかく明るくする働き」が展開しています。それは「愚か」に見える、かもしれません。しかし、私たちはそうした働きを支援したいと願っています。そして、そうした働きに繋がり、連なっていたいと願います。
そんな願いを込めて、私たちがご支援をさせて頂いている方から頂いた報告書をご紹介します。皆様のご支援が、こうした働きへとつながっていることを、感謝を込めて、ご報告する次第です。
(2012年6月10日 川上直哉 記)
『お米プロジェクト』を展開している八巻正治(尚絅学院大学 教授)と申します。
今般、神さまの導きを得て、東北ヘルプとの協働プランが与えられたことを心から感謝しています。
私はこれまで宮城県名取市内に設置されている8箇所の仮設住宅すべてに関わりを有してきました。そして被災当事者の方々(以下、住民さん)とお交わりを深める中で明確に理解できたことがあります。それは支援物資の中で、もっとも必要度が高いのは食料品(とりわけ「お米」)である、ということです。
昨年11月のことでした。ある仮設住宅を訪れると集会所にお米が山積みされていました。しかし、それらのお米が何年も前に生産されたものであったことを聞き、とても驚きました。そのとき私は、これほどの苦難を背負いながら不便な生活を強いられている住民さんたちに、たとえわずかな分量であっても新鮮なお米を食べていただきたい、との想いを強く持ったのです。とりわけ年金生活者の方々への提供を願い、それを『お米プロジェクト ~愛の宅配便~』と名づけました。
ところで、このプロジクトを展開しようとしたときに懸念したことは、「はたして必要な支援金が与えられるだろうか?」といったことでした。私の試算では最低でも500万円は必要だったからです。1年前であれば状況は異なったでしょうが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」的傾向の強い文化の中では困難さが予想されました。各支援団体のサイトをみても、皆、継続的な支援金を熱心に求めていました。
私は肢体不自由児の臨床現場から職業人生をスタートし、これまで福祉支援のフィールドで歩みを進めてきた人間です。そうした私には、「できるか、できないか」といった「判断」ではなく、「やるか、やらないか」といった「決断」で歩むまなざしが備わっていました。そうした私に、神さまは「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ書 6:8)の御言葉と共に、次の御言葉を示して下さいました。
この聖句は「善きサマリア人のたとえ」として知られる聖書箇所の最後の部分です。主イエス様はここで、傷つき弱り果てている人への支援のまなざしについて語っておられます。つまりは制度や財源整備といった枠組みから思考しようとする「箱型福祉」ではなく、人びとの必要から思考しようとするところの「ニーズ型福祉」のまなざしです。
さて、この一年あまり、共感的理解に基づく全面受容のまなざしによるアクティヴ・リスニングをもって、毎週、8箇所の仮設住宅を訪れ、茫然自失状態の人たちが語る辛く厳しい話を数多く聴かせていただいてきました。そのため、仮設住宅から戻る車の中で、「愛なる神さま。なにゆえこのような善良なる人びとに、これほどまでの試練や苦難を、お与えになられたのですか・・」と、涙をもって祈ることもしばしばありました。そうした中で、主イエス様は、今ここに在る状況を直視し、善きサマリア人のごとくに、与えられた状況にベストを尽くすことを私に示されたのです。そして私はそのお言葉を主体的に受けとめ、神さまのお働きために用いてくださいと祈りつつ、これまでささやかな活動を展開してきたのです。
こうした決断によって、この支援プロジェクトを展開する覚悟ができ、さらには、お米の提供以上に、多くの方々が有しておられる篤き想いを、お米一粒ひとつぶにしてお届けしたいとの願いが与えられました。つまりは「自分たちは実際には仮設住宅等には関わることは難しいけれど、住民さんたちの苦楽を共に分かち合うことを願っています!」といった篤き想いを重ねての支援活動です。それこそが寄り添い・支え合い・分かち合いをめざした『愛の宅配便』だと考えたのです。
そのため、配布の際には必ずその目的を口頭で説明させていただくと共に、活動目的が書かれた文書を一人ひとりにお配りするようにしています。
ところで、先般、河北新報が『お米プロジェクト』のことを記事にしてくださいました。その記事を読んだ4ヵ所の仮設住宅の住民さんたちから、「やまちゃん、新聞に載っていたョ!」「記事を切り抜いてあるから・・」などと言われました。それも、まだお米をお配りしていなかった住宅の人たちでした。しかし不思議なことに、どの住民さんからも「うちの住宅には、いつ配ってくれるの?」などとは一度も言われませんでした。ほんとうに、だれ一人からも言われなかったのです。住民さんたちが示してくれた優しい心配りに涙がこぼれ落ちました。
これまで「共に在る」ことをめざして継続的なお交わりを重ねながら多くの住民さんたちと信頼関係を構築してきましたが、さらにいっそうの努力を重ねるべく、名取市役所に対して仮設住宅への入居を申し出ました。より深みのある、効果的な支援活動を展開するためには、仮設住宅の近くのアパートに入居するのではなく、私自身が仮設住宅内で生活する方が良いと判断したのです。そうすることによって、夜間や祝日・休日等にも住民さんたちに対応できますし、住民さんたちとの信頼関係を、より強固に築くこともできるからです。生活の場を共有してこその真の信頼関係と考えるからです。残念ながら市役所は、そうした私の願いを拒絶しました。しかし今後とも市役所への要請を継続したいと考えています。
最後になりましたが、幸いにして、私が毎週、礼拝の恵みに与っている日本キリスト教団大河原教会をはじめとして、これまで多くの組織体や個人から支援金が献げられてきました。ありがたいことと感謝をしています。その中でも東北ヘルプからの支援は大きな支えです。どうか、引き続いてのご支援を、よろしくお願い申し上げます。
古文書レスキュー・プロジェクト
東北ヘルプは、三つの部門に分かれて、支援活動をしています。
第一は、被災教会の再建と宣教再開の支援です。
これは、「ケリグマ部門」と名づけられています。この責任者は、日本同盟基督教団 仙台のぞみ教会牧師の秋山善久師です。
第二は、教会のネットワーク構築の業務です。
これは、「コイノニア部門」と呼ばれています。この担当者は、日本基督教団陸前古川教会副牧師の三枝千洋師です。
そして第三は、人道的民生支援事業です。
これは、「ディアコニア部門」と呼ばれています。この担当者は、事務局長の川上が担っています。
この第三の事業「ディアコニア部門」は、単年度決算です。
そして、一年ごとに、海外に資金申請をし、その活動を認められれば、一年ずつ、活動が更新されてゆくシステムとなっています。私たちは、宣教(ケリグマ)と交わり(コイノニア)の接点に、祈りを獲得し、その祈りに押し出される限りにおいて、奉仕(ディアコニア)に勤しみます。
ディアコニア部門の年度は、7月から6月で区切られます。つまり、今月6月が、第一年度の最後ということになります。
今、日本キリスト教協議会のみなさまと共に、海外の諸団体に報告書を提出し第二年度の資金獲得を願って申請し、祈っています。皆様の祈りを合わせて頂ければ幸いです。
民生支援事業のひとつ、「古文書レスキュー」のプロジェクトの報告書が、またひとつ、完成しました。これは「宮城県歴史資料保存ネットワーク」のみなさまのプロジェクトの一部に、私たちがご一緒させていただいているものです。
日本基督教団 北三番丁教会様より、ご支援の可能性を打診頂いてはじまったものです。
この支援を含めて、いくつもの活動に関わらせていただいています。それらが継続するかどうかは、神様の御心によるものと思います。どうぞ、報告書をお読みくださって、ご一緒に、御心が成りますよう、お祈りくだされば幸いに存じます。
(2012年6月3日 川上直哉 記)
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「やまちゃんサービス・お米プロジェクト」と共に
東北ヘルプは、常に、同じ形で人道支援プロジェクトを展開してきています。それは次のようなパターンです。
1.志を得て専心支援を展開している「個人」と出会う。
2.その「個人」の志を共有する。
3.その志を一歩ずつ実現できるよう、相談をしながら、共に支援を展開する。
この「個人」との出会いが、全ての鍵になります。それは、神様が与えてくださる出会いそのものです。
この4月から、東北ヘルプは新しいプロジェクトに参画しています。それは、「やまちゃんサービス・お米プロジェクト」です。
(このプロジェクトを紹介するブログはこちらです。)
このプロジェクトを推進しておられたのは、八巻正治(やまき・まさはる)さんです。八巻さんは、大学で社会福祉を専攻されている教授です。
そのキャリアと知見を以て、被災地・名取市内で支援活動に勤しんでおられました。
八巻さんは、日本基督教団大河原教会の通われている方でした。大河原教会は、八巻さんの活動を祈り支えていました。その情報は東北ヘルプにも入ってきていました。しかし、協働するところまでは、お話が進みませんでした。
そうした中で、ある日ばったりと、事務局長の川上が八巻さんに出会います。それはまったく偶然と言えるものでした。そして、八巻さんの志を知らされます。その志は、感動的なものでした。
プロのソーシャルワーカーとして、仮設住宅の高齢社会化が、とても気になると、八巻さんはおっしゃいました。避難所で苦楽を共にした若い人々は、仮設住宅には入らず、アパート・マンションに引っ越していった。仮設住宅には、老人が多く入居した。「取り残された」ように感じ、寂しさを覚えているご高齢の方々。この方々に、「取り残されてなどいない」と、伝えたい。それが、八巻さんの活動の中心であるとのことでした。
丁寧に相談に乗り、孤独ではないことを知らせたい。そのために最もよい手段として、八巻さんは「お米」を考えました。勿論、ただ「お米」を配布するのでは、「自立」を阻むという副作用もあります。だから、名取市内の仮設住宅934戸の中でも高齢者の住む300戸を対象として、お米を限定配布することとしたそうです。そして、「お米」を提供する際、愛のある言葉をかけること。そうして、そこに出会いが生まれ、絆が生まれ、支援が心にまで届く。そうした活動を地道に続けているということです。
東北ヘルプは、この活動を支援させて頂くこととしました。そのための枠組みを話し合っている中で、冒頭の新聞記事が出ました。私たちは、共に喜びました。そして、これから名取市内の活動が豊かな実りを得ることを、確信したのでした。
これから、八巻さんの報告を、毎月いただけることになっています。出会いの喜びを心から感謝しつつ、ここにご報告をいたしました。
引用:河北新報 2012年5月13日
(2012年5月20日 川上直哉 記)
「私塾ネット 出前寺子屋」報告
東北ヘルプは、「支援する人を支援する」団体として、生活支援・自立支援の働きを担いたいと願っています。
支援の方法は、いくつかあります。その典型的な仕方は、
1.事務局長が、支援団体の方にお会いしてその必要をお伺いし、
2.その働きを理解して共にその業を担えることが確認できたら、
3.ホームページにアップできるような報告書を出していただくことを条件に、
お預かりしている募金をお渡し、そして会計報告書を後で頂く、という仕方で、「支援する人を支援する」事業を進めさせて頂いています。そうして、ご一緒に活動をしている団体は、30を数えるほどになりました。これらはすべて、出会いの喜び、神様の賜物です。感謝に堪えません。
今回、新しく、「出前寺子屋」様とご一緒に、支援活動を展開することが許されました。この団体は、「私塾ネット」様の協力体制の中で、石巻にある全国最大級の仮設住宅団地に教室を開催し、漢字検定を目指して共に勉強する、という活動を展開しています。
責任者は、谷村志厚さんです。川上は、谷村さんにお会いしたとき、この漢字検定教室は、就職活動などに関係しますか、と訊きました。すると、谷村さんは、きっぱりと、「違います。これは、被災した方々が、学ぶ喜びを思い出して活き活きと日々を過ごすために行う事業です。人は学ぶことで生きがいを感じるものです。そして、学ぶことは達成感によって励まされ促進されるのです」と、お応えになりました。
更に、谷村さんは今、新しい志を抱いておられます。それは、母校である立教大学の若者を伴って石巻へ行き、東京と被災地とを結びつける一助に、この事業を用いたいという者です。
私たちは、この谷村さんの志に感動し、ご一緒に活動をさせて頂くことをお願いしました。以下に、最初の報告書を公開いたします。私たちを覚えてくださるすべての方々と共に、この石巻の働きを、神様の愛の業の表れと思い、感謝して拝読したいと思います。
(2012年5月14日 川上直哉)
(この画像はスクロールして、全文をご覧いただくことができます。
iphoneなどをご使用されていて、この画像を見ることができない方はこちらからご覧ください)
「反貧困みやぎネットワーク」と共に
被災地は、一年を過ぎました。
昨年、初めての被災地の春を迎えたときのことを思いだしています。昨年と同じように、重い冬が去り、柔らかな春がやってきました。黒い木々が春の色に溢れています。すべて、昨年と同じように見えます。ただ、瓦礫だけが、片付いている。それだけが、違っています。
一年もの時間が経ちました。確かに、瓦礫は撤去されました。しかし、何も変わっていないようにも思います。他方で、被災地を少し離れると、震災前の様子が再現されているようにも見える。そのギャップは、日を追うごとに、気づかないうちに、大きくなっているように思います。
被災の現場は、各家庭・各個人の中に折り畳まれてしまったように見えます。整然とした仮設住宅が建ちました。信号は点灯しました。瓦礫は、片付きました。
しかしおそらく、本当の困難は、これからです。各地に積み上げられ、片づけようもない程の威容を示している瓦礫は、どうしたらよいのでしょう。各家庭に生まれた将来への不安は、どうやって払拭されるのでしょう。各個人の内面に抱え込まれた深い痛みは、だれが癒すのでしょう。
そんなことを考えながら、一つのイベントに協力しました。「反貧困フェスタ:震災があぶり出した貧困2012~被災地から~」というイベントです。これは、「反貧困みやぎネットワーク」が主催するものです。このネットワークは、ソーシャル・ワーカーの熱意溢れる活動団体です。この役員に、東北ヘルプ事務局長の立場で、川上が参加しています。そのネットワークの、年に一度の大会が、「反貧困フェスタ」となります。4月14日(土)の午後1時半から、仙台市内の弁護士会館にて、開催されました。
今回のフェスタは、昨年に引き続き、元内閣参与の湯浅誠さんがおいでになりました。そして今年は更に、「週刊金曜日」などで活躍されている雨宮処凛さんも、おいでになりました。
東北ヘルプは、4月13日(金)に、雨宮さんを被災現場へとお連れしました。仙台市若林区荒浜の慰霊塔を訪れた後、「若林ヘルプ」のご協力の下、その地域から避難して仮設住宅にお住まいになっている方と、話し合いの時間を持っていただきました。多くのことを学んだと、ありがたいお言葉をかけていただきました。
翌日、会は無事に始まり、終わりました。250名もの方が参加してくださいました。
会は、まず、8人の現場報告がありました。東北ヘルプからは、外国人被災者支援センターを代表して、職員の李さんが発表してくださいました。
外国人被災者の問題を、なぜ、特別に取り上げなければならないか。もしそう問うならば、こう答えたい。被災地における外国人のほとんどが、「外国人妻」として生きている。外国人ではなく、地域にある一つの家庭の妻として、外国から来て、不自由を覚えつつ共に生きている。だから、外国人被災者の問題は、「外人」の問題ではない。そうではなくて、この被災地全体の問題の一つなのだ。
そのように、李さんは話を切り出されました。そして、生活保護を受給しようとする際に起こる「古典的」で「典型的」な困難の報告をしました。それは、湯浅さんたちがずっと取り組んできた問題であり、その解決は全国に展開してきたはずの問題でした。しかし、それが被災地で起こっている。その現実は、会場を粛然とさせたように思います。
更に、私たちと共に被災地で活動してくださっている「ライフサポート響」の阿部さんが、仮設住宅の状況について、報告してくださいました。この冬は、本当に厳しい寒さが東北を覆いました。対して、仮設住宅の防寒設備は、十分なものではありませんでした。行政の方は本当に努力してくださり、断熱材を入れるなどの措置をしてくださいました。しかし、今度はその断熱材が災いをし始める。内外の温度差が激しく、鉄板でできている仮設住宅の壁と天井には激しい結露が生ずる。その結露は、断熱材にカビを生えさせる。押し入れの布団も、油断すればすぐに湿ってしまい、カビの温床になる。そして、健康被害が生じている。
どこまでも、被災地の現実は重く暗いものです。その現実を報告によって共有した後、休憩を挟み、いよいよ、雨宮さんと湯浅さんの対談となりました。
お二人の対談は、呼吸もぴたりと合い、軽妙で洒脱なものとなりました。話題はやはり、現実の問題と政治の動向に及びます。多くの人々が期待し、ある種の能力を持った方々がそれに応えているような、「一発でスパッと解決する」類の事柄を、私たちは警戒すべきだ、というのが、対話の到達点にあったように思います。雨宮さんは、繰り返してこう言いました。「確かなことを、ひとつひとつ、やることです。」
このフェスタの後、湯浅さんを交えて、役員の方々の打ち上げが行われました。そこでは、「ライフサポート響」の阿部さんと、新しい支援の打ち合わせもできました。私たちは、巨大な現実に立ち向かう小さな点です。しかし、私たちは互いに尊敬しあい、小さな一歩を重ねたいと思います。そうした励ましを与えられた、「反貧困フェスタ」でした。
以上、ご報告いたしました。
(2012年4月29日 川上直哉 記)
仙台市内仮設住宅でのお茶会報告
東北ヘルプとYWCAは震災直後から、強い信頼関係の中で、協同して復興支援に携わってきました。
東北ヘルプ事務局は、当初、仙台YWCAの事務所の一角をお借りして始まりました。その後、事務所が現在の仙台市青葉区錦町のエマオに移ってからも、東北ヘルプとYWCAは多くのプロジェクトを共に企画し、実行してきたのでした。
昨年、まだ事務職員の方を雇用することができず、東北ヘルプの運営が危機に陥った時期がありました。そのときに救いの手を差し伸べてくださったのもYWCAでした。事務員が雇用されるまでの間、YWCAの皆さまが全国から、片時も途切れることなく、ボランティアとして仙台に来てくださり、わたしたちを支えてくださったのでした。
お一人お一人の素晴らしいお人柄と能力、東北ヘルプを支えるのだ、という力強く暖かい助けに東北ヘルプは危機を救われたのでした。
今日紹介させていただきます報告書をお送りくださったのも、そのボランティアとしてこちらに来てくださった大阪YWCAの平井さん、砂子さん、そして津戸さんです。
震災から1年が経過し、その間に少しずつ状況は変わってきました。その中でわたしたちの活動は、改めて継続性が問われています。
そうした中で、被災された方へ継続的に関わることを、このように続けてくださっていること、そして震災直後に生まれたわたしたちとの繋がりを、今も大切にしてくださっているYWCAの皆さまに心から感謝いたししつつ、ご報告を紹介させていただきます。
(2012年4月16日 阿部・記)
仙台市内仮設住宅でのお茶会報告
2012年2月24日(日)
東北ヘルプから日本YWCAへ発信されたボランティア派遣依頼に応える形で、昨年6月~8月、各地域YWCAの職員・会員が交代で3日~1週間ずつ事務仕事サポートをしたのが東北ヘルプとの関わりの始まりである。
9月以降は体制が整い専従スタッフも充実、遠方からのボランティアは必要がなくなったが、私たち大阪YWCAは、離れた地である大阪から継続して被災支援に関わる方法を探す中、若林ヘルプに相談、会員が女性中心のYWCAを受け入れてもらいやすいと思われる、自治会長や役員が女性である仮設住宅を紹介していただく形で仮設住宅でのお茶会を始めた。
一度目は2月24日(金)、大阪YWCA会員手作りのケーキと紅茶を持ち込んで、午前中にJR南小泉アパート仮設住宅、午後には七郷公園仮設住宅を訪問した。
七郷公園仮設住宅にて
仙台駅で購入した人気のチーズケーキ
その時に聞いた話では「津波に追いかけられたときのことや、この先の生活のメドがまったくたっていないなど、現実の厳しさを感じた」と報告がなされた。(2月の報告・大阪YWCA 平井、砂子)
2012年4月1日(日)
今回4月1日(日)は2度目。大阪YWCAから会員4名、若林ヘルプから1名で、午前と午後に分け2カ所の仮設住宅街を午前中は卸町五丁目公園仮設住宅へ。
卸町五丁目公園仮設住宅にて
日曜日の午前中のためか出足はゆっくりだったが男性1名を含む10数名の方が来てくださった。
順番に自己紹介、ケーキを食べ紅茶を飲みながら談笑、わざわざご自宅に取りに戻ってくださった手作りのお漬物と長ネギのぬたもお茶うけに加わり、2時間は瞬く間に過ぎ、次回は大阪名物のたこ焼きとお好み焼きをという声もいただいた。
午後は七郷公園仮設住宅、女性10名弱の参加を得た。仙台駄菓子やおせんべいなどのお菓子、果物、手作りのお漬物などもご用意くださっており豊かで賑やかなお茶会となった。みなさんすでに仲良しという印象で終始笑い声の絶えない会だった。
会話やサービスをする大阪YWCA会員
新幹線を乗り継いでも6時間ほどの距離、遠く大阪からできることは決して多くはないが、東日本大震災で被災された方々に長く寄り添い続けて行きたいという想いを強くした今回の旅であった。
(報告者: 大阪YWCA会員 津戸 真弓)
借り上げ民間賃貸仮設住宅と内職支援
東北ヘルプは、現在、二つの実働機関を持って動いています。
一つは、「東北ヘルプ事務局」です。正式名称は「一般財団法人 東北ディアコニア」です。この法人が、情報を整理し、新しプロジェクトを企画して実行する役目を担います。
もう一つは、「若林ヘルプ」です。任意団体で、正式名称を「自立支援ネットワーク」といいます。「東北ヘルプ」理事の黒須さんが、代表を務めています。
「東北ヘルプ事務局」は、人間の体に例えて言えば、「内臓」に当たります。情報を統合し、資金を正しく循環させ、問題を一つ一つ解決する。それはつまり、人間の「脳」や「心臓」や「肝臓」の役割を担うようなものです。
そして、「若林ヘルプ」は、ちょうど、人間の外観に似ています。「皮膚」や「手足」や「顔」のように、直接現場に触れ、現場に働きかけ、現場から情報を獲得します。それは第一級の情報に触れる最前線となります。
「若林ヘルプ」は、先月ひと月をかけて、新しいプロジェクトを企画し実行しました。その報告書を以下にご案内します。
このプロジェクトが私たちに示している状況は、深刻で重要なものです。それは、二つの現場に触れるものです。
一つは、仮設住宅です。そこには、住居と職業と故郷を失った人々が多く住まわれています。人間の尊厳は、「休むこと」と「働くこと」と「愛すること」によって維持されるものです。仮設住宅の方々は、その尊厳の源を脅かされています。
そこで、仮設住宅の方々のために、小さな「内職」を創り出して、働くことができるきっかけになればと願って、「若林ヘルプ」は「内職プロジェクト」を始めました。これは、単体完結のプロジェクトではなく、様々な支援プロジェクトに繋がるものです。さまざまな支援プロジェクトが行われる際、単純作業があれば、それを仮設居住の方々のアルバイトとして組み上げ、「働くこと」の可能性を探ろうというものです。
これは、仮設居住の方のための工夫です。
地震津波で自宅を失った方々の大部分の方が、仮設にお住まいではありません。実は、自宅を失った方々の大部分は、アパートやマンションにお住まいになっています。とりわけ、仙台市は従前より「空き家」「空き室」の多い町として有名でした。そこで、行政が家賃を負担して、被災者がアパートにお住まいになるというシステムが活用されています。これを「借り上げ仮設」とか「民間賃貸仮設」等と呼びます。
仙台市の場合、約2割の方が、仮設住宅に入られました。つまり、8割の方が、「借り上げ仮設」に入られています。今は個人情報の規制が厳しく、「借り上げ仮設」に入られた方についての情報は、行政の他、持っていません。結果、NGOの支援は、8割の人に届かなくなっています。
そうした人々へのアプローチもまた、「若林ヘルプ」の重要な活動になります。その可能性を模索する一端が、「内職」の創出の工夫と共に、以下の報告書に読み取られるものと思われます。
皆様のご支援によってこうした報告ができることを感謝しつつ、以下にご案内する次第です。
(2012年4月5日 川上直哉 記)
プレミアム大工道具セット配布プロジェクト 報告書
若林ヘルプでは、2月の中旬から「プレミアム大工道具セット」配布プロジェクトという事業に取り組んでおりました。これは、ペンチやニッパーといった、日曜大工で使えるような小道具をセットにして、被災者された方々にお送りするというプロジェクトでした。
今回大工道具を寄贈してくださったのは、仙台泉福音自由教会の牧師先生でいらっしゃる森ラリーさんです。
ラリーさんの宣教師仲間でアメリカの教会で働かれている方々が、「ぜひ、震災復興支援のために何かしたい」と集めたお金で大工道具を購入し、ラリーさんにお送りくださったのでした。私が初めてこの大工道具の山を見たときには、世界から日本へ向けられた温かいエールを目の当たりにした心地でした。
寄贈していただいた道具類は、ペンチなどの小道具類から、一輪車やシャベルなどの大道具までが含まれておりました。
まず、大道具をはじめとした一通りの道具を、若林区内の仮設住宅の自治会を中心にお配りしました。それでもまだかなりの数の小道具が残っていたので、これをまとめてセットにしたものを被災された方々の各家庭に宅配してはどうかという話になりました。
せっかく宅配するのならば、仮設住宅の方々だけでなく普段支援の行き届かない民間借り上げ仮設住宅の方々にも贈ろうということで、この家庭用大工道具セットの情報は、若林区の広報紙である復興かわら版『みらいん』を通じて、若林区内の5000戸弱の被災された方々に届けられました。用意できた数は37セットだった為、全壊の方を優先し、先着順にお配りする事とし応募をいたしました。
ところが、この大工道具セットへの応募の総数は600通にものぼり、若林ヘルプのFAXは一時パンク状態に陥りました。これまでの物資支援とは異なり、書面を準備しFAXで送るという行為は手間を要するもので、被災された方々が大工道具を本当に必要とされていることがはっきりとわかりました。また、仮設に暮らす方と違い支援が届きにくい民間借り上げ仮設住宅にお住まいの方々が、まだ支援を必要としていることの表れだったかもしれません。
先着の37名には、予定通り準備してあった大工道具セットを配達することに決定しましたが、残りの500人以上の人々にも、なんとか大工道具をお届けできないものかと、スタッフの誰もが願いました。
送られてくるFAXにはメッセージが添えられているものもあったのですが、その中には
「この支援情報を見て、ようやく自分で何かしてみる気力が起きた」
「津波で家財は何から何まですべて流された。この大工道具を心の支えとしたい」
「全壊になった家を修理しながら生活している」
といったものでした。被災者の生の思いがつづられている多くの言葉に、私たちの心は動かされました。
この状況について各方面へ相談したところ、国際飢餓対策機構様より御寄付いただけることになり、新たに400部の大工道具セットを用意できることになりました。この追加分の大工道具は数量の関係で中国に発注したのですが、先日ようやく到着し各家庭への郵送のための準備を進めているところです。また、追加分でもカバーしきれない約200戸の家庭に対しては、ボランティア団体マイトレーヤ様より御寄付をいただき、ドライバーセットをお送りすることに決まりました。こちらに関しても郵送の準備を進めているところです。
さて、最初用意してあった37セットの家庭用大工道具セットですが、こちらは宅配業者ではなく、若林区の仮設にお住まいの方に配布をお願いすることになりました。これは、仮設住宅にお住いの方々への小さな「内職」となればと願ってのことです。
仕事を引き受けてくださった仮設の方のお一人は、「セットを受け取った人たちの笑顔を見て、支援する側の気持ちが少しわかったような気がする」と言ってくださっており、支援される側とする側の相互理解にも役立ったようです。いずれにせよ、こうした単発なものであっても、できるだけ被災された方々へお仕事を回していきたいと私たちは考えております。37セットの大工道具は、3月20日までに全て、それぞれの家庭に配布されました。
「物資支援はもうおわりだ」
震災から一年がたち、私はそのような声を何人もの方々からお聞きし、またあるいは、自分自身でも、そのように考えることもありました。
ですが、今回のプロジェクトへの反響は、物資支援への需要がまだまだあることを強く物語っていました。
去年の3月11日から一年が過ぎ、気持ちの整理もようやくつき、自分でも何か始めてみようと考えた人たちも多かったようです。その意味では心の支援に近い物資支援であったのかもしれません。FAXにつづられたメッセージから、仮設外の被災者への物資支援がほとんど行き届いていない状況も、改めて明らかになりました。
このような物資支援を行ったのは初めてでしたが、今後もこういった物資支援の申し出があった場合には、ぜひまた『みらいん』を通じて発信していけたらと思います。今回配布された大工道具セットが、少しでも被災された方々の心の支えになることを願ってやみません。
(若林ヘルプ・加藤)
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