幸福を見出すためには
Café de FUKUSHIMA 活動報告
「Café de FUKUSHIMA」石川さんの活動報告をお送りいたします。
今回のご報告をなんとも言いようのない想いで拝読させていただきました。
・全ての動植物が放射能の被害を受けた。100 年単位で育った大 きな木も、除染のために切られてしまった。
個人的な話になってしまいますが、わたしの両親は秋田の山里に生まれました。
祖父は「百姓」で、少ないながら山の一部を持っています。
母の子供時代、祖父は何週間に一度はそこに入りました。
薪が必要だったからです。
薪を採るためには、木を植えて、山道を整備し、木の手入れを欠かしてはいけません。
娘(わたしの母)の結婚の際には、その木の一部を伐採して売りました。
売るのはもちろん太く、曲がりなく育てた古木です。
入用の際には木材としてまとまったお金にする。
そのために、100年前の顔のわからない「ご先祖さま」がこの木を植え、手入れし続けました。
あるいは100年は、顔のわからない孫やひ孫の時間です。
それでも、これからの100年のために日ごとの手入れをし、備える。
近年は、薪は必要なくなり、木材の値もずいぶん下がりました。
山に入る回数は減ったと話していました。
それでもできる限り、手入れは続けなければなりません。
それが今を生きる者の責任なのです。
いざという時に備えがない、では済まされないからです。
わたしは今日のご報告に、どうしても祖父の顔が浮かんでしまいます。
祖父がこの話をしてくれる中で、
わたしは個人を超えてつながっていく生の営みを、
はっきりと感じさせてもらったのでした。
忘れられない思い出です。
今後の暮らしについてこのような声も紹介されています。
・補償金をもらって、かつての生活が一変したけれど、以前のような幸福感は全くない。
どうして幸せを見出せなくなったのか。
どうすればもう一度、心から幸せだと思えるのか。
その道のりを共に歩むことが、支援の働きなのだと感じます。
どうすればそのことを分かち合えるでしょう。
答えは簡単ではありませんが、
大切なことは、こういった問いかけを受け取ることなのでしょう。
どうぞ石川さんの活動報告をご覧いただきまして、
被災者と支援者とを、皆さまの祈りに覚えていただければ感謝です。
(2017年7月27日 東北ヘルプ理事 阿部頌栄)