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「スピリチュアル・ケア」と魂のこと
私たちは今、宗教学者・心理学者・医者・仏教者と共に、被災地における心のケアがどうあるべきかを、議論し続けています。その中で、さまざまな知見に触れる機会を得ています。そしてその新しい知見は、これまで知っていたことを新しく知る、という経験をもたらすものとなっています。
米国政府の緊急救援マニュアルによると、被災地において、まず最初に、緊急支援を行いつつ「現地の宗教状況」を調査するのだそうです。そしてその「現地の宗教」を活用することで、多くの身体と精神の疾患を防ぐことができるのだそうです。
宗教が担当するケアを、英語では「スピリチュアル・ケア」と言い、ドイツ語では「ゼール・ゾルゲ」と言います。それを訳すなら、「霊的なケア」とか「魂への配慮」ということになります。そうしたものがあれば、多くの身体・精神疾患が、未然に防げるということです。
ということは、つまり、今、私たちの社会は大切な何かを失っている、ということになるのだと思います。
2月になってから、そうした欠落を、強く感じるようになりました。
「外国人被災者支援プロジェクト」において、何十人もの困窮者の存在が確認されつつあります。私たちの国には、それなりに整った福祉制度があり、文明国にふさわしい救済手段があります。しかし、そうした制度や手段が、届いていない。
それはなぜか。
それは、一つには、困窮者が絶望しているからです。
あるいはそれは、困窮者が孤立しているからです。
絶望とはなんでしょうか。それは、望みを失っている状態です。望みとはなんでしょうか。それは、目に見えない未来です。
孤立とはなんでしょうか。それは、絆を失っている状態です。絆とはなんでしょうか。それは、目に見えない人との繋がりです。
「目に見えないもの」が、人間には必要なのです。その「目に見えないもの」を、仮に「スピリチュアル」と呼んでみましょう。そうすれば、「スピリチュアル・ケア」が必要だ、ということも、得心されるのではないでしょうか。
ライプニッツという哲学者が、「本当に大いなるものは否定によってだけ、言い表すことができる」と言っていました。「見え“ない”もの」「形の“ない”もの」という風に、「・・・ないもの」として言い表されるものがあります。それはきっと、「本当に大いなるもの」なのです。
そういえば、「星の王子様」も「大切なものは目には見えない」と言っていました。「・・・ないもの」とだけ言い表すことができるものは、きっと、「本当に大切なもの」なのだと思います。
「目に見えないもの」「形のないもの」。それは大切なものだ。だから、それが傷ついたなら、それを何とかしなければならない。絆とか、希望とか、そうしたものをもって、被災者を支援しなければならない――本当に、そう思います。
しかし、「目に見えないもの」「形のないもの」を、どうして取り扱うことができるでしょう。
おそらく、そのために必要なのは、「言葉(コトバ)」と「身体(カラダ)」なのだと思います。
思いを尽くしたコトバの中に、心がこもります。その言葉が、カラダを張って証しされるその時、そのコトバを聴く人は、人生の足場を思い出すのだと思います。そのようにして、「目に見えないもの」へのケアが行われる、そう思うのです。
キリスト教の伝統においては、「肉体」の中に場所を得た「霊(精神)」のことを、「魂」とか「生命」と呼んできました。そして、その「魂」をケアするのが牧師・神父の役割とされてきました。
今、被災地で、何人もの僧侶や神官が、まさに「魂」のケアに心を砕いています。カラダを張って、コトバを紡いでいます。その営みが今、次第に重要性を増しつつあります。その営みの必要性が、日を追うごとに、増しているように思うのです。
そうしたことを思いながら、以下に、東北ヘルプが関わりました講演会開催の報告書を公開いたします。いずれも、被災者に直接語りかけていただくことを主旨とした講演会です。一つは既に終わり、一つは近日開催されるものです。皆様のご支援によって、こうした会を開けますことを感謝しつつ、ここにご報告する次第です。
(2012年2月22日 川上直哉 記)
二つの講演会
東北ヘルプは、他団体と協力し、二つの講演会に関わりました。
一つは、柳田邦男氏による講演会です。この講演会は、「心の相談室」の主催として、東松島市等の後援を受け、3月3日(土)午後、行われます。詳細は、下記のチラシをご覧ください。
柳田さんは、ご子息を自死によって、突然に失いました。その悲しみと苦しみは、『犠牲』という書物に著されています。その柳田さんに、被災した方々へのメッセージを語っていただこう。そういう企画です。被災者の方々も登壇し、その言い尽くせない思いを語っていただきます。そして、柳田さんが語る。そこに私たちは、柳田さんの人格をかけたコトバを聴き取る。そうしたことが、目指されています。
もう一つの講演会は、相田みつを美術館館長による講演会です。この講演会は、「若林ヘルプ」様との共催として、仙台市の後援を受け、「こころのクスリ」と題して、1月26日に開催しました。
「若林ヘルプ」代表で、私たち「東北ヘルプ」の理事でもある黒須さんが、この企画を建てました。黒須さんは、震災直後から、この講演会を開催したいと願っていました。
黒須さんは、仙台市内に代々続く美容師です。もうずいぶん前、美容室が火事に遭いました。すべてを失ったように思えたとき、黒須さんを支えたのは、相田みつをさんの書だった、というのです。それで、この度被災したすべての人に、希望を持っていただくための「こころのクスリ」として、講演会を企画したのでした。
「東北ヘルプ」の川上が、仙台駅から講演会終了まで、講演者である相田一人さん(相田みつを美術館館長)の接遇をしました。相田一人さんは、まず仙台の津波被災地を通って海岸に行き、慰霊塔を訪れて追悼のまことを表してくださいました。
それから、会場に入ります。いくつかの取材や挨拶が、控室にて行われました。そして、開場となります。仮設住宅等から大勢の人が集まり、会場はすぐに満員となりました。
開演の直前まで、川上は控室に相田一人さんと一緒にいました。なかなか、立ち上がろうとされませんでした。被災者に語るということ、そのことの重みが、その腰を重くしているように見えました。「さあ行きましょう、きっと、みつをさんの書が、語るべきことを語ってくれます」と、川上がそう励まして、開演時間の2分前に、相田さんは会場に入られました。
仙台市若林区長の挨拶などを終え、いよいよ、講演が始まります。
相田みつをさんの書が紹介されます。そして、みつをさんの生涯が語られます。家族の期待を一身に受けての学業、その理不尽な挫折、敗戦と兄の死、母の錯乱するほどの悲しみ。そうした中で、書を追求するみつをさん。そして、独自の書体を確立し、どこまでも新しい言葉を求めて書き続ける。誰からも認められない。それでも、書き続ける。
お話を聴いているうちに、相田さんの書には生命(いのち)が込められているように思えてきます。
戦争は、相田さんの大切なものを、たくさん奪いました。たとえば、お兄さん。お兄さんは、貧しい相田家の事情をかみしめつつ、弟をかばい、悲しみを共にした。そのお兄さんは、小学校卒という学歴にもかかわらず、陸軍司令部に職を得て、スパイ取締担当となって中国大陸で働くことになる。しかしその職務に対する良心の呵責に耐えかね、すべての中国人を無罪放免し続ける兄。そのことを知らせる手紙は、その場で焼き捨てなければならない現実。そして、一発の銃弾がその兄の胸を打ち抜き、死亡したとの連絡を受ける。その死は即死であった、との報告が、錯乱する母の唯一の支えとなるが、しかし、その報告が誤りであり、長い時間苦しんで亡くなったことを伝える続報が届く。いよいよ錯乱する母。
そうした痛みの思いを込めて、「いのち」が書に表れる。
そうした書を遺した父上を想い、その父に認められなかったのではないかとの無念をにじませながら、相田一人さんが語る。
気が付くと、会場は涙でいっぱいになっていました。
「こころのクスリ」とは、なんでしょうか。きっとそれは、コトバなのです。それは、思いを尽くしたコトバです。それは、一人の人間の人生を賭けた語りの中に、場所を持ち、魂に届く。そういうコトバが、「こころのクスリ」なのだと思います。
私たちは、不安と絶望に苛まれる被災地に立ちます。皆様の祈りは、私たちすべてを支えるコトバとなります。どうぞ、今後とも、祈りに覚えてご加祷下さいますよう、お願いをいたします。
(2012年2月22日 川上直哉 記)
「心のケア/魂への配慮」
東北ヘルプは、その設立当初から、最も小さくされた人々へのケアをしようと志しました。
東北ヘルプは、3月18日に設立されました。当初は、毎週、「全体会」と呼ばれる会合を開きました。その第二回目、3月25日、一つの意見が出され、私たちは一つの大きな課題に取り組み始めることになります。
東北ヘルプは、設立後すぐ、物資支援に携わりました。教会はもとより、お寺や民生委員の皆様のお力をお借りして、必要なものが必要な場所へ届くための努力をし続けました。
その活動が1週間経った、3月25日のことです。「生きている人」へのケアが、たくさん報告されました。それは喜ばしい、輝かしい報告でした。しかしそこに、一つの指摘がなされます。それは、「死んだ人」へのケアの欠如でした。
津波は、すべてを押し流します。絶命した人の遺体も、容赦なく、津波は流して行きます。3月18日の津波被災地には、まだ、無数の遺体が、手も付けられず、泥と瓦礫の中に眠ったままになっていました。
私たちキリスト教の支援団体は、取り組むべき対象に、ひとつの基準をもっているはずです。それは、「一人の人、小さくされている人」へのケアを、最優先課題とするということです。
今、声も上げられずに横たわっている遺体がある。その死者こそ、「最も小さくされた人」ではないか。
そうした指摘が、3月25日に、全体会で、挙げられたのです。その指摘は、東北ヘルプ全体を動かしました。「死者へのケア」をしよう。すぐに、事務局は動きました。
そして、ひとつの成果が生まれます。
一つは、葬祭関連の支援でした。その概要は、すでに東北ヘルプのホームページで長くご連絡してきたとおりです。
もう一つは、「心の相談室(クリックでリンクページが開きます)」です。それは、東北ヘルプが参加して作り上げた、諸宗教が協働する傾聴活動センターです。それは具体的には、ラジオ番組を放送し、電話相談を受け、出張傾聴喫茶を行う主体として、今、活発に活動しています。(詳しくは、「仙台」と「心の相談室」を検索ください。過去のラジオ番組を含め、活動の報告がなされています。)
今、被災地には、「心のケア」あるいは「魂への配慮」が、喫緊の重大課題として存在しています。そして、発災後1年を経ようとする今、その課題はいよいよ大きくなっています。私たちは、この課題に正面から向き合いたいと思います。
その際、大切なのは、「物品」の支援と「心」の支援とを切り離さないことだと思います。
「心を込めた物」をお送りすること。しばしばそれが、「心のケア」の入口になります。
以下に、そのことを思い出させてくれた支援のご報告をいたします。それは、「お正月に、お正月のお弁当を」というプロジェクトでした。
私たちのできることは小さなことですが、しかし、そこに無限大の祈りと願いと希望を込めることは、できるかもしれません。そんなことを望見しながら、以下に、このお正月の報告をさせていただき、その展開の導入といたしたいと思います。
(2012年2月20日 川上直哉 記)
お正月に幕の内弁当を
1月3日、東北ヘルプは、協力関係にある任意団体「若林ヘルプ」様と一緒に、仙台市内「東通仮設住宅」をはじめとする三か所の仮設住宅にお住まいの方々に対して、無料での「お弁当提供サービス」をさせて頂きました。
このサービスは、東北ヘルプ代表の吉田隆師(日本キリスト改革派仙台教会牧師)が企画したものでした。「震災以来なにかとご不自由な日々を送られてる方々に少しでもお役に立てれば」との思いが、そこにこめられました。10月からお弁当支援を継続してきた若林ヘルプの黒須氏と共に企画が練られ、(株)プレナス(ホットモット)様のご協力を得て、実現しました。
用意されたお弁当はお正月らしく豪華で色とりどりの食材があしらわれ、見るからにとても美味しそうな幕の内弁当でした。
お弁当は、単価680円のものが選ばれました。147食を用意しました。「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク(東北ヘルプ)一同」からの、新年のご挨拶を添えました。「東通仮設住宅」と「七郷中央公園仮設住宅」と「JR借上げアパート」にお住いの方々の中で、それぞれに一人暮らしのお年寄りにお贈りしました。この方々の多くは、普段から食事サービスを受けておられる方々です。またいつも自治会活動で尽力して頂いている方や防犯部などで活動して頂いている方などにも、ご労に感謝しつつ、お配りしました。
東通り仮設住宅では、一緒に配り歩いた自治会長の大橋氏は「黒須さんには前々からお世話になっています。こういうことをしてくれてみんな感謝してますよ」と話され、黒須氏は「震災直後の避難所生活から縁が出来、今まで強い絆と信頼関係でお付き合いをしています。大橋さんは私たちの活動がいろいろな人達の支えで成り立っているのをちゃんと解っていらっしゃる方ですよ」と話してくれました。
年末の間お休みしていました通常の「食事支援サービス」(こちらでご紹介しています「東通り仮設住宅・お弁当サービス」の記事です)は、1月5日から通常通り始まりました。このサービスの特色は、東北ヘルプが100円、お弁当業者さんが50円を負担し、残額を利用者が負担する点にあります。こうして、持続的なサービスが展開できるという目論見です。
当初200食足らずであったこの「食事支援サービス」は、現在、月500食まで増えました。今後、最大1000食まで拡大することを目指しています。仙台市の情報誌にも掲載していただく等、様々な広報活動に取り組み、「本当に必要な人」に、バランスのとれたおいしいお弁当をお届けしたいと思っています。
また私たちは、仮設住宅支援の一環として、1月26日に若林文化ホールにて「相田みつを美術館館長・講演会『こころのクスリ』」を無料で開催いたしました。新聞取材もあり、会は大変盛況でした。「これからはまたいろいろ考え、活動していきたいと思っています」と黒須氏は抱負を述べられました。
以上、皆様のご支援とお祈りに感謝して、ご報告いたしました。
(2012年1月16日 戸枝・川上記 2012年2月21日 阿部一部修正)
はじめに
私たち仙台キリスト教連合は、最も小さくされた・声なき人々に、寄り添いたいと願っています。
今回、震災を受けて、最も寄り添うべき人々は、その犠牲者の方々です。
あるいは、お墓が流されてしまっている方も、多くおられます。
私たちは、そうした方々の「声なき声」に、耳を傾けたいと願います。
私たちのそうした思いを受けて、米山にある宮城教会様が、納骨堂の開放を申し出て下さいました。
その尊い御意志を受けて、以下のようなチラシを作成しました。
どうぞ、ご覧いただき、必要とされている方がおられましたら、どうぞ、ご紹介を賜りたく存じます。
何よりも、悼む思いに、平安が訪れることを祈りつつ。
東北ヘルプ事務局 川上直哉
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