WCC 世界教会協議会第十回釜山総会 報告(後篇)

  WCCを終えて、日本各地で報告会が持たれています。このホームページでは、先々週には報告を書き終えるはずでしたが、果たせませんでした。今、ようやく、原稿を書き上げましたので、下記に記します。

(2013年12月9日 東北ヘルプ 川上直哉 記)

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WCC釜山総会 報告(下)


1.初めに
  WCC総会は、いくつかの意味で、被災地にとって有益でした。

  第一に、日本の地震・津波・原発爆発事故という「三重の災害」について、世界に思い出していただくことができたということです。

  第二に、東北の震災以後も世界では悲劇が続く、その中で、私たちはどのように連帯したらよいのか、学ぶことができたということです。

  第三に、WCCにもある限界性を見つめ、その克服を目指す世界教会の運動に、私たちも参画することができる――それも、私たちの課題に取り組むことで、参画することができる――という励ましを得たことです。

  以下、写真と資料を用いながら、上記の三点をご説明いたします。
  特に今回は、韓国での新聞報道を日本語訳した資料を用いて、ご説明を「わかりやすく」してみたい、と思います。


2.アジアと正義と平和
  今回の大会で大切にされていたのは、「エキュメニカル・カンヴァセーション」というプログラムでした(右写真1を参照ください)。その様子は、こちらの国民日報の記事に詳しく説明されています。私は、「正しい平和(Just Peace)」を主題としたエキュメニカル・カンヴァセーションに参加しました。

  このプログラムと、全体会(プレナリー= plenary と呼ばれていました)の両方に参加して、私は多くの学びを得ました。それは、福島を考えるために必要な学びでした。

  アジア全体会という会合が持たれました(右写真2)。そこでは、「いのちの神よ、私たちを正義と平和へ」という今回のWCC総会の標語を巡って、厳しい議論が持たれていました。「正義と平和(Justice and Peace)」が、重要な言葉として議論されていました。

  アジアには、無数の悲劇が起こっています。人身売買、そのための誘拐、巨大規模の環境破壊、民族と宗教に基づく紛争、移住労働者への差別と偏見、女性の性労働、それらの背景にある政治的腐敗・・・。そうした事柄は、例えば「正義を巡る全体会(プレナリー)」で、影像を用いて、生々しく報告されていました(右写真3)。
 この写真の時、インドからの報告者は、公害のために体が「くっついて」生まれてきた赤ちゃんへの支援の報告をしていました。無理な開発は、最も小さな命を脅かす。それは、原子力発電所の問題を連想させる報告でした。今、この子供は、困難な手術を経て、無事に「切り離された」そうです。その報告がなされた時、会場には拍手が鳴り渡りました。

  実際、アジアには、無数の問題がある。それは、ひとつの「正義」で片付けられるものではない。そのことを表現する為でしょう。幾つもの全体会では、各国の若者たちが多様な衣装を身にまとい、様々な言語で「平和」や「正義」をプラカードに書いて登場しました(右写真4)。

  今、一つの印象深い発言を思い出します。アジア全体会では、はっきりとこう語る人がいました――「Just Peace=正しい平和」のために!という言葉遣いで、アジアでは、どれだけ多くの人々が酷い目に遭ってきたことだろう。そのことを考えると、「Just Peace」という言葉は、アジアでは使えない。アジアは多様性に溢れている。我々は様々な「Justice」と様々な「Peace」がを以て共存してる。使われるべき言葉は、「Just Peace」ではなく、「Jusitice and Peace」であるべきなのだ!――


3.語り出すこと=Speak Out!
  こうした議論のなかで、「フクシマ」を語り出すこと。他の問題に埋もれてしまわないように、そして、他の問題と連帯するように、注意深く、しかしはっきりと、「フクシマ」をspeak out!すること。それが、私たちの課題でした。ブースでは、確かに、それが毎日なされました(写真5)。そしてそのことは、韓国の新聞(一般紙)でも、取り上げられたのでした(国民日報紙「原発訴訟と祈りの要請」)。

  全大会やエキュメニカル・カンヴァセーションでも、それは、なされなければならない。参加した私たちの課題は、そこに絞り込まれました。

  そして、私たちはSpeak Out!をはじめます。

  まず、東北ヘルプの井形英絵理事が、「アジア全体会(プレナリー)」で、全アジアの代表者の前に立ち、発言しました。その内容は、主に三つ。震災の時の祈りと支えへの感謝と、海洋汚染についてのお詫びと、福島を覚えて祈ってほしいという要請、でした。

  WCC会場では、エキュメニカル・カンヴァセーションやプレナリー(全体会)の他に、「ワークショップ」も開催されました。「従軍慰安婦」「基地問題」「被曝」の三つのテーマに、東北ヘルプは参加しました。「従軍慰安婦」のワークショップには、川上が「男性日本人」として参席しました。そして、「基地問題」と「被曝」のワークショップには、日本キリスト教協議会や「宗教者九条の和」の皆様が中心的に関わり、東北ヘルプもそのお手伝いをいたしました。特に、FCC代表の木田牧師は、「被曝」をテーマとしたワークショップに、発題者として、登壇しました。

  木田牧師は、11月4日に釜山においでになり、幾つもの御登壇を果たされました。上記のワークショップに加え、東北ヘルプとニュージーランド共同ブースでの「アドヴォカシ―・フォーラム」(写真7)、そして月曜日夜に行われた「キャンドルナイト」(写真8~10)でも、登壇をされたのでした。


4.問題の多様性と、それでも求められる統合
  WCCで学んだ事柄の一つは、「多様性」と「統合」の問題です。

  被災地は、未だに「復興半ば」です。地域によって、復興の足取りは全く異なっています。しかし、世間はどんどん進んでゆく。オリンピック開催地も決まり、「特定機密保護法案」の喧騒も気になります。そして、フィリピンでは新たに巨大な水の害が起こっている。そんな中で、岩手の復興の遅れが気になりながら、しかし、福島の問題が不気味にくすぶっている。

  一つの課題に取り組めば、おのずと、他の課題がおろそかになる。しかし、慌てて全体を一つに統合するような計画を建てれば、必ず、無数に展開する問題の多様性が押しつぶされ、結局、弱いところ・遠いところ・小さいところへと、矛盾の皺寄せが吹き溜まる。

  では、どうしたらよいのでしょうか。

  川上は、4回連続して行われた「正しい平和を巡るエキュメニカル・カンヴァセーション」に参加し、上記の問へのヒントを頂きました。WCCは広く意見を求めておられましたから、川上は、初回の参加後、英文で、自らの考えをまとめて投稿しました。多くの方々の協力を得て、それはWCCへと届き、後に続くエキュメニカル・カンヴァセーションで紹介されました。以下に、その投稿した文章と、その日本語訳を記します。


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Dear Sisters and Brothers
親愛なる兄弟姉妹の皆様


I believe you had a good experience from good Saturday programs and great Sunday services.

  この土曜日のプログラムと日曜日の礼拝を通して、素晴らしいご経験をなさったこととでしょう。心から、お慶び申し上げます。

  I have reflected on the stimulating conversations of last Friday during this weekend. I was so encouraged that many members of our EC argued the importance of thinking about the theme of Just Peace in the practices of each church. As Benjamin Disraeli said, "Justice is truth in action!" And it was also significant for me that there has been a discussion of the meaning of Just Peace for more than 30 years in USA. I learned this after the EC from a delegate of UCC-USA.
  この週末の間、私は、先週金曜日のことを思い出していました。金曜日に行われたエキュメニカル・カンヴァセーションは、本当に刺激的な話し合いの時でした。
  特に、それぞれの教会の具体的な活動の中で「正しい平和」というテーマが考察されて行かなければならないと、そう語られたことを思い出しています。それはエキュメニカル・カンヴァセーションに参加した多くの方々の口から出た言葉でした。そのことに、私はとても励まされたのです。ベンジャミン・ディスレーリがこう言ったことを思い出します。「正義は、行動の中にあるとき、初めて真実である!」
  また、米国においては30年以上もの間「正しい平和」という言葉の意味を議論し続けてこられたことを知らされましたことは、私にとって、とても意味深いことでした。このことは、私たちのエキュメニカル・カンヴァセーションが終わったその場で、米国合同教会の代議員から教えて頂いたことです。


  I could not forget the "Asia plenary." We confirmed the diversity of Asian problems. And I remember again the Asian argument, "we should not use Just Peace, but Justice and Peace." In this reflection, I have found a problem of this argument. Of course Asian diversity is important, but for this very reason, we also need a kind of integration. Though each problem is equally important and urgent, there is a limit to what we can do at one time. We must do things step by step. But how can we decide our priorities? To answer this question, we have to consider the adequate meaning of the Just Peace.
  また併せて、この金曜日の印象深い思い出として、「アジア全体会」があったことを、申し添えなければなりません。そこで私たちは、アジアの問題が如何に多様であるかを、確認したのでした。そこではこう語られていました。「“正しい平和”という言葉を、私たちは使うべきではないと思う。そうではなくて、“正義と平和”という言葉をこそ、私たちは使うべきだ。」このことを思い出しながら、私は思索を深めています。
  勿論、アジアの多様性は重要です。しかし、まさにそうだからこそ、私たちは一つに繋がって行かなければなりません。一つ一つの問題は、等しく重要で緊急のものです。しかし、一度にできることには限りがあります。ひとつひとつ、やっていかなければならない。しかしどうやって優先順位を決めることができるでしょうか?この問いへの答を求めて、「正しい平和」という言葉の適切な意味を考える必要に、私たちは迫られているのではないかと考えたのです。

  We can look at the situation of Fukushima as a good instance for the necessity of Just Peace while keeping diversity. There is 200,000 people who have been forced to evacuate because of the explosion of the Fukushima Daiich Nuclear Power-plant. The 200,000 people are divided in many dimensions. Their problems appear with full diversity. Acting in advocacy works, we are faced with a difficulties because of this diversity. If we advocate the right of one person, we might block the advocacy for another. In Fukushima, we are building solidarity among victims first, and advocating later. Similarly, in Asian diversity also, I believe we should build solidarity first to pursue liberation.
  「多様性を保持しつつ、“正しい平和”ということを考えること」。この課題のための適切な事例として、福島の事例が挙げられます。
  福島第一原発の爆発事故のために、20万人に及ぶ人々が強制的に避難させられました。この20万の人々は、今、多くの次元で分断されています。そこに現れる問題は、まさに、多様なものです。人々の苦しみに寄り添えば寄り添うほど、私たちは困難に直面します。なぜなら、その苦しみは本当に多種多様だからです。ある人の権利を守ろうとすると、別の人の権利を阻害するかもしれない。それが福島の現実です。
  ですから私たちは、福島において、まず求められる者は連帯であると考えています。連帯を生み出した後、権利の擁護のために、苦しみに伴走すること。この順序が大事だと思うのです。
  このことは、アジアの多様な苦しみにおいても、当てはまるのではないでしょうか。つまり、まず先に連帯が生み出され、その後に、解決が起こる。この順番が大事であると、私はそう確信しているのです。

  In these reflections, I find a crucial point. I mean, Justice is always an urgent issue and we always long for Peace.
  こうした省察を踏まえて、一つの決定的な理解にたどり着いたように思います。それはつまり、「正義はいつも喫緊の課題である。そして、平和はいつも、私たちの憧れの的である」ということです。


  I believe we have to avoid all kinds of monism. Because we are living in diversity, it is impossible to definite a single meaning of Justice. We can only subscribe to Justice as anti-injustice. Justice is always an urgent issue, not an abstract one.
  事態を単純化する過ちに、いつも警戒するべきだと思います。私たちは、多様な人々・多様な状況・多様な文化の真っただ中に、生きているのです。ですから、たとえば「正義」ということについても、その意味を単一化して決めつけてしまうことは、本来的に言って、不可能なことでしょう。
  しかし、私たちはただ、「正義」を「不正義への抵抗の言葉」として把握することができるのだと思います。「不正義への抵抗」としての「正義」です。その意味で捉えられる「正義」は、一つの特徴を持っています。それはつまり、常に喫緊の課題である、ということです。それは常に具体的な問題であり、いかなる時も決して抽象的な事柄ではない。


  I remember the meaning of Shalom from the last presentation of the first session. I recall the way to the nukes-free country of Aotearoa-New Zealand. 40 years ago, the people of A-NZ started to make theirs a nukes-free country and they overcame the barriers to this 20 years ago. I asked the participants from A-NZ in our Madan Booth what was the secret of this success. She shared her thought that it was their longing for Peace, envisioned concretely as a Nukes-Free World. And this created solidarity.
  エキュメニカル・カンヴァセーションの最初のセッションで、コンザット・ライザーさんが「シャローム」という言葉の深い意味を語ってくださっていました。そのお話を聞く中で、私は、ニュージーランドが「核から解放された国」を創り出してきた道のりを、思い出していました。
  私たちはこの総会で、ニュージーランドと共同のブース展示を行っています。その中で知らされたことですが、40年前、ニュージーランドの人々は、「核から解放された国」を創ろうという運動を始め、成功させたとのことです。私は、その成功の秘密は何であるかと訊ねました。答えは、「平和への憧れだ」とのことでした。「核から解放された国」として具体的に望見される平和への憧れ。その憧れによって、運動は成功したのだ、というのです。


  In conclusion, we can only use the words "Just Peace"with diversity when we use it in our longing for peace within the anti-injustice movement.
  つまりこういうことなのではないでしょうか。私たちは「正しい平和」という言葉を使うべきである。しかしそれは、多様性が確保された上でのみ、使うべきである。多様性を確保した上で「正しい平和」ということを語る。それはどのようにしてなされるのか。それは、「不正義に抵抗する運動」の内に秘められた平和を見つめ、それを自分の憧れとして胸に抱くことによって、成し遂げられる。――これが、私の現在の結論なのです。

  I believe my reflection of this EC is so significant for our complicated problem of Fukushima. I appreciate again. I will join tomorrow's EC with big expectation.
  以上のように、エキュメニカル・カンヴァセーションは、私にとってとても意味深いものとなりました。とりわけ、福島の課題の複雑さに悩まされている私たちにとって、この学びはとても大切なものとなりました。改めて感謝を表明いたします。
  明日のエキュメニカル・カンヴァセーションにも、大きな期待を抱いて参加したいと思います。

Best regard in Christ,
Rev. Dr. Naoya Kawakami
Gen. Sec. of Touhoku HELP
touhokuhelp.com



5.「平和を巡る全体会」と小さな灯
  「毎回、WCC総会には、忘れがたい出来事が起こるのだ」と、ある方から聞きました。

  たとえば、初めてアフリカでWCC総会が行われた時、開会礼拝で、靴を脱ぐことが求められたそうです。そして説教者がこう語る。「ここアフリカの大地は、ながらく、繰り返し、アフリカ以外の人々によって、土足で踏み荒らされてきた。今、ここで私たちは靴を脱ぎ、アフリカの大地への敬意を示し、新しい出発を誓わなければならない。」

  そうした「出来事」が、ここ釜山でも、起こらなければならない。それは、かならず福島との連帯の中で、起こらなければならない。――そのように、韓国の敬愛する兄弟姉妹の皆様が、そして世界中の主にある家族が、私たちを励まし続けてくださいました。そのエールは、昨年12月の会津に一つ実りをもたらしました。それが、「原子力に関する宗教者国際会議」でした。東北ヘルプも、そこに積極的に関わりました。それは素晴らしい思い出です。(その行き届いた報告は、こちらをご参照ください。)

  この会津の会議において、大きな感動を呼んだのは、張允載(ジャン・インジェ)師の講演でした。それは「Exodus to a Nuclear Free World=核から解放された世界への脱出/出エジプト」と題されたものでした。(こちらから、日本語翻訳付で、ご高覧頂けます。)

  この張先生の講演の内容が、WCCへと引き継がれていきました。私たち東北ヘルプは、韓国NCCと何度も会議を持ち、この張先生の講演がWCC釜山総会の最終盤行われることを共に確認し、その講演をゴールとして、核の問題を提起する声を、今回のWCC釜山総会中、あちこちで響かせよう、と語り合いました。その私たちの思いに、台湾やニュージーランドをはじめとする多くの国々が、協力してくださったのです。

  そして、前回報告した通り、本会議内では「核問題を取り扱う声明文」を求める嘆願が採択されました。

  そして、「朝鮮半島の平和と再統一を求める声明文」は、その末尾に次のように記したまま、採択されることになります。

  d) 第10回WCC総会は、「核から解放された世界」を打ち建てるステップとして、北東アジアにおける全ての核兵器と核発電所を、完全に、実証可能な形で、不可逆的に、廃棄して行く、ということを、確なこととする。今、世界のあらゆる場所において核兵器が人道的にゆるされないものであるとする国際的合意が形成されつつある。我々の歩みは、この形成途上の運動に参与するものでもある。以上のことは、地球のどこにおいてであれ、核の危機によって、これ以上いのちが脅かされることがあってはならない、という理由に基づいて展開している運動である。

  そして、「核から解放された世界に向かう声明」が、審議未了のために中央委員会に付託されたことも、前回報告した通りです。そのことが決定される際、大きな地響きのような苛立ちの声が、会場を揺らしました。その背景には、張師が講師を務めた全体会の「出来事」があったのです。

  張師の講演の様子は、張允載師のインタビュー「平和を巡る全体会を終えて」(「国民日報」紙より)に、掲載されています。また、私はその様子を、以下のようにメールにして日本の方々に配信しました。

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  「平和を巡る全体会議」では、リベリアのノーベル賞受賞者である女性活動家と共に、韓国の梨花女子大学教授・張允載牧師のプレゼンテーションがありました。張先生は、リベリアの力強い映像を用いたプレゼンテーションの後、ゆっくり、朝鮮半島の困難から議論を始めました。

  そして、世界に核の危険が急速に広がっていること、それは私たちの生活と密接につながっていることを、語り出します。そして彼は、「核の世界からのエクソダス(脱出/出エジプト)」を、語り始めました。それは、昨年12月の会津で放射能問題を巡り行われた、宗教者国際会議において彼が発表し、仏教徒の方々にも大きな感銘を与えた主張でした。

  「平和を巡る全体会」の司会は、南アフリカ聖公会司教が担っていました。舞台には、丸いテーブルが置かれ、そのテーブルに、南ア・リベリア・韓国の三人の大人が座り、静かに話をする。その背後に、若者がたくさん、座って聞いている。そんな演出になっていました。

  張先生の静かな語り口が次第に熱を帯び始めたとき、司会者が遮りました。平和の話をしていたのに、脱核の話になる。それでいいのかなと、張先生の熱を冷ますように水を差しました。

  それからもう一度、リベリアの方の力強い話が挿入されて、そしてまた張先生が、自分たちの生活のことを静かに話し始めました。

  わたしたちの外側を明るくすればするほど、実は、私たちの内側は、暗くなってくるのではないか。

拍手が起こります。
そして、スクリーンの映像が消されました。
客席もステージも、徐々にすべての電気が消されました。
そして、テーブルに置かれていた蝋燭に小さな灯がともされる。

  張先生は、柔らかく、でもはっきり、心の中の灯について歌う英語の歌を、歌い始めます。私の知らない、でも、優しくて単純な、静かだけれど力強い歌。いつの間にか、会場はその歌に包まれました。手拍子を取る人。歌う人。暗い会場に、温かな心が溢れました。

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  この張師の講演は、きっと、WCC第十回釜山総会の思い出の「出来事」として、記憶されることだろうと思います。


6.WCC釜山総会の先へ
  WCCは、現代世界のキリスト教界の博覧会のようでした。そこには多くの発見がアrました。そしてそこには、全教会の古くて新しい課題である「教会の一致」の問題が、露わになっていました。

  WCC総会内でも、「一致」を巡る議論は困難の中を進んだようです。そのことは、「国民日報」紙11月5日付「一致を巡る議論」と11月6日付「正義と一致を巡る全体会」および同月日付「6日(水)の日程終了」に、詳しく報告されています。

  また、前述した「核のない世界への一歩」と位置付けられた「朝鮮半島の平和と再統一を求める声明」を巡っても、政治的配慮による混乱と不一致があったことが報じられています(11月7日付「国民日報」紙「WCC釜山総会世界教会、朝鮮半島の非核化•平和体制促す」および 11月9日付「NEWS AND JOY」紙「WCC準備委員長、朴大統領支持を支持し、国連の対北経済制裁に賛成を表明:閉会式で、WCC朝鮮半島声明を正面から批判」を参照)。

  そして、WCCそのものに対しても、韓国内の教会に分裂と闘争が起こっていたようです。11月8日付「NEWS AND JOY」紙は「WCC宣教委員会長「宗教多元主義の疑惑は誤解」ミッションステートメント作成責任者に聞く:「WCC反対者は、今回の声明しっかりと読んでほしい」」と題した記事を以て、WCC側からの「反対者」への反論を掲載していました。

  WCCに反対していたのは、所謂「保守派」や「福音派」と呼ばれる方々であると噂されています。しかし、11月4日付「国民日報」紙は、「「我々WEAは、WCCとの協力関係にある」世界福音同盟が明らかに」とする記事を掲載し、所謂「福音派」の全教会を代表する立場からWCCを支持する記者会見の様子を報じました。

  この記者会見を行った世界福音同盟の代表者の方は、東北ヘルプのブースで、韓国の福音派の長老(若者のための全体会で講演者を務めた金牧師)と、会議を行って下さいました。そしてその会議の中で、川上宛、要請がなされました。WCC反対運動を行っている人々の正体は何であるか、調べてほしいという要請でした。

  帰国後、川上は、こちらにあるとおり、返信をしました。その末尾、私は次のように記しました。

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  私たちは今、韓国の教会と世界の福音派の兄弟姉妹のために再び祈り始めるべき時にあるのだと思います。そして私は、世界福音同盟が立ち上がり、WCC釜山総会が取り扱おうと試みた事柄を引き継ごう、と決意されていることを知り、大きな勇気を得ています。
  神様の御業に参画するためには、連帯が必要です。ご存知の通り、この地球には多くの痛みがあります。放射能汚染は、その一つの例でしょう。今私たちは皆で叫び声を上げているのだと思います。たとえばその声は、「核から解放された世界へ脱出したい!出エジプトの出来事をもう一度!」という叫びかもしれません。
  そして私は今思い出しています、「私の父はいつも御業に勤しんでいる。だから、私も働くのだ」というイエス様の声を!

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  釜山総会は終わりました。そして、世界は痛んだままに残されてます。福島の課題はこれからでしょう。津波被害地の孤立は、いよいよ厳しくなるでしょう。しかし、主は働かれます。私たちも、その業に加わりたい。その願いは、きっと、WCCの示した教会の破れをキリストの十字架と同期させ、その先に復活のイエスを幻視させるものと、私はそう信じています。この信仰の告白を以て、WCC釜山総会の報告を終わります。

(2013年12月10日 事務局長 川上直哉 記)


会場となったBEXCO会場


写真1:エキュメニカル・カンヴァセーション


写真2:アジア全体会


写真3:インドから、
環境汚染により接着して生まれてきた
双子への医療支援について


写真4:全体会における若者たち


写真5:ブースの様子


写真6:ワークショップの様子


写真7:アドボカシー・フォーラムにおける木田先生の発題


写真8:キャンドルナイト


写真9:キャンドルナイト木田先生


写真10:キャンドルナイト 木田先生の発題を聞く人々

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