被災地からのメッセージ

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プロジェクトのフュージョン

東北ヘルプは、皆様の祈りに支えられて、多くのプロジェクトを立ち上げ、進めています。

もともと、東北ヘルプは「グランドハウス・プロジェクト」を目指してはじまりました。それは、仮設住宅内に支援拠点を持ち、そこで情報を収集し、新しい持続的なプロジェクトを立ち上げることを目指したものでした。

既に9月には仮設住宅内に拠点を確保しました。以来、支援を続けつつ「本当に必要なことは何か」を、模索し続けてきました。支援は、「支援する側の人」のためにするものではありません――このことは、当たり前のことです。

しかしこのことは、とても難しいことです。支援する側には、支援する側なりの「思い」がある。その「思い」がなければ、どんな支援も、形ばかりになってしまいます。しかし、その「思い」が支援先の必要と合致しなければ、「押し付け」になってしまうのです。

そうした擦れ違いの起こっていることを、被災地では、時々目にします。それは、悲しいことです。

ですから、私たちは、被災地から上がってくる声に耳を傾けようと思いました。被災地から上がってくる声に聴き、その要請に応えることができないか、ひたすらにチャレンジしてみようと、思ってきました。「それは夢想だ、無理だ、大きすぎる」と、時々、呆れられてしまうことがありますが、それでも、挑戦することを続けたいと思います。それは、信仰の事柄です。ですから、皆様の祈りが、私たちの頼りです。

既に始まった大きなプロジェクトが三つあります。

一つ目は、食品放射能測定所のプロジェクトです。

それは、教会ネットワークの業として行おうとするものです。ですからそれは、「反原発」を掲げるものではなく、「不安に寄り添うこと」に徹するものです。放射能の被害に苦しむ人々に寄り添い、共に悩み、痛みを分かち合いつつ、しかし、祈りによって踏みとどまる、そのための測定所を、建てようとしています。

いわきキリスト教連合の皆様と協働することが許され、NCCJとのつながりの中で、まず仙台の計測所が試験運転を始めています。今は計測の精度を上げるべく、計測器製造メーカーと緊密に連絡を取りながら、一週間に数件の検査を徹底的に何度も繰り返し行っているところです。

その成果は出つつあります。近く、担当者から、その報告がなされることになっています。

二つ目は、外国人被災者支援プロジェクトです。

それは、被災地にあって困難を抱えているであろう外国人(外国にルーツを持つすべての人)を支援しようとするものです。

外国人は、私たちの社会の中の「弱い絆」を具現化しておられる存在です。私たちはそれぞれ繋がりあいながら社会を作っています。その絆の中には、「弱い絆」がある

――正確に言いましょう。私たちの絆の中には、「(私たちによって)弱くされた人々との絆」があるのです。

その「弱い絆」は、切れやすく、見失われやすい。もし、私たちがその「弱い絆」をフォローできるなら、その時、私たちは「私たちの絆全体」をしなやかで粘り強いものとすることができるのではないかと、そう思うのです。

「外国人に住みやすい社会は、日本 人にも住みやすい」のですから――そうした思いを抱いて、無数に広がる被災地に、私たちは外国人被災者の状況調査を始めました。それは、海外からの支援を得つつあり、4月には「外国人被災者支援センター」が立ち上がる見通しを得つつあります。

三番目に、宗教者による「心のケア」の確立を目指すプロジェクトがあります。

それは、東北大学との協働によるものです。被災地に、今、「心のケア」が必要です。

しかし、それを担うべき担当者がいない。

もちろん、カウンセラーやセラピストが無数、被災地に入っています。しかし、その方々は、「医療」の領域の方々です。「医療」は、病を扱います。今、確かに、被災地には大きな「不安」と「悲嘆」が溢れています。この「不安・悲嘆」自体は、実は、病ではないのです。ただ、これらが昂じた状態で放置されると、「不眠症」や「うつ病」になるのです。

ですから、病に至る前の段階で「心のケア」が施される必要があるはずです。それで、例えば台湾では「臨床宗教師」という職業があり、ご僧侶が 「心のケア」にあたるそうです。もちろん、欧米には「チャプレン」という職業があり、主に牧師が、「心のケア」にあたっています。しかし、日本では、ごく一部のホスピス内などを除いて、そうした担当者が存在していないという現実があるのです。もちろん、被災地には、そうした担当者がいない。

しかし、それはなぜでしょうか?――考えてみます。

おそらくその答えは、日本において、「宗教」は私的なものとして扱われている点に求められるでしょう。たとえば「医療」は、もちろん、公共的なものである。だから、被災地に「医療」を担当するセラピストやカウンセラーが大勢「心のケア」に当たられている。しかし、私的なものである「宗教」は、被災地に公的な役割があるのに、その責任を担えて いない。

「宗教」と「医療」は、実に対照的です。片方は私的なものと見做され、片方は公共的なものと認知されている。しかし、両方とも、公共的な問題である「心のケア」を担う点では、一致しているはずなのです。ということは、私たちの国において、私たちの被災地において、「心のケア」に大きな欠落がる、ということになります。だから、医療者は「病の段階」において「心のケア」を担うのですが、「病以前の段階」における「心のケア」の担い手が、少なくとも公共的な領域に、存在していないのです。

もし、宗教者が病以前の段階において「心のケア」を担うことができれば、その時「心のケア」は、十全なものとなるはずです。しかしそうしたことが、日本ではできない。なぜかと言えば、「医療」は公共的なものであるが、「宗教」は私的なものとされているから――この問題を解決したいと、医療者、宗教学者、そして仏教者・キリスト者・神道者・新宗教者が、4月以来、一致して議論を重ね、被災地で様々な実践に取り組んできました。

その結果、東北大学に寄附講座をつくり、「医療」における「医学」と同様の「宗教」における「実践宗教学」を打ち立てよう、という企画が、昨年末頃に、急ピッチで組み立てられることになりました。

本当に多くの方々が、この企画に祈りと思いをもって関わってくださっています。今、企画は形を得て少しずつ前に進みつつあります。この試みの先において、医療者と宗教者が共に協力し合いつつ「心のケア」に取り組む、そうしたことが望見されているので す。

以上が、今、被災地において組み立てられつつある「新しい持続可能なプロジェクト」です。

実は、まだあと4つのプロジェクトが練られつつあります。自分でも呆れるほどの大風呂敷だと思います。しかし、この程度の「風呂敷」であっても、被災地の大きさと被害の甚大さには及ばないのです。信仰が、問われているのだと思います。

さて、先週のことです。上記の三つのプロジェクトが融合する出来事がありました。

「外国人被災支援」の調査で、救援を必要とする方と調査員が出会うことができました。その救援とは、放射能の内部被爆の問題に関わることでした。すぐに、医療者・スピリチュアルケア担当者・牧師・元福祉関係者・放射能の専門家が東北ヘルプ事務局に集結し、力を合わせてケアにあたったのです。先週の火曜日のことでした(詳細についてご報告することは、個人のプライバシーにかかわりますから、ここでは控えます。ご了承ください。)

今、聖書が語ることを思いだします。

聖書によると、聖霊の隣在する場には、燃え尽きない炎が灯る。すべての真剣な祈りは、霊的な炎によって、報われるのでしょう。祈りに応じて送られる霊的な炎は、多くのものを融かす力を持っているようです。たとえば、常識のパーテーションを溶かしてしまう。「こんなことはできないに決まっている」という思い込みを融解させるのは、祈りによる霊的な炎です。

そのことを、今私たちは感謝を以て振り返りつつ証言することができます。そして更に、その炎は、一つ一つのプロジェクトの間の仕切りも融解させてしまうことを、先週、私たちは知りました。

「火によって融かし、一つにしてしまうこと」を、古いラテン語で「fusion=フュージョン」といいます。

今私たちは、被災地で、聖霊によるフュージョンを見せていただいているのだと思います。それは、皆様の祈りによって起こる奇跡です。今、2月の初旬、震災1周年を控えた重い冬の季節の奥底に在る被災地から、皆様に強く要請致します。どうぞ、引き続き、祈りのご支援を賜りますように。今改めて、お願いを申し上げる次第です。

(2012年2月6日 川上直哉 記)

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「刈取り」を目指して――被災地のクリスマス その3


賛美歌を共に

昨年末、東北ヘルプは4つのクリスマス行事にかかわりました。

一つは、大槌の仮設住宅で行われたもの。もう一つは、石巻の結婚式場で行われたものでした。それらの報告はすでにこのページでした通りです。

そして更に二つのクリスマス行事を、12月23日に、仙台と石巻とで行いました。
仙台は、「ニッペリア仮設住宅」でした。

仮設住宅から、子どもたちのクリスマス会を開いてほしいとの要請がありました。

これまでの仮設住宅でのイベントは大人が主役のものがほとんどであった。クリスマスは子どもを主役として行いたい。またクリスマスの意味がちゃんと分かるような、暖かなクリスマスを、という要請です。


  • 初めてのキャンドル・サービス

  • 司式をした阿部師

折しもちょうど、仮設住宅をイルミネーションで飾りたいという住民の方からのお申し出もあり、その点灯式を兼ねて、東北ヘルプの阿部頌栄牧師(日本ナザレン教団)が担当しました。

当日はニッペリア仮設住宅に住む小学生以下の子どもたちが集まり、本物のろうそくを使ったキャンドル・サービスを行いました。

子どもたちは、初めてキリスト教の礼拝に参加したようです。

はじめは皆、礼拝の雰囲気に戸惑っているようでした。しかし、ろうそくの炎を見つめる中で思いを巡らせていたようです。

阿部師は説教の中で、今、皆でろうそくの火を分け合ったこと、そしてクリスマス・パーティーの後、キャロリングを行うことに触れ、「互いに与えられた光を分かち合う」ことを述べました。

そして、キャロリング。

普段、子どもたちはクリスマスにプレゼントを「贈られる」側ですが、歌のプレゼントを「贈る」側となりました。


賛美歌を歌う

ニッペリア仮設住宅内の4軒のお宅に伺い、それぞれ賛美歌を2曲歌いました。どのお宅でも、子どもたちの来訪を心から喜んでくださいました。

「贈られる側」「贈る側」、双方の心に残る、温かなキャロリングであったようです。

クラッシュジャパン様やサマリタンズ・パース様といった他団体の方々や、日本基督教団仙台北教会の方、そして遠く大阪女学院の先生も、ボランティアとして参加してくださいました。


楽しい一時

キャンドル・サービス、ゲーム、そしてキャロリングと、ほぼフルコーラスの内容。子どもたちが本当に活き活きとしていたと、報告を受けています。


同日、同時刻、私は石巻・牡鹿半島の洞源院様(クリックでホームページが別ウインドウで開きます)にいました。同志社大学混声合唱団の皆様が、「クリスマス・コンサート」を開催しにおいでになったからでした。

洞源院のご住職・小野崎和尚様とは、震災以来のお付き合いでした。

「仏教は人間の完成を目指す。キリスト教は神の救済を語る。だから、両者は共存できる」とお考えになっている方です。震災直後、洞源院を避難所として開放し、数カ月にわたり、延べ500人もの被災者を保護したことで知られています。

小野崎住職は、避難所となった際のご縁あった人々を組織し、この夏に「叢林舎」という団体を結成されました。その結成式には、仙台キリスト教連合もお声掛けを頂きました。そんな経緯もあり、今回、同志社からの演奏旅行のお話が合った時、受け入れ先をお願いしたのでした。

お寺で、クリスマス。その取り合わせは、あるいは不思議、かもしれません。

実際、コンサートに集まった方々は、お檀家の皆様でした。演奏側の配慮として、「ふるさと」等の他に、瀬戸内寂聴さんの歌や、良寛禅師の歌なども演奏されました。その上で、3曲の讃美歌が、御本尊の祀られている寺院本堂に響いたのでした。


同志社大学混声合唱団の皆さま

返礼に、と、洞源院の皆様から、「御詠歌」がうたわれました。これは「仏教の讃美歌」だそうです。


御詠歌を歌われる皆さま

演奏終了後、小野崎住職から、「今日は牧師さんがおいでになっているのだから、クリスマスの本当の意味を語ってもらいましょう」と、私にマイクが渡されました。


川上がマイクを受けました

私は、最近あった出来事をお話ししました。

――塩釜の地元財界の赤間さんが、先日、石巻市・牡鹿半島の先端へ私を連れて行ってくださった。そこには小さな漁村があった。その漁村は小さいけれど、漁民の皆さんの目は輝いていた。3月11日の震災当時、この漁師の皆さんは船を沖へ出し、船への被害を免れることができた。しかし、牡蠣の養殖場は壊滅。しかしすぐに、牡蠣がだめならワカメを、と、意欲的に復興へ乗り出した。しかし、今秋決定した「重点漁港」から、この漁村は外された。“外された”ことすら知らされない程に、「重点漁港」から外された漁港には、あらゆる情報が入らなくなる。赤間さんは、私に言った。「なぜ、こんなことがあるのだろうか。こうした小さな、しかしやる気のある人々が元気になれなければ、復興したところでどんな意味があるだろう。こうした小さな漁村こそ、大切にされるべきではないか。」

クリスマスとは、「赤ちゃん」に神様を見出す物語です。強く大きく豊かな何かではなく、弱く小さく貧しくある場所こそ、大切にされなければならない。なぜなら、見た目に小さな場所に、神様はいるのだから。

――そうしたことを、塩釜の赤間さんが教えてくださった。もちろん、赤間さんはクリスチャンではないけれど、赤間さんの熱い思いは、新しくクリスマスの意味を教えてくださるものだったのです。

そうしたことを、私はお話ししました。すると、小野崎住職が、「仏教でも、仏様は赤ちゃんなんだ、という教えがあります。今、そうした思いを込めて、小さな赤ちゃんが合掌している陶器像を作っているところです」と、引き取ってくださいました。


小野崎住職

「復興」は、勝ち残る人と敗退する人を冷厳に仕分ける過程にも、なります。そこには、政治があり、競争がある。しかし、それだけでは、私たちの世界は幸せにならないかもしれない。何かが足りない。だからキリスト教や仏教が力を合わせなければならない。

私たちは、「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる」という詩編の言葉を思い出しながら、このクリスマスの出来事を振り返ってきました。私たちが「刈り取る」のは、何でしょうか。それはきっと、平和です。それはきっと、いのちです。それはきっと、世間が忘れ去っている大切な何か、です。

もし、そうしたものを「刈り取る」ことができれば、きっと、教会も寺院も、支持され存続することでしょう。そうすれば、教会は、福音を宣べ伝える器としての役割を担い続けることができる。

なぜなら、平和も、いのちも、福音の中に漲っているものだからです。

年が明け、公現日を迎えました。豊かな「刈取り」を目指して、インマヌエルの光を輝かせつつ、新しい年も励みたいと思います。

(2012年1月6日 川上直哉 記)

(2012年1月11日 阿部頌栄 一部加筆)

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「喜びの歌と共に」――被災地のクリスマス その2

私たち「東北ヘルプ」は、震災直後、仙台圏のほぼすべての教会の連合組織として発足しました。それは実に多様な立場の連合体となっています。その一致を維持するための努力は、一つの言葉にかかっています。

それは、「引き算ではなく/足し算を」というものです。

自分と違う立場があるとき、それを削ろうとすると、諍いが起こります。「引き算」は、教会の一致を破壊するのです。そうではなくて、「足し算」をする。考えてみれば、「御父の御許には、住むところがたくさんある」と、主イエスは語られていたのでした。つまり、いろいろな立場がどんどん張り出したとしても大丈夫、のはずです。だから、「足し算」をする。

実際、多くの立場をどんどん積み足してゆきますと、実に豊かで楽しいハーモニーが聞こえてきます。今、被災地には、多様性という名の新しい霊の歌が、響いているのだと思います。

その新しい霊の歌は、あるいは、宗教の壁をも、乗り越える力を持っているのかもしれません――しかも、自らの宗教の独自性をいよいよ明らかにすることを伴いつつ。

12月に入るころ、石巻市内のご僧侶から、一つの依頼がありました。

「石巻市内には、2500人以上が暮らす巨大な仮設住宅団地がある。その人々のために、クリスマス会を開催したい。仮設住宅団地に隣接して、素敵な白亜のウエディング施設がある。その会場を格安で借りることができた。ただ、クリスマスのやり方がわからないので、企画をしてほしい。」

この依頼をしてくださったのは、震災以来長くお付き合いをしている前谷寺住職の木村先生でした。

私たち東北ヘルプは、4月以来、「心の相談室」を設立し、僧侶・神主の皆様と共に「心のケア」にあたってきました。木村住職は、「心の相談室」の活動の初期から、私たちと一緒に各地の避難所を訪問し、仮設住宅で傾聴喫茶を開催してこられた方でした。

もちろん、私は喜んで企画を練り始めます。そして、日本基督教団救援対策本部様などが、資金の協力をお申し出くださったことは、私たちの勇気の源となりました。

木村住職から、是非とご推薦を頂いたのは、沢知恵さんでした。

沢さんのご母堂様は金纓牧師。今現在、私が責任を負っている日本基督教団仙台市民教会のすぐ近くにお住いである。そして金牧師とそのお連れ合い様だった沢正彦牧師は、私の前任者であった戸枝義明牧師の盟友――ということで、ご縁もあり、喜んで、沢さんとの連絡を取らせていただきました。

沢さんは、石巻においでくださることを快諾くださいました。日時は、12月20日となりました。

会場の関係で、昼間の公演となりました。平日の昼間。人が集まるだろうか。そんな心配の中で、子どもたちに歌を届けようと思いが定まりました。小学校で歌うことはできないだろうか。そう、木村住職に相談しますと、住職はすぐに奔走してくださいました。地元の人脈と空気を熟知しているのが、ご住職の強みです。短時日のうちに、北村小学校でのコンサートが開催できることになりました。

結果、12月20日の催事の全体は、以下のようになりました。

  • ・ 午前中、北村小学校で、沢さんの「クリスマス・コンサート」
  • ・ 正午から13時半まで、結婚式場披露宴にて、昼食を頂きながら牧師・僧侶が傾聴させていただく。
  • ・ 13時半から、同会場にて、クリスマスの短い礼拝
  • ・ 14時から、同会場にて、沢さんの「クリスマス・ランチタイム・コンサート」


前日の19日、14時に石巻に到着した沢さんは、日和山という小高い丘の上から石巻市の被災状況をご覧になった後、披露宴会場にてリハーサルを行い、その後、仮設住宅の町内会の皆様と歓談して、準備を整えられました。

20日当日朝7時半、沢さんは北村小学校においでになり、リハーサルを始められます。前日の快晴とは打って変わり、当日は降雪となりました。「ホワイト・クリスマス・コンサート」と、なったのでした。

私と木村住職は、20日朝7時半に校長先生等とあいさつを済ませ、10時前に披露宴会場に到着して準備をしようとすると、一本の電話が鳴ります。会場からの電話でした。もうすでに、たくさんの人が入り口で入場整理券をもらうために並んでいる!とのことでした。

会場に到着すると、雪の降る中、玄関前に40人ほどの列ができています。先頭におられたのは、ご高齢のおばあちゃんでした。驚いたことに、7時半からきて並んでいるとのこと。みなさん、にこにこしながら、じっとお待ちになっています。

大変難しい選択が迫られました。整理券の配布は11時から、としていました。しかし、寒空の下、待ち続けているおじいちゃん・おばあちゃんを、あと1時間も待たせてよいのか。

結局、木村住職の決断で、整理券を早く配ることにしました。100枚の整理券は、あっという間になくなりました。

準備のスタッフが続々と集まります。11時からミーティングが始まります。そして、皆、期待の昂まりに押し出されるように、熱気をおびつつ、準備に取り掛かる。

日本基督教団東北教区の皆様をはじめ、20名ものキリスト教関係者(内5人が牧師)が、ほぼ同数の仏教関係者と共に、そして非宗教系のボランティア団体と共に、受付を準備し、託児所を設営して準備を済ませました。

司会は、東北ヘルプの私(川上)が致しました。開会のあいさつの後、「スペシャル・メッセージ」が披露されます。それは、日野原重明先生からの録音メッセージでした。日野原さんは、「心の相談室」が企画作成しているラジオ番組に出演してくださったのですが、その収録の際、特別にこの催し物へのメッセージをお寄せくださったのでした。

(ラジオについては、こちら 《http://www.sal.tohoku.ac.jp/kokoro/diary.cgi》 をご覧ください。)

日野原先生のメッセージは、

  • クリスマスがもつ希望のメッセージをお受けください、ということ
  • キリスト教も仏教も共にクリスマスを祝うことは世界共通の事象である、ということ
  • こうして宗教の壁を越えて悲しむ人々に寄り添おうとする姿に新しい可能性を感じる、ということ


を語ってくださるものでした。

そして、会食となります。和やかに、しかし時に深刻な話を織り交ぜながら、食事を共にし、お話ができたと、一人の牧師が報告してくださいました。

第一部の会食の時間中、いくつかの「余興」が行われました。

まず最初は、八王子の「ゆるキャラ」の「たぬぼう」君の登場と、サンタ(和尚さんです!)からのプレゼントでした。

そして、ルーテル教会の信徒の方による腹話術。内容は、クリスマスの意味を語るものでした。

その後、「おまじないのお数珠」となります。「お金持ちになれる“かもしれない”お数珠」や「長生きできる“かもしれない”お数珠」が用意され、和尚さんが、受け取りに来たおひとりおひとりに優しい言葉をかけて、握手をして、その「お数珠」を手渡す。被災者の皆様は、かけてもらう優しい言葉に感激しながら、ひと時を過ごした様子でした。

その後、レクリエーション・インストラクターの鹿野さんが登場し、皆を笑顔の中に引きこむような素敵なゲームを指導してくださいました。

そして、和尚さんたちのバンドが登場し、歌を歌います。特に、僧侶の吉田先生が沖縄三線を引きながら琉球の古い歌を歌われると、一人のおばあちゃんが踊り始め、つられて、みんなで踊り始めました。

このおばあちゃんは、歌の後、マイクを持ってこう語りました。

「私は、この春、気持ちがふさがってどうしようもなかった。そんな私のところにこの吉田先生がおいでになって、2時間も、ゆっくり話を聴いてくださった。それから、私は元気になった。だから、今日、私は踊ったのです。せめてもの恩返しです。」


こうして、「余興」の時間が終わります。

そして、場面は急展開します。カーテンを降ろし、照明を暗くして、夜を演出します。そして、皆で黙祷をしました。落命された多く方を思い、今ここに命のあることの意味を思い、静まりました。そして、その沈黙の中で、イザヤ書40章の冒頭から、「慰めよ!」という御言を朗読しました。「確かに人は草のようだ。しかし、(慰めよと呼びかける)神の言葉は、とこしえに変わらない」。そして、皆で「きよしこのよる」を歌いました。

それから、日本福音ルーテル教会の藤井牧師が立ち、短い説教をし、祈りました。この後続く沢さんのコンサートから、私たちが希望を汲みだすことができますように。

そして、沢さんが登場します。最初に「アメージング・グレイス」をアカペラで歌い、また大きく場面を転換してくださいました。

「キリスト教の幼稚園長さんと仏教の幼稚園長さんが協力して作った」という「想い出のアルバム」等、10曲程度の歌を、会場との呼吸の中で、沢さんは歌ってくださいました。

沢さんには「讃美歌の響きが聞こえる」という「ふるさと」を皆で一緒に歌う中で、多くの方々が涙を流しておられました。

約一時間のコンサートは、「きよしこのよる」で締め括られました。会場が本当に暖かくなるような、すばらしい時間が共有されたのでした。

パウロは、「ギリシャ人にはギリシャ人のように」といい、魂を獲得するためならば何でもすると、宣言していました。私たちは、この精神を範としたいと思います。

人として・宗教者として尊敬する他宗教の方々と協力し合うこと。そのことは、確かに、多くの魂に慰めをお届けする助けになるようです。

他宗教の方との協力を組み立てる秘訣はなんでしょうか。これまでの経験からはっきり言えることは、自らの宗教と信仰に堅く立つこと、に尽きると思います。その上で、他者を受容すること。それができれば、他宗教の方々からの尊敬を得ることができるようです。自らの宗教を隠し、自らの信仰をあいまいに表現する人を、宗教者は尊敬しません。おそらくその点を見誤らなければ、証しを立てつつ、他宗教者との協働が可能になるものと思われます。その先には、未だ見ぬ豊かな沃野が広がっているように、思います。

そうしたことを、今年の石巻で、感じたのでした。

(2011年12月22日 川上直哉 記)

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「涙と共に種まく者は・・・」――被災地のクリスマス報告 その1

クリスマス・シーズンとなりました。

毎年同様、今年も、最も夜の長い時期に、希望の灯を見つめる季節が到来しました。そして今年は、震災の年でした。

3月11日以来、多くの方々が、悲しみの涙を流しました。そこに、多くのボランティアが集いました。そうして、さらに多くの人々が、涙と共に汗を流し、気が付けば、季節は冬になっていました。

考えてみれば、被害は膨大なものです。そして私たちは小さなものです。ですから私たち東北ヘルプは、キリスト教の各教派の一致を信じてここまで来ました。また私たちは、僧侶や神主の皆様の内に存する良心の輝きを見つめつつ、諸宗教との協働を模索し続けてきました。

時に涙を流しながら、しかし、希望の種をまこうと志を持ち続け、この年の瀬を迎えています。

そうした今、喜びの出来事が続々と起こってきています。今回から数回に分けて、そのご報告をいたします。

12月16日(金)、岩手県大槌町の仮設住宅で、クリスマス会が開催されました。

このクリスマス会は、大槌の一人の男性の電話から始まったのでした。

11月中旬、一本の電話が東北ヘルプ事務局にかかってきました。

「仮設住宅に住む人々が、少しでも明るい気持ちで年を越すことができればと願っている。そのためにクリスマス会をしたい。そのために、本物の牧師を送ってほしい」と、東北ヘルプ理事の三枝牧師が、その電話を受けたのでした。

私たちの事務局は、仙台にあります。

大槌は、岩手県中部三陸沿岸。高速道路を使っても、片道4時間の距離です。しかし、私たちにはネットワークがある。

さっそく、日本基督教団奥羽教区様にご相談を申し上げました。そして、新生釜石教会の柳谷牧師が窓口役を引き受けてくださいました。突然の要請に戸惑われた心情が、柳谷牧師のエッセー「USKより愛」に綴られています。しかしその戸惑いを超えて、クリスマス会は開催されました。それは、日本基督教団救援対策本部様をはじめとする同教団内の各教会・各部署、そして「クラッシュ・ジャパン」様や「3・11いわてネットワーク」様といった所謂「福音派」の諸教会・諸団体との連携によって可能になったのだと、柳谷牧師は報告されています。

19日当日、日本同盟基督教団の秋山牧師と、日本基督教団の信徒一名、そして東北ヘルプ事務局長の私が、仙台から自動車に乗り、大槌のクリスマス会にお伺いしました。日本基督教団救援対策本部の前北さんが庶務に奔走し、奥羽教区の諸先生方・信徒各位が、それぞれに与えられた役割を担い、会は御言の輝きを放ちつつ、盛会の内に終わりました。

終了後、最初のお電話をくださった男性と、お話をする機会を得ました。

この方は、クリスチャンではないけれど、聖書を愛読する教養人でした。お若い方でした。そして、多くのクリスチャン・ボランティア・ワーカーの働きを目にし、少なからぬ感動を覚えておられたとのことでした。そして、年の瀬になった。人々は胸をつぶされるような思いでこの暗い季節を過ごしている。祈りが必要だ・・・と、そのように考え、お電話をくださったのだそうです。

「どうして、教会はそんなに遠慮しているのですか」と、この男性は問われました。もっと、積極的に働きかけてほしい。宗教的なケアは必要なのだ。そう指摘されました。

なるほど、今回、私たちと同行した牧師は、深くゆっくりと、深刻な被災状況を傾聴する機会を得ました。苦しみにある人は、それを語りたい。しかし、聞き手は、苦しみにある人の絶望に共感しながら、希望に踏み留まらなければならない。それは、牧師にこそ求められる傾聴であり、ケアの実践でしょう。

もちろん、布教宣伝の押し付けは、「悪い証」を立てることになるでしょう。とりわけ、支援と絡めてなされる「布教宣伝」は、「人の弱みに付け込むことだ」との批判を受けるべきことです。そのことを、多くの宗教者は(キリスト者も含めて)、阪神淡路大震災において経験したのでした。

しかし、あるいは、私たちは「羹に懲りて膾を吹く」状態になっているかもしれません。「薬が効きすぎた」状態になっているかもしれない。

私たちには、私たちにできることがある。今、「タラントのたとえ」を思い出します。私たちは、歴史上の英雄的な大伝道者のようなタラントを与えられていないかもしれない。しかし、「1タラント」程度なら、与えられている。ただ、それに気づいていない。それを忘れている。あるいは、それを隠してしまっている。

今、「タラントのたとえ」の最後の言葉は、深刻に響きます――「悪い・怠慢な僕だ!」

クリスマスの時、被災地において、私たちは目を覚まさせられたのかもしれません。「聖なる公同の教会」を信じ、同信の他者と協働することで、私たちの「1タラント」を掘り起こすことができる。そして、それを用いることで、絶望に沈む人々に希望を届けることができる、かもしれない。

無数のクリスチャンが、被災地で涙を流し、汗を流しました。その汗は、今、豊かな稔りをもたらしつつある。その「稔り」とは、おそらく、私たちの勇気です。私たちの希望です。

涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。 (詩編126・5).

今、クリスマスの讃美歌を喜びを以て歌う、その意味を、まったく新しく、噛みしめています。

(2011年12月22日 川上直哉 記)

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起きよ 光を放て


11月3日、一つのリバイバル集会を、仙台で、開催しました。それは、韓国と日本の間の、そして、NCC系列とJEA系列の教会の間の、幸いな一致を確認する集会となりました。

その集会への案内文は、以下のようなものでした。

これは、仙台圏のすべての教会にご連絡を申し上げたものです。

2011年10月15日

仙台圏の主にある教会の皆様

仙台キリスト教連合 川上直哉

インマヌエルの御名を称えます。

3月11日から、めまぐるしく日々が過ぎました。
日々、主あるお働きに御励みのことと存じます。

韓国からおいでになっておられる福音派の宣教師の皆様が、
今回の震災を契機に大同団結し、祈り、一つの集会を企画されました。
それは、被災地にあるキリスト者の信仰が支えられ強められることを願う、
字義どおりの意味での「リバイバル集会」です。
開催日は11月3日、会場は仙台青葉荘教会です。

私たち仙台キリスト教連合は、この集会の趣旨に賛同し、協賛をさせて頂くことといたしました。
国籍を異にする、主にある兄弟姉妹の祈りの思いに、心を熱くさせられてのことです。

私たちは被災地にあって、何ができるわけでもないのですが、
しかし、この兄弟姉妹の思いを感謝し、共に祈りたいと思います。
ご多忙の中、大変恐縮なのですが、
11月3日に行われる集会の案内を添付ファイルにお送りしましたので、
ご高覧を賜り、ご参加のお声掛けを賜れば幸いに存じます。

私たちは、小さくともささやかに、しかし熱く祈りたいと願っています。
その祈りを、共にしていただければ幸甚に存じます。

それでは失礼します。

寒くなってまいりました。

どうぞ、お体大切にお過ごしください。

感謝して

集会は、三回開かれました。1時間半の祈祷集会です。会場の熱気は、三回とも、高く厚く維持されました。

一回目と三回目は、韓国式で行われました。説教は、吉自延牧師と洪在哲牧師が担当してくださいました。開始前から歌い続けられる力強い賛美、会衆がそれぞれ思いを込めて声を上げてなされる祈り、そして御言の解き明かしがありました。

第二回目は、東北ヘルプの川上が司会を担当しました。沈黙と静寂の祈りの中で、気仙沼第一教会の峰岸牧師が、説教をしてくださいました。「私たちに求められているのは、イエス様が今なさろうとしておられることを邪魔しないこと、それだけだ」と、明快に語られました。

開会のあいさつを安藤能成JEA理事長がしてくださいました。「これまで教会は、自らの壁を高くしてしまってきたのではないか」という率直なお言葉を語られました。私たちの新しい宣教へ向けた、重いお言葉でした。

第三部の冒頭、NCCより上田総幹事代行があいさつをしてくださいました。「NCCは、東北ヘルプと共に、被災者と居続けます」と、力強いお言葉をくださいました。

宮城県外から約50名余の参加者があり、宮城県内からは約70名余の参加者がありました。会場となった仙台青葉荘教会礼拝堂は、賛美の声で満ち溢れました。

この大きな集会を中心になって企画されたのは、日本同盟基督教団の韓在國先生でした。いつもパワフルな韓先生ですが、この集会が終わった後は、さすがに「燃え尽き」ておられた様子で、すこし、心配されました。しかし、つい先日お電話でお話をしたところ、もうお元気になっておられ、「次はこの集会の様子を書籍とDVDにしましょう」と、新しいヴィジョンを力強く語っておられました。

私たちは多くの方々の励ましを受けて、活動を続けています。どんな支援よりも、祈りの支援が、私たちの便りです。今回は多くの祈りを頂くことができました。そしてその祈りは、国籍と教派とを超えて、キリストにある一致を感じさせてくださるものでした。私たちの活動の原点はどこにあるのか。それを、改めて思い出しつつ、大きな励ましをいただいた集会であったことを、感謝しつつここにご報告いたします。

(2011年11月21日 川上直哉 記)

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タイの皆さまにお見舞いを/世界食料デーへの支援

私たちは、「地震・津波・原発事故」という、三つの災害に直面しています。この三つは、からみあって一つになっています。この三つが一つになったのは、「津波」の影響が大きいと思います。地震だけであれば、原子力発電所はこれほどの被害を世界中にまき散らすことは無かったでしょう。「水の害」の甚大さを、私たちは思い知らされているのだと思います。

震災の影響で、私たちの目は内側に向きがちです。しかし、「水の害」が「世界中」に放射の被害を拡散したことを思いますと、すこし、目を外へと向けることができそうです。

私たち東北地方と、海を挟んだお隣の国に、タイがあります。ニュースによると、今、本当に甚大な水害が起こっているとのことです。

しかし、ニュースを見ていますと、少し違和感を覚えます。ニュースは、「日本の工場が幾つ閉鎖した」とか、「観光客が激減して旅行会社が困っている」等と、伝えています。私が本当に知りたいのは、そういうことではないのに――そういう違和感を、感じています。

天災によって、あらゆるものが水浸しになるということ。避難所に集まって不安な日々を過ごすということ。大切な思い出が、風景ごと、失われるということ。そうしたことが、「水の害」というものでした。それを私たちは体験させられたのです。その体験は深く心に刻みつけられました。その経験は、私たちの感覚を変えたのかもしれません。

私たちは、被災地にあって、無力で、援助を必要としています。しかし、タイの人々の為に、私たちにしかできないことが、あるのかもしれません。

「水の害」にあって、どんなに心細いだろう。ずぶぬれになることは、どんなに辛いことだろう。風景が一変する悲しみは、どんなに深いことだろう――そうしたことを、私は知りたいと思う。日本の企業や営業のことも大切だけれど、それと同じくらい、あるいはそれよりも遥かにもっと、今、「水の害」によって苦しむ一人一人の方々の事を知りたいと思う。

私たちは、自分の経験に引き合わせ、心からタイの人々の痛みを思います。そして、タイの苦しむ人々に平安があることを、必要な支援が届くことを、心から祈りたいと思います。私たちが、「pray for Japan」という言葉に、どれだけ励まされたことか。その記憶を温め直して、祈りたいと思います。

そうした思いを込めて、私たち東北ヘルプは、「世界食料デー仙台大会」を支援することにしました。このイベントは、「仙台から世界へ愛を届けよう」とするもので、仙台のキリスト者によって、15年以上続けられているものです。このイベントを主催している「世界食料フォーラム・仙台」様は、この震災後、傾聴ボランティアを組織し、仮設住宅等で活動を展開しておられました。その経験を、世界の苦しみにある人々へとつなげようとされています。「世界食料デー仙台大会」開催のごあいさつ文を、以下に転載いたします。皆様の尊いご支援を頂き、こうした団体を支援することもできます事を、改めて感謝しつつ、ご報告する次第です。

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ごあいさつ

世界食料フォーラム・仙台 代表
世界食料デー仙台大会実行委員会 委員長 

金子純雄

1995年に始まりました「世界食料デー仙台大会」は、15年間、仙台のキリスト者の運動として、毎年大会を実行してまいりました。皆さまのお支えとお祈りに改めて感謝いたします。

 昨年春、私たち世界食料デー仙台大会実行委員会は、「世界食料フォーラム・仙台」を新しく組織しました。構成メンバー等は以前のままですが、「世界食料デー(World Food Day)」を企画する国連食料農業機関(FAO)の理念を改めて自らのものとして、運動の活性化を図り、一年の歩みを進めてまいりました。昨年度は「第16回 世界食料デー仙台大会」を無事に開催し、フィリピンのパヤタス「ゴミ捨て場」で暮らす子供たちへの支援を始め、仙台市内の学校での啓発活動を進めました。また、今年3月には、研修会も開催することができました。

 今年3月11日、震災によって、全てが一変しました。私たちは、世界中の善意からあふれる支援を拝受する経験を致しました。まだまだ、震災の爪痕の生々しい東北で、今年、「世界食料デー仙台大会」を開催することができるか、どうか。ギリギリまで、私たちは議論しました。しかし、私たちは今年も大会を開催することといたしました。一つには、私たちなりのささやかな被災支援の取り組みがあり、それをご報告するためです。そして更に、こうした時にこそ、世界の貧困の現実を忘れずに時を過ごしたいと考えたからです。私たちは、震災の中で、少しだけ、貧困のただなかにある人々の思いを共有することができたのではないかと、そう思うのです。

キリスト者の世にあるよき証を共に学び励まし合う場として、今年も世界食料デー仙台大会を、下記の通り、開催いたします。是非にと、皆さまのご参加をお待ちいたします。

希望のコンサート

私たち東北ヘルプは、正式名称を「被災支援ネットワーク」といいます。

「小さな群れよ、恐れるな」と、聖書にあります。私たちは小さな存在ですが、小さいものは、その小ささゆえに、互いを助け合うことができます。それが、ネットワークということになります。

多くの団体・個人の皆様が、私たちと繋がって下さり、大きな思いを届けて下さいます。
その一つに、コンサートがあります。

被災地に応援の声を届けたいという、その思いが、たとえば、先月のコンサートとなりました。被災地の私たちに繋がって下さったのは、韓国のアーティストの皆さまでした。

私たちは、その後援をさせていただく栄誉を得ました。以下に、そのコンサートの様子をご報告いたします。皆さまのご支援に感謝しつつ。

(2011年10月14日 川上直哉 記)

日本国際飢餓対策機構 東北事務所の主催で復興支援「希望のコンサート」が9月13日仙台国際センター大ホールで開かれました。
東北ヘルプは協賛させていただきました。

 このコンサートは2006年に米国と香港で設立され、音楽公演・文化活動をとおしてチャリティーを行う「社団法人ビューティフル・マインド・チャリティー」の韓国法人の出演者9人による演奏で行われました。
 韓国の文化や音楽は冬ソナ以来、日本に随分なじんできましたが、音楽家そのものはあまり知るところではありませんでした。案内の出演者プロフィールを見ると「ジュリアード音楽院、インディアナ大学、音楽博士号取得」などそうそうたるメンバーなのがわかります。さすがに演奏は本当に素晴らしいものでした。
 会場の入りは半分くらいでしょうか、でもなんだか不思議な熱気に包まれていました。
演奏者の中で脳性麻痺のピアニストがいました。映像でも紹介されましたが小さいときは指も開かなかったそうです。彼の音楽は悲しく情緒があふれていますベートーベンのピノソナタ「月光」。次の曲は自分で作ったという「美しい思い出」さらに悲しく、そして美しい。演奏はけっして完璧ではありませんでしたが、障害を乗り越え、ここまで演奏できるようになるには、並大抵のことではないと容易に想像ができました。彼の奏でる音色はひとつひとつが会場に響き渡り静かな感動を呼びました。 韓国の楽器での演奏も披露されました。カヤグムは日本の琴を少し小さくした感じで、音は柔らかくゆったりした感じがあり、ヘグムは中国の二胡に似た感じです。調べてみると「胡琴類の最初の一つ」とあるように少し原始的なのんびりした気持ちのいい音に感じられました。
最後は「アリラン」と「古里」の大合唱で心温まるフィナーレでした。
 こんなにいいものを聞かせてもらったんだから・・・と思い会場を出て、募金箱を探しました。ところがないのです。おかしいなと思い知り合いの事務局員に尋ねたところ「被災地ですから募金はしないのです」
との返答でした。そして驚いたことに出演者一同が出口のエントランスで、来られた人たち一人一人に励ましの言葉を贈り親しげに話しているのです。さらにお土産までくれるのです。そこでやっとわかりました。このコンサートは被災した方々を癒すために行われたのだと、どうりで何か特別な熱気があると思いました。そして日本国際飢餓対策機構の懐の広さを感じるものでした。

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「いのちを歌い、いのちを語る」集会

9月11日、東北教区宮城中地区主催の「いのちを歌い、いのちを語る」集会が仙台青葉荘教会で行われました。
列席者は150名ほど、献金は日本基督教団と東北ヘルプに捧げられます。

 始めにホサナ教会の長尾厚志牧師より「東日本大震災から半年、ニューヨークの同時多発テロから10年の日にあたります。事柄・状況はは違いますけれど命という点では共通しています。そのことをみんなで祈り、みんなで語っていきたいと思います」と挨拶と被災地への祈りがありました。

 続いて、ジェフリー・メンセンディーク宣教師から被災支援センターの半年を振り返るお話がありました。「震災の日から2日目に教区の人たちが集まり、祈りと働きが始まりました。今までさまざまな苦難と困難がありましたが、市内の教会、教会員の祈りと支えがあり、全国から1,100人以上のボランティアを受け入れることが出来ました。

活動を通じて寄り添うことの大変さと恵み・・・、ある人は『希望を探しています、助けてくれませんか』と求められ、そこからボランティア活動が始まりいい信頼関係が出来上がりました。地域の人達と触れ合い感謝され、逆にこちらが希望をもらいました。
 また、ある人は『どうして私たちのためにここまでしてくれるんですか、わからない』と私の目を見つめて言うのです。私は答えは何もださなかったのです。でも、もう、その心の中には何か、今まで触れたことがなかった世界が出来ていたのでした。
 私は感謝を持ってこの仕事に関わらせていただいています。寄り添うことがこんなにも豊かな出来事なのだと教えられています」というお話でした。

 続いてシーサイドバイブルチャペルの内藤智裕牧師の聖書朗読、「詩編第55編1ー8節」(シーサイドバイブルチャペルは蒲生の地にあり津波に流され土台しか残らなかったそうです。現在は新田にて教会活動が行われています)

 次に青葉壮教会の会員でデイサービス・特養ホーム・老人介護施設・ホスピスなどを訪問するボランティア活動をなさっている「アネモネ」というグループの歌とピアノ伴奏がありました。

 続く聖書朗読「マタイによる福音書 第11章28ー29節」
 引き続き小野なおみさんのパイプオルガンの演奏が厳かに始まりました。高橋絵里さんのソプラノ独唱「やすかれ、わがこころよ」「彼は羊飼いのごとく」「我が祈りの声を聞きたまえー鳩のように飛べたなら」「アヴェ・マリア」「いと高きにある神にのみ栄光あれ」「慈悲深いイエスよ」と独奏と独唱が交互に続きました。

 最後に吉田隆仙台キリスト教連合代表からご挨拶がありました。
「震災から一週間後に『被災支援ネットワーク・東北ヘルプ』を立ち上げました。当初1ヶ月2ヶ月の緊急的な働きをみんなで力を合わせてやろうと始まりましたが、その後、神様に導かれ半年間の歩みを続けてまいりました。さらに今後長期的な働きに備え法人化をするところまで導かれています。私たちの願いは東北の地にある諸教会が強められ、地域に仕え、その歩みを通し神様の栄光をこの地に表していくということです。
 震災の当初ある意味神様に怒りを覚えました。『なぜ東北なんですか、東北の教会はみんな小さい教会です。そういう教会がこれまでも、それ以上に苦しまなくてはいけないのですか』という思いを抱き神様に問いました。その答えは未だにいただいていません。しかしこの半年間の歩みを通し神様がいかに私たちのことを心にかけてくださり愛してくださっているかを様々な形で知ることができました。本当にボランティアの方々や国内外の方々の祈りに支えられ、様々な物資や支援活動に支えられてここまでまいりました。おそらく日本のキリスト教の歴史上これほど東北のことが注目されたことはないのではないでしょうか。私たちはこれからどこに向かっていくのか分かりません。ですけれども神様の実技を信頼して一歩一歩あゆんでまいりたい、感謝の思いを持って前に進んでいきたと思います。まだ悲しみの中にある方々がたくさんいらっしゃると思いますが、必ず神様は復活のときを与えてくださると信じております。今日お集りの皆様の上に主イエスキリストの豊かな祝福がありますようにお祈りいたします」

 終了してから列席した沖縄キリスト教学院大学の学生さんに感想を聞いてみました。
「10日に仙台に到着し、12日から5日間ボランティアをする予定で来ました。感想は最初のメンセンディーク宣教師の話が印象的で。一つ一つの礼儀と寄り添う大切さを知りました。責任を持って十字架を背負った思いで援助していかなくてはいけないのかなと思いました。また、地域のおじさんが変わっていく様子とか、津波が人たちにもたらした変化がなどが知ることができてよかったと思いました」と話してくれました。
 もう一人の学生さんは「7人できました。3月のときニュースとかいろいろホームページとか東北ヘルプのも見てすぐにボランティアに行きたいと思いましたが、半年すぎてようやくこれました。今日はパイプオルガンを初めて聞いてすごいと思いました」と話してくれました。

列席して、賛美歌のソプラノ独唱のなんと美しい歌声なのかと心洗われる思い、パイプオルガンの演奏は荘厳でダイナミック。目をつぶるとあの日の映像が蘇ってきます。その場にいた多くの人たちの衝撃、叫び声、呆然と立ち尽くすしかない、無念の思い。なぜかリアルに感じられ目頭が熱くなる思いでした。
献金は東北ヘルプにも与えられます。感謝と責任を持って用いたいと思います。

写真・文 戸枝

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犠牲者を偲ぶ黙想と賛美の夕べ

この度の震災では、多くの方が悲嘆のうちに沈みました。
私たちは、その支援活動のためにネットワークを作ったのです。

支援とは、何か具体的な行動を示すことだけではないと思います。

黙って、何もしないで、ただ、心を痛める。
悲しみを共にする。
何もできない自分を見つめて、抱きしめる。

それもまた、支援です。

そうした思いを以て、記念の催事を行いたいと思い、呼びかけました。
一つの教会が、その呼びかけに応えるように、連絡を下さいました。
そして、この「偲ぶ夕べ」が開催されたのです。

その録音は、こちらにあります:http://xfs.jp/YtEUv

録音は、重たいファイルになっています。
もし、高速ダウンロードをご希望の方には、「チケット」というものがあります。
もちろん無料で、お分けできます。
ご希望の方は、どうぞ、sendai@touhokuhelp.comまで、お申し出くださいませ。

以下、写真付きで、概要をご案内します。

まず、讃美歌「神よたまえ 平和を / Dona nobis pacem」を、尚絅学院の生徒さん達が歌って下さいました。

聖書の朗読を聞き、この賛美歌を歌う。
それが繰り返されます。

そして、「証言」がなされます。

仙台市若林区で救援活動を続行される消防署長さんから、現場の証言が、メールで、寄せられました。
皆で、その朗読を聞きました。

仙台市の火葬場で弔いの作業をしている牧師から、宗教者としての証言がなされました。

そして、最後、皆で黙想します。

今後も、こうした催事を行いたいと願っています。
祈りは、力になります。
引き続きご協力を頂ける教会が興されますように、また、こうした催事が私たちを力づけるものとなりますように、ご加祷ください。

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震災復興記念会準備と復興のための祈り

塩釜聖書バプテスト教会の大友幸一先生より、以下の通り、御報告がありました。
今後の展開を思いつつ、行われた祈祷会の様子をお知らせいたします。
ご加祷くだされば幸いです。

4月2日3時すぎ、仙台市泉区紫山にある元金港堂の倉庫においてサマリタンズ・パースと仙台圏の十数名の牧師たちによる話し合いが持たれました。
サマリタンズ・パースの日本側の受け皿となっているJMC(ジャパンミッションセンター)の高田牧師から1年後の震災記念の集会の提案がなされ、前向きに検討していくことになりました。
その集会はキリスト者のみならず一般の人々も招くことの出来るものであり、都合がつけばフランクリン・グラハム師の奉仕もあり得るとのことでした。
なお、この集会の準備については現地の教会に負担なきよう、高田牧師側で全面的に行なうか、仙台圏のキリスト教会の祈りと協力によって開催したいとのことでした。

その後、来日したサマリタンズ・パース総裁のフランクリン・グラハム師を囲んで、復興のために祈りを共にしました。

関連する写真は、こちら:http://www.demossnews.com/sp/photos/2011_japan_relief/

関連動画は、こちら:http://www.samaritanspurse.org/InVideo/?bclid=831057262001

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