支援者のお働きの中から見えてくるもの
仮設住宅などでのディアコニア(奉仕、支援)報告書
2015 年 6月 30日


宮城県南部から福島県北部で活動を展開されている
「Cafe de ふくしま」、
カベナント教会の石川和宏さんの活動報告をお届けさせていただきます。

一人ひとりに繋がって支援を展開することは、難しいことです。
一見して成果が見えづらいことや、活動をまとめられない事も起こりえます。
ですがこの一人ひとりに繋がることこそ、最も大切なことです。
わたしたちは、「小さく、現場で」という目標を立てて、活動を続けています。

東北ヘルプは、石川さんのお働きに幾ばくかの支援をさせていただいております。
わたしたちが掲げた「支援者を支援する」という目的のためです。
石川さんをはじめとする、地道な活動を続けておられる支援者を支えることが、
ひいては被災者の生活、自立を支えることになるからです。
そしてその地道な支援から、被災地の現在が非常によく見えてまいります。
支援者の皆さまから、たくさんのことをお教えいただいて、わたしたちの働きや、
祈りが支えられているのだと思うのです。

どうぞ石川さんのご活動を、また活動を続けておられる支援者の皆さまのことを
皆様の祈りに憶えていただければ感謝です。

(2015年7月8日 東北ヘルプ理事 阿部頌栄)

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仮設住宅などでのディアコニア報告書(5)

2015 年 6月 30日 石川和宏
*報告期間:2015 年 6 月 13日 ~ 6 月 20日


【1】南相馬市 小池長沼西仮設住宅 南相馬市小高区の方々 6月14日
・この仮設は、4回目の訪問。自治会長以下継続した再訪の要請がある。
・サマリタンハウスから約36㎞・56分
・住民は、南相馬市の小高区の原発避難者がほとんどで、中には津波の被害の両方に遭われた方もおられた。
・提供したのは、DVD上映(綾小路きみまろ第5集)・カフェ・軽食
  ・奉仕者は石川和宏・石川千鶴子
・参集した皆さまには、「キリスト者であるが、日曜礼拝は2時半から原町キリスト教会の礼拝に出席する」と説明した。同教会会員の方が参加しておられた。
・この仮設(南相馬市鹿島区)の近くに、地元とは別に小高区の小中学校がある。
・小学生240名、中学生103名。仮設や借り上げに住んでいる子供たち。
・24ある仮設住宅の中で18の自治会長が小高区の出身者とのこと。
・集会終了後も数十分皆さんとお話しが出来た。また、最後の掃除まで手伝って頂いた。
・掲示板には、臨床心理士のイベント以外イベントはなかった。

支援の結果
・参加者13名

皆さまからお聴きしたこと

・小高の家はもう住めない。家がネズミの被害。長年住んでいないことで家はもう住めなくなった。
・家を解体する費用は自分持ち。後で東電から補償されるかも知れないが。
・家を解体したら税金が倍になった。
・原町に転居しようと思うが、大工が足りず家を再建できない。
・原町の土地代も値上がりした。
・小高に戻ることは孫たちが反対している。「仕事がない」「学校がない」という理由。
・子供たち家族が小高に帰らないので、自分たちも戻れない。
・除染を待つより他の場所で家を建てたい。
・小高の避難指示解除準備区域の人は3800人いるが、解除になっても帰るのは1/3だろう。
・小高で農業をしていた。仮設ではすることがない。

 

【2】福島市 旧松川小仮設住宅 飯舘村の方々 2015年6月15日
・飯舘村から避難した方々の住む福島市松川町の仮設住宅。29戸・61人が入居している。
・飯舘村役場生活支援課に紹介して戴いた。
・サマリタンハウスから90㎞、一部高速道路東北道経由で1時間30分。
・提供したのは、DVD上映(綾小路きみまろ第2集)腹話術「泣いた赤鬼」カフェ・軽食・包丁研ぎ
 奉仕者は石川和宏・石川千鶴子
・昼食後も3時頃まで皆さんといろいろな話しが出来た。

支援の結果
・参加者14名(男性3人、幼児1名)
・包丁12世帯(17本、内草刈り鎌2本)

皆さまからお聴きしたこと

・この集会所(談話室)で昼間に皆で食べたり飲んだりしたのは初めてだと思う。(管理人さん談)
・ボランティアは来ない。小さい仮設だから。3.11後もそうだった。
・「夢みたい」(入ってきた人)
・除染が済んだら帰るという人もいるが、結婚前の息子がいるので帰るのは不安だ。
・原発も大丈夫だと言われてきたのにあの有様。除染するから大丈夫と言われても信用できない。
・復興住宅が便利のいいところに出来たらそこに移ろうと思う。
・息子の持病の喘息が、原発後悪化し、入退院を繰り返している。
・ここの線量は他に比べれば低い。(隣接する公園の測定値は0.16µ㏜/hと掲示板に掲示されていた。)
・原発で何もかも奪われた。悔しくて涙が出る。
・新家(=分家)なので独立し山を買い耕作地にした。ワラビを栽培しやっと軌道に載ったがダメになった。
・小さい頃から学校から帰ると山に行って植樹をした。雪が降れば添え木をし、下草を刈って手入れした。40年経って木も育ち太くなったが、放射能で放棄せざるを得ない。やっと人並みの暮らしになったのだったが…。何のために長年苦労したのか。思い出して涙が出る。
・3.14にみぞれが降った。何かを燃やしたような臭いがした。原発の爆発だと知らされたのはそれから一週間後だった。
・5.17にバスで栃木の体育館に避難した。スクリーニングなどで12時間掛かった。疲れた。
・40町歩の山林を持っていたが、放射能でダメになった。
・飯舘は山菜(ウド・タラの芽・赤キノコ・シメジ)がたくさんとれた。おいしかったのだが…。
・桜の葉が黄色くなる頃は、山でキノコがたくさん取れた。
・原発爆発時に風向きが東向きだったらこんなことにはならなかった。
・仮設にいて、夜になると飯舘の頃のことをいろいろ思い出す。
・2年経ったら戻れると言われたのだが…。
・29年3月に全員帰れると言われているが、10年は無理だと思う。
・コーヒーが美味しかった。有り難い。
・ここへは7月27日に入った。
・体調が悪く医者に診てもらったら鬱病と言われた。
・仮設に一人でいるとつまらないことを考える。
・ねずみ・ハクビシン・イノシシに家を荒らされる。
・4年経って家がダメになった。湿気で。畳や床が抜けてしまった。処分した。
・座布団が50枚あったが使えないので処分した。
・息子に川俣で家を建てるように言っているが、「ゴミゴミした所は嫌だ」と言われている。
・何もすることがない。車もないし。
・(腹話術の言ちゃんを見て)孫みたい。
・3人世帯で4畳半2間、狭い。
・2重サッシを追加した。部屋の内側に追加したので、それで更に狭くなった。
・畳を敷いたのが入居2年後だ。
・台所で寝ている人もいる。寒いはずだ。
・東電に「まやえ」(方言で弁償しろ)と言ったところで、まやえる分けがない。
・一人でいると色々考えてしまう。

 

【3】南相馬市 小池小草第1仮設住宅 2015年6月16日
・南相馬市小高区の原発被災者(警戒区域から避難)の仮設住宅。
・サマリタンハウスから約36㎞・56分
・訪問先として絆職員の方に紹介(仲介)をして頂いた。
・提供したのは、DVD上映(綾小路きみまろ第2集)腹話術「泣いた赤鬼」カフェ・軽食・包丁研ぎ
・奉仕者は石川和宏・石川千鶴子

支援の結果
・参加者11名(男性2人、幼児1名)絆職員2名
・包丁6世帯・12本

皆さまからお聴きしたこと

・ボランティアは、ほとんど来ない。
・5年振りに大笑いした。
・自衛隊と同じ迷彩服を着たドロボーがいた。
・位牌まで盗まれた。金文字が値打ちがあると思ったか。
・体育館に避難した後、バスで片品村に行った。7月30日に抽選に当たりこの仮設に来た。
・(生まれは昭和の始め、夫と二人で暮らしている婦人)仮設でも周りは知らない人ばかり。でも友達は一人出来た。
・小高で大工をしていた。道具は津波で皆流された。(原発と津波の両方の被害者男性)
・東京都庁で働いていた。定年後故郷に戻り、パートタイムで原発の仕事をしていた。

 

【4】南相馬市 牛河内第3仮設住宅 2015年6月18日
・サマリタンハウスから約36㎞・56分
・34戸建設で5戸空き室29世帯約50名入居中
・10時スタート14時30分終了
・包丁研ぎが終わった後も皆さんとお話が出来た。
・高校生までの子供が10名くらいいる。珍しい。(夏の行事にお誘いしたい。)
・仮設で生まれた子供が2人いる。

支援の結果
・参加者14名(男性3人)
・包丁14世帯・22本

皆さまからお聴きしたこと

・3月12日昼頃避難指示が出た。
・避難所の体育館に集められた。
・最初は陸上競技場、その後喜多方から会津に移った。24年9月まで。その後この仮設に。
・当日朝は津波の人の炊き出しをする予定だったが。
・避難先は自分で決めた人もいたが、車のガソリンがなくて、バスで集団で避難しなければならなかった。
・すぐに帰れると思って鍵もかけずに体育館に集合した。
・石神小学校から群馬県、新潟県に避難した人が多い。
・3~4日で帰れると思った。電気もつけたまま家を出た。着の身着のまま。戻れたのは24年9月。
・すれすれで20㎞圏内だったが、警察は家に行かせてくれなかった。隣はよかった。
・24年9月に始めて一時帰宅が出来た。草が木になっていた。
・仮設住宅の抽選になかなか当たらず、焦った。
・余震で窓の鍵が外れそこから動物が侵入し家を荒らされた。
・住まいに置いた乗用車は、被曝しているので高級車でも5万円の値段しか付かなかった。
・除染の車は、レンタカーが多い。(同じような話しは他でも聞いた。)
・相馬と浪江の縁談が、「浪江は放射能でダメ」と破談になってしまった。
・福島の仮設住宅建物は、用済みになっても放射能に汚染されているからと、他府県は受け取らない。
・(一時帰宅で)家に帰ると頭痛が治る。
・今日は一日楽しませてもらった。(帰りがけに男性)

 

【5】相馬市 大野台第8仮設住宅 浪江町の方々 2015年6月19日
・全員が浪江町から避難した方々の住む仮設住宅。浪江町の全域から来ている。原発と津波の両方の被災者もいる。浜通りにある浪江町の仮設はここと大木戸の2ヶ所のみ。
・浪江町二本松出張所の紹介(アレンジ)して頂いた。
・サマリタンハウスから約22㎞・35分 原発被災者が住む仮設住宅としては最も近い。
・出席者で「浪江ガンバロー」の写真を撮った。
・3時間近く皆さんとお話が出来。
・パソコンのバッテリー切れで、DVD上映が途切れてしまったが、皆さんは、「みんなでお話しが出来る機会ができた。」と言ってくださった。充電して再訪する。

支援の結果
・参加者10名
・包丁9世帯10本

皆さまからお聴きしたこと

・津島まで逃げたが、渋滞で4時間掛かった。その間に被爆した。
・前の晩(3.11当日)も次の日も食事は出来なかった。
・おにぎり支給の行列に並んだが、自分たちまで回らなかった。
・津島では、「家族でおにぎり一個」だった。
・2~3日で帰れると思って毛布1枚しか持ち出さなかった。
・大東亜戦争当時も食べ物がなかった。ひどい体験を2回した。(昭和6年生まれの方)
・山形に避難した。そこで線量を(こっそり)測ったが地表で0.2µSvあった。結構高かった。
・モニタリングポストはコンクリート上に置いているので値が低い。周りを除染するし。少し離れると値は高い。
・町からもらった線量計は、値が低く出る。直してもらった。
・津島に逃げる道路で、自販機を壊している人を見た。ひどい人もいた。
・子供家族は福島を出て東京に行った。呼んでも線量が高いということで、来てくれない。こちらから出掛けて行くしかない。
・余所に行ったら、嫌がらせで車に傷をつけられた。
・私たちは避難中に放射能をいっぱい浴びている。
・山形に避難しそこで友達になった人から、「福島県産の野菜が山形にも来ているが誰も買う人はいない」と言われた。線量を測って安全なものを出しているのに、嫌がらせだと思う。
・(東電関係者の方)「絶対に逃げろと言われるから、支度をしておけ」と言われた。それで鍋や米を持って逃げたることができた。
・浪江の女性が「放射能汚染」を問題視され縁談が破談になったことはしょっちゅう聞く。
・(除染について)いい加減な仕事をしている、壁も除染したと言いながら、見たら壁面の蜘蛛の卵が残っていた。指摘してやり直してもらった。
・除染はみんな中途半端だ。コンクリート(犬走り)の上のツバメのフンがそのままだった。
・除染の人は「迷惑をかけて申し訳ない」と謝っていた。仕事もていねいだった。
・除染の人は「済みません」と言うが、東電のトップが謝るべきだ。誰も何も責任を取っていない。
・東電でなく盗電だ。
・町の除染は諦めて、別の場所に町を再建すべきだ。そしたら皆で安心な所に部落ごと移れる。
・仮設はネズミがいて、野菜などをかじる。ねずみ取りで大きいのを捕まえた。
・雨漏りがする。
・故郷の我が家もネズミがいて、何でもかじる。長押(なげし)もかじられた。
・飼い犬が見つかって保護されているが、戻してもらえない。
・一時帰宅の時、車に馬がまとわりついた。人なつっこいので多分野馬追いの馬だろう。
・ストレスで太ってしまった人が多い。
・5町歩の田んぼをやっていた。もう稲作の意欲は失せた。
・田んぼを見るとストレスになる。この仮設は田んぼが見えないからいい。

 

【6】まとめ
1)今回出会った方など
・合計62名 庖丁研ぎ41世帯 61本
・戸数の少ない仮設住宅も訪問したが、多くの方に出席して頂いた。
・イベントがあっても参加者は減っている。AKBも毎年来ているが、最近は空席も多い。また、芸能人のイベントでは参加者がなかった集会もあったと聞いた。
・しかし、ボランティアがほとんど来ない仮設もあり、入居世帯数に較べればとても参加者が多い仮設住宅もある。今後も数でなく、ニーズを求めて訪問先を探したい。

2)支援を支援してくださった方々のこと
・港南台キリスト教会の皆さまに、段ボール一箱の大量のお菓子などを提供して頂いた。
・横浜の拙宅のお向かい杉森さんに、「私は出掛けられないので漬物で協力します」と、また大量のぬか漬けを提供して頂いた。参加者には、「(ぬか漬けの)ニンジンの味をここまで出すのは相当なもの」などと喜んで頂いた。
・イベントに参加された方々には、仮設には来ることが出来ない支援者がいることを具体的に紹介して、「皆さまのことを忘れずに、応援しています」とお伝えしている。

2)南相馬市の放射線量
・原町キリスト福音教会礼拝出席前に、教会前の公園の線量を測定した。
・小さい水たまりが乾いたような場所で測定したら、地上15㎝で0.4µSv/h、同1mで0.14µSv/hあった。
・公園内の線量計(電光掲示板)では0.120µSv/h。(写真4)
・当時は、誰も遊んでいなかったが、遊ばせてはならないと思う。(写真5)

3)大野台仮設住宅の現況
・相馬市の大野台仮設住宅は、9ヶ所あり、総戸数は1,015である。
・機会があったので、駐車している車の台数を調べてみました。

第1仮設 戸数156戸 駐車13台
第2仮設 戸数135戸 駐車10台
第3仮設 戸数 76戸 駐車 7台
第4仮設 戸数 69戸 駐車 8台
第5仮設 戸数 77戸 駐車 6台
第6仮設 戸数164戸 駐車50台以上 飯舘村民
第7仮設 戸数162戸 駐車25台 南相馬市民
第8仮設 戸数 93戸 駐車39台 浪江町民
第9仮設 戸数 81戸 駐車18台 南相馬市民












以上の通り、この駐車台数から原発被災者向け以外(=津波被災者向け)は、ガラガラの状態で、飯舘・浪江・南相馬の原発被災者の皆さんが多数残っていると推察できる。

5)新たなディアコニアの可能性
・社協に立ち寄ったところ、新たな依頼を受けた。「にじいろカフェ」という市内外の仮設・借り上げ住宅に入居されている未就学児の親子対象のサロン。月2会開催。我々の奉仕について伝え聞いた社協職員からの要請。対象者の境遇が私たちの支援したい対象者と同じなので、是非協力したい。腹話術・読み聞かせ・母親へのコーヒー提供などが支援のメニュー候補になる。 ・また、7月のデイサービス支援の要請もあった。

6)山元町の津波被災者の様子(山元町関係者から聞いた話)
・仮設の入居率は半分以下。復興住宅に移った人も多い。
・仮設のイベントは、100戸で10人出てくればいい方だ。みんな余裕が出てきたからではないか。
・岩沼は復興住宅が部落ごとになっているが、山元町は一括りで抽選に当たった順に入居している。
・復興住宅に移った人から「お茶っこをやってくれ」という要望も出ている。復興住宅も支援が必要。
・役場はその支援には消極的なようだ。「早く忘れ、前向きに生きるため」とか。






写真1 旧松川小仮設


写真2 牛河内第3仮設


写真3 大野台第8仮設住宅


写真4 公園内の線量計


写真5 教会前の公園

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